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【六】理由(りゆう)
「世界……ですか?」
ティアの発したスケールの大きい話に、ファウストの顔つきが変わった。冷たく鋭い視線で、出会った時のように警戒心をひそませている。彼の表情の変化に、ティアは学会での発表を思い出した。
魔媒晶の欠陥と深刻な土壌汚染。
ヘルメス教授が採取した汚染土と、魔王が汚染した土の成分がほぼ一致した
――このデータは魔媒晶がもたらした産業革命に、冷水をかける行為だ。
だから認めない。認められないのだ。
自分たちの都合の悪いデータに対して理解を放棄し、一蹴して笑い飛ばして最後に拒絶する。
「そう。アステリアは魔王を封印した後、汚染した土地を勇者アレンと共に浄化しました」
それが、現在から換算して約500年前の話。
魔導王国オルテュギアーの第二王女【アステリア】が、勇者アレンと共に魔王の封印に成功した。
世界は歓喜に包まれた。魔物は生殖で増えることが出来ないため、確実に数を減らし、土地は緑の息吹を取り戻し、海と空は本来の澄んだ紺碧色に、魔王に汚染された土地はアステリアが浄化の魔術を行使したことで、再び人々が住める土地となった。
人々は感謝し賛美する。勇者と、そして魔王を倒しただけではなく、荒廃した世界を蘇らせた天才魔導姫のアステリアを。
彼女の頭脳が無ければ、魔王を倒したところで、今度は汚染されていない土地をめぐって国同士の抗争が始まっていただろう。
それは、魔王を倒すという単純な構図は存在せず、妥協と落しどころを見つけなければ永遠に争い続ける――新たな暗黒時代の幕開けともいえた。
先の見えない戦争を回避し、なんの見返りもなく土地を浄化してまわるアステリアを、多くの国と種族は感謝した。
アステリアは、世界を浄化してまわるたびに演説する。
――自分は魔王を封印したに過ぎない。自分は人間の純血種、100年も生きることができない短命の種族であるから、魔王の恐怖と脅威を後世に伝える努力をして欲しい。
つまり、彼女の中では無償で土地を浄化しているのではなく、魔王の脅威を後世に語り継ぎ、魔王が復活することを忘れないことが土地を浄化する対価なのだ。
彼女の意思を理解した国と種族は、様々な形で後世に語り継いだ。
水晶のカプセルに封じられた魔物の標本。
聖なる結界によって管理された、魔王が汚染した土地。
後世へ伝えるための記録媒体の開発。
断種の呪詛【ブロークンチェーン】の対策。
魔王が真っ先に潰したとされる――【ユピテル】のロストテクノロジーの復活。
……しかし、平和に浮かれた世界は、アレンとアステリアが望まない方向に動き出した。
アレンとアステリアを称える銅像。
勇者の冒険を描いた歌劇。
魔王討伐の偉業を讃えたパレード。
二人の英雄を祭り上げるために、アステリアを聖女として讃える声。
二人を崇拝する宗教団体。
あぁ、ハレルヤ、ハレルヤ、崇め称えよ、賛美せよ。
美化され、誇張され、理想化され、二人はいつの間にか、人々にとっての偶像となり、民衆は勇者と魔導姫の物語に熱狂した。
それが悲劇の始まりだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
もしも、と、ティアは考える。
魔王が倒された新しい秩序の中で、優位に立とうとする勢力が少しでも誠実であったのなら、王位継承の儀式――【アステリアの鎖】を魔導姫が編み出すことはなかった。
多くの犠牲を容認し、青いバラが咲くこともなく、ライラが滅ぼされることなく、平和であることでデーロスは多少腐敗するかもしれないが、最低最悪な事態は免れたと。……そう思いたい。
「100前に発見された、新たな資源である魔媒晶にはまだまだ謎が多かった。なぜ鍛冶の神に認められたハイドワーフでしか、アダマンタイトやミスリルが加工できなかったのに、魔媒晶の粉をまぶせば、誰でも加工が可能なのか?」
話していて怒りで胸が膨れ上がるのを感じた。まるで魔法が解けた竜のように凄まじく、周囲の空気までもが圧迫されるように感じられた。
「ホビット族の種族スキル【万難踏破】でしか侵入できない土地を、魔媒晶の道具を使えば開拓ができたのか」
ティアは自分の拳を握りしめ、紫の目に涙を浮かべながら続ける。
「本来なら、エルフが研磨した宝石でしか魔法は付与できないに、ただのガラスや鉄屑に魔媒晶を溶かし込んだら、なぜ魔法が付与できるのか?」
花弁のような口元には悔しさと怒りがにじみ出て、全身から怒りの炎が揺らいでいる。
「しかも、属性の反発を無視してでたらめに魔法を付与できる……」
そこで言葉を止めた瓜実顔には、渦巻く感情に耐えるような痛々しさがあった。
「そんなうまい話あるわけない。魔媒晶の恩恵にあずかる企業は、夢の結晶なんてキャッチコピーで売り出していたけど、その正体は悪夢の結晶よ。クロノス商会は絶対に知っていた。知っていて、政治家たちに賄賂を渡して根回しして、大陸間の横断鉄道を完成させた。魔媒晶の技術でインフラ事業を拡大させて、魔導車が走っていない地域はないと言っても過言じゃない。それが、魔王が使う断種の呪詛【ブロークンチェーン】以上の毒を、世界中にばらまく結果になるというのにっ!!!」
彼女は吼える。
自ら悪い方向に向かおうとしている世界に。
知らず知らずに滅びを迎えようとしている人々に。
「断種の呪詛【ブロークンチェーン】以上……ですか、アステリアでさえ解呪するのが不可能だった」
勇者アレンと魔導姫アステリアは魔王との戦いに勝利した。
だが断種の呪詛【ブロークンチェーン】を受けた故に、二人の間に子供はいない。
代わりに現れたのが、アステリアの姉であるエステリアの息子の【キケロ】。
勇者アレンと同じ、マンダリンオレンジの髪と紫の瞳を持つ子供は、魔王と相対する以前に誕生した尊き血筋。
勇者としても人の子。さらに致命的な弱点として滅法酒に弱く、前後の記憶が飛ぶことがあった。
身に覚えがあったアレンは青ざめて、アステリアは絶望する。
さらに追い打ちをかけるように、周囲はアレンとエステリアが結婚することをすすめ、血を絶やさないために、エステリアは数多の愛人を持つことを許された。
残された人間――世界を救ったはずのアステリアと、エステリアの本来の婚約者の存在なんて、すっかり忘却して。
「ううん、ヘルメス教授が言ってたの。お父さまがエルフの国の禁書庫で、アステリアの記録を見つけたって。そこには断種の呪詛【ブロークンチェーン】の解呪方法を見つけた記述があったの。わたしはその知識が欲しい」
一気に言い切るティアは、興奮で顔を赤くさせていた。対して、彼女の言葉を静かに聞いていたファウストは、表情を険しくさせて冷ややかな翠色の瞳で従兄妹を映す。
「質問をお許しください、姫様」
恭しく頭を下げるが、願いを請う声には威圧的な硬さがある。
「まず、ヘルメス教授が採取した汚染土と、魔王が汚染した土の成分がほぼ一致した。つまり、現在世界を脅かしている汚染土は周囲の環境を狂わせる上に、魔王の呪詛が込められていると?」
その話が真実であるのなら、世界を揺るがすスキャンダルだ。
産業革命で恩恵を受けていた層が反発し、世界のために文化水準をさげるなんて出来るわけがない。楽で便利な方向に流されるのは、生きる者の性なのだ。
「えぇ、そうです」
ティアが即答すると、ファウストは顎に手を当てて少し思案する。
捜査官としての厳しい表情からは、深い考えが窺える一方で、強い不快感が翠色の瞳の奥で揺らいでいるのが見えた。
「エルフの国の禁書庫で、アステリアの記録を見つけたのはいつの話でしょう? エルフの王であるアマーリエ姫の父君でしたら、喜んで記録を国外に持ち出すことを認めたはずですし、イーダス様の性格でしたら、すぐにでもアステリアの記録から研究に着手してたはずです。あの人は姫様のことを心より愛していましたから、あなたを脅かす存在が減るのなら、魔王もアステリアも怖くないとおっしゃっていました」
ファウストから語られる父の愛情に、ティアは可憐な表情を悲しみに曇らせた。
参ったな。と、ファウストは視線を少しそらす。十代相応の従兄妹の反応は、捜査官としてのファウストの自制心を揺るがし、守ってあげたい、優しく手を伸ばして彼女の小さい肩を抱きたい気持にさせる。
彼女から発する夜族の甘い匂いに、とうとう脳がやられたのかもしれない。
それでも構わないから、彼女の憂いを晴らしたい。
「……五年前だと訊きました」
ようやく出た言葉に、ファウストは少し安堵した。
「五年前? 姫様がカルティゴに留学した年ですね」
「私も最近、ヘルメス教授から聞かされたばかりでした。ヘルメス教授も慎重にならざるを得なくなったのでしょう。……私を留学させてから、一月も経過してないうちに父が死んだのですから」
「…………」
ファウストの沈黙にティアは息が詰まりそうになる。
勇者の髪、勇者の瞳を持ちながら、遠い先祖の故郷は、異国の姫を歓迎してはくれなかった。
そこへ父の訃報がもたらされて、ティアは帰国を懇願したものの却下され、二人の姉たちもティアの帰国を女王であるカーリアに願い出たが、結局、帰国は叶わなかった。
あの時のことは思い出したくない。
どんなに泣き叫ぼうと、大切な人が帰ってこない絶望を。
祖国に帰ることが許されない憤りを。
訪ねてきた母の冷たい瞳を。
その当時は、ヘルメス教授は父の死を事故だとティアに伝えた。悲しみにくれる幼い少女に対して、父親の死が殺人であることを伝えた場合の重荷を配慮したのだろう。
国もイーダスの死は職務中の事故死だと発表して、小規模ながら国葬が行われた。もしも、殺人だとしたら、いやでも容疑者が25年前のテロに結び付けられて、人間の国が一つ二つ滅んでいたところだろう。
――父の死の真実を覆い隠したのは、政治的な配慮と自分たちの保身、それが多くの人間の命を救ったのだ。
成長したティアは、その当時の人々の配慮を想像することで、なんとか納得した。ヘルメス教授に父親の死が、事故死ではない可能性を打ち明けられた時も、尖った石を飲み込むように納得した。
なぜなら感謝しないといけないからだ。
カーラとヘルメス教授がいなければ、知らない異国の地で孤立して、どうなっていたか分からない。
「父はその日、記録を受け取るために、港でエオスの船を待っていたらしいです。だけど船共々、父は海の藻屑となってしまった。……記録では事故だと処理していましたが、わたしよりもファウスト殿の方が、そのへんは詳しいんではありませんか?」
「それは……」
言葉に詰まらせたファウストの様子に、ティアは自分が相対する相手の影が見えた気がした。
……だから。
「この話はもうおしまいにしましょう!」
自分の中でまだ赤く疼く傷跡を断ち切るように、ティアは勢いよく手をパンっと叩いた。話しているうちにだいぶ頭の中で整理できて、紫の瞳には活力が戻っている。
「ファウスト殿、おわかりいただけましたか? わたしには王位継承の儀式に参加する理由があるのです」
決然と意思を表明するティアの姿は、凛とした百合の佇まいで美しいが、手折られそうな危うさもあった。
「わかりました。が、その話はレオナール姫とアマーリエ姫にも話したのですか?」
ファウストの問いかけの後に、波の音が夜闇に響く。
「え?」
「え?」
ティアが不思議そうな顔で問い返し、ファウストも従兄妹の意図が分からず問い返してしまった。
「え?」
「え?」
お互いが問いかわして、鏡合わせのようにお互いがお互いの顔を見つめ合う。
数秒後、先に我に返ったのはファウストだった。
「なぜ、そのような大事を一人で解決しようとしたのですか?」
ティアに問いかけた瞬間、彼は後悔する、自分の失態に舌打ちしたい気分になり、自分たちが思っている以上に最悪な状況に陥っていることに気付いた。
「なんでわたしたちは、いつも分かり切った問いかけをするのでしょうね。結局、答えなんてわかりきっているのに」
ティアの呟きが、ファウストの答えを肯定していた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
身内に裏切り者がいる。
自分が思っているよりも以前から暗躍し、王位継承の儀式を妨害して、軽く一国を滅ぼした膨大な魔力を暴走させて、このオルテを消滅させようと企んでいる不逞の輩がいる。
理想的で平和な世界を維持するために、オルテュギアーは多くの敵を作りすぎた。正論と共に平然と国を滅ぼして、王族と勇者の血を引く子孫のことを【尊き青バラの血】と呼称して、敬い讃えるように国民はおろか、世界中に無理やり広げて周知させてきた。
魔王が封印されて500年――いやでも時代が変わる。
産業革命による企業の台頭によって、従来の価値観が軽視されるようになり、企業に利益をもたらさないオルテュギアーは目の上のたんこぶとなった。自分たちがしていることを正義だと思い込み、魔媒晶が魅せてくる偽りの夢に夢中になって、世界中を不幸にしてでも自分たちだけは幸せになりたいと願う救いようのない連中。
そんな連中に負けたくない。
奮起して顔をあげるティアは、未だ無数の蛇に食べられているあわれな襲撃者に近づいて、その中で生きている者がいないかを確認する。
必要な情報を得るために、裏切り者の存在を明確にするために。
どんな手を使ってでも、復讐と救済を成し遂げるために、自分のなすべきことを遂行するのだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
血の匂い、生殖の匂い、海の匂い、波の音とカーラの嬌声が、プルートスの恍惚に満ちた唸り声が、夜族の本能に再び火をつけるが、末姫はぐっと耐えつつ呼吸を整えた。
衝動は生きようとする意思そのものだ。
抑制するよりも、流れに身を任せればいい。幼い頃に家族で海水浴をした時のように、海を怖いと言って泣くティアに、父が怖くないと優しく手を繋いで海に入った時のように。
答えはいつも身近にあったのだから。
深く深呼吸をして、目を閉じれば思い出す。
娘を優しく見守る翠色の双眸を。ゴツゴツとした手の温かさを。研究薬と薬剤が染み込んだ体臭を。
お父さま、力を貸して!
ティアは列車の窓から確かに見たのだ。
赤黒く変色したサンゴ礁の群生を。
静かに死を迎えようとしている、宝石の海と呼ばれたコイオス諸島を。
汚染がさらに進めば、サンゴ礁どころではなく周辺一帯の海域が無残に穢された黒い海となり、ファウストが勧めてくれた牡蠣もプルートスが言っていたウニにコリオススズキにクエル港の菜花ロブスターも死に絶える。
いいや、それどころではない。
今すぐ汚染の調査をして周辺海域で採れた海産物が、安全であるのかも確認しなければいけないのだ。
美しい自然の中で生きている罪のない生物たちが、その生物たちを糧に暮らしている人々が、この国を訪れる無防備な人々が、なにもなくても尊い日常の日々が、家族と過ごした思い出が、企業のエゴによって汚物色に汚染されて破壊されるのだ。
生前、ヘルメス教授は言っていた。
『海上に設けられた大陸間鉄道による汚染。それはとても恐ろしい問題だ。汚染された物質が世界中に拡散し、数年後には手の付けられない状態になる。最初は手足のしびれに始まり、五感も鈍くなり、身体から魚を腐らせたような異臭を放ち、全身が熱病のようにひりつく痛みに苛まれて、皮膚が紫色から黒に変色し、焼死体に近い状態になって息絶える』
――わたしは、故郷を救いたいの!
『現状を正確に知っているクラウディア殿下、君が早急に王になる方が好ましい』
過去の声とユニゾンするように、ティアは心の中で高らかに宣言する。
心臓のあたりがドクンと、強く脈打ち、体全体に広がって蝕んでいた黒い波動が収束して、力がみなぎってくるのがわかった。
紫の瞳が煌々と輝き、ティアが胸の前で手を合わせると、紫色を帯びた白い光の粒子が溢れ出す。
魔術の神であり月の神である――女神トリウィアの名を冠したユニークスキルが、カーラの制御をはなれて、欲望の赴くままに賊たちを食い荒らしていた無数の金蛇たちを静めて、損壊した肉体を次々と復元させていく。
「これは……」
ファウストは動揺で駆け寄ろうとした足を止めた。
まるで宗教画の一枚絵のような、奇跡ともいえる光景に我が目を疑ったのだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
魔法を使えないティアは、当然回復魔法も使えない。
だが血が止まり、肉が盛り上がり、元の状態に戻していく技術、それは自分がティアに見せた、菌糸で疑似的な肉体を作り上げて、治療する方法に似ていた。が、彼女の成した御業は、ファウストのよりも格段に上だとわかった。
なぜ彼女にそれが出来るのか、考えられる可能性は一つ。
ファウストの肉片を食べたからだ。
食べた血肉に潜んでいた魔力を読み取り、魔菌糸を取り込んで短時間で自分の肉体に菌のコロニーを作りあげて我が物にした。
白い光の粒子の正体は魔力をまとわせた菌であり、傷口に潜り込んで増殖し、露出した臓器や骨すらも復元させて、肉体と一体化させている。
これはファウストがやって見せた技術の応用であり、独学で彼女は賊たちに治療を施したのだ。
しかも、と。悔し気に奥歯を噛む。
無数の蛇たちを静めることができたのも、自分が得意げに話した【動物に自分の菌糸を寄生させて、魔力を通じて五感を共有させる】技術を基にしたことが分かる。分かるからこそ、身をどす黒く妬くほどに心が散り散りと乱れていく。
先ほどまで従兄妹へと向けられた、あたたかく優しい気持ちが氷点下まで冷え込み、代わりに強烈な劣等感と嫉妬が魂を満たしていく。
ファウストは自分が今、実の父親であるユリウスと同じ顔をしていることを自覚していた。
浅ましくて、卑屈で、惨めで、嫉妬深さが表情に滲んでいる、マルスの面貌。
憧れであり、理想の父像であるイーダスならば、翠色の瞳を輝かせながら娘を天才と褒めたたえて、感極まってハグをし、敬愛の念を抱いて手の甲にキスをして満面の笑顔を向ける。
想像ができるだけに、粘つくような辛い気持ちがこみあげてきて、従兄妹へ血肉を捧げた掌を固く握り込んだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
できることならば、父のようになりたくなかった。
同じ顔の弟が、自分が望んでいるものを、まるで呼吸をするかのように奪い取り、尊敬を勝ち取り、多くの人々の幸せを守り、青いバラを咲かせる栄誉を与えられた。
けれどもそれが、イーダス自身が望んだ結果ではないのが、さらに兄弟仲を悪化させることとなる。
ファウストの父方の家系であるウェルギリウス家は、代々宮廷魔導士であり、王家と婚姻を結んで青いバラを咲かせることを悲願としていた。
これは500年にも及ぶ執念とアステリアの姉である、エステリアとの悲恋が発端であることが間違いない。
だからこそ、一族は500年にも及ぶ因縁に決着をつけたイーダスをウェルギリウス本家の当主に迎え、対して努力はしているが弟の足元にも及ばない、出来損ないの兄であるユリウスは名前を剥奪された。
名前は命に直結しているのが魔導士たちの考えであり、名前を剥奪されたユリウスは魔導士としても人間としても殺されたのだ。
聞いた話によると――治療院で療養生活を送っていた父は、性衝動が抑えられなくなった妖植族の入院患者に襲われた。父を襲った妖植族がファウストの母親だった。
人類種の純血であることを、誇りにしていたウェルギリウス家にとって、ファウストは最大の汚点であり抹消すべき存在。
祝福されない赤ん坊を助けたのが、ティアの父親であるイーダスであり、イーダスが母方のメレアグロス家を説得してファウストを引き取らせた。
メレアグロス家の方も、宮廷魔導士であるウェルギリウス家からの援助が魅力的だったのだろう。メレアグロス家でのファウストの扱いは、家族というよりも大切な金蔓であり、一片も愛情を感じいたことがない。
そんな実情を知っていたから、イーダスは可能な限りメレアグロス家に足を運んで、甥の様子をみにきてくれた、勉強を教えてくれた、様々なことを教えて、実父のお見舞いにも連れて行ってくれた。
あぁ、けれどもわかっている。イーダスはファウストの望む愛情を向けてくれなかった。唯一向けられた愛情の行き先は血を分けた娘であり、二人も姉もファウストと同様に苦しんでいるのを知っていた。だから……。
「アメリー、レオナ。二人に紹介しよう、私の甥であり息子でもある存在を」
イーダス様は、自分と姫様を引き合わせた時、明らかに嘲笑っていた。
「こんにちは、姫様。自分は――」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
――化け物。
脊髄反射的な侮蔑と恐怖に、ファウストの毛穴から冷たい汗が噴き出た。 知らない人間が今のティアを見たら、聖女とたたえられた魔導姫アステリアのと錯覚するだろう。もしくは、アステリアと勇者アレンの子孫だと勘違いするかもしれない。
現実は、そんな美しいものではないのに。
彼女が宮廷魔導士イーダスの娘である証拠――天才の片鱗は龍の如く強大で恐ろしいものに映った。
【つづく】
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