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Painkiller―1
人型兵器【Assault Trooper】が地上戦闘の主流となって久しい。ATの配備が進むにつれて、わがウエストポイント(訳注:合衆国陸軍士官学校)はその敷地を拡大していった。ハドソン川に面し、裏手に州立公園を望むヤード(訳注:キャンパス)は、ATの訓練施設を建造するお題目を掲げて、着実に深緑の域を蝕んでいった。かつてゴルフコースだった場所は、今やATの戦闘訓練に使われている。血と汗と泥にまみれたむさ苦しい戦場において、ATのパイロット達は紛うことなき花形スターだった。そのスターダムにのし上がるべく、毎年厳しい倍率を勝ち抜いた新入生たちがゲート1(訳注:士官学校の正門)をくぐるのだ。ケツの拭き方すら分からない青二才どもを、短期間で星条旗を担い得る益荒男へと育て上げる。これが、教官である私に課せられた責務だった。地獄の百時間やら、倫理規則やら、基本戦闘訓練といったものはすべて、ATに乗るための布石に過ぎない。
ATのパイロットとして、戦場で活躍すること――それだけが、士官候補生たちのよすがとなる。
そんな彼らを指導する私はというと、いまだかつてATを駆って戦場の土を踏んだことがない臆病者だった。物の道理を他人にわかりやすく説明し、采配を振るう能力と、実戦における能力は必ずしも一致しない。選手に最も効率的な練習法を指導したり、起死回生の戦略を練ったりするサッカーチームの監督は、実際のプレイでは現役の選手に劣る。これと同じ原理が、私の仕事にも適用されるというわけだ。優れたパイロットを育てる能力があるからといって、実際の戦闘において私がカール・イグレシアス少佐のように、輝かしい戦果をあげられる訳ではないのだ。
だが、戦場に私が投入されて生徒の前で赤っ恥をかく心配はない。士官学校は、戦場とは無縁の僻地にひっそりと建っているし、万が一、敵が侵攻してきたとしても、私の任務は生徒たちを避難させることであって、ATで相手を迎撃することではないのだから。だが、そんな私の予防線はたった一機の人型兵器によって、あっけなくなぎ倒された。
Lic―190――――家庭用電子レンジみたいに素っ気ない名前の人型兵器が、私のちっぽけな虚栄心を穿ったのだ。
「教官! 先日、CNNで報じられたロッキード製の最新兵器Lic―190とは、どういった兵器なのでありますか? プレス写真を見た限りだと、従来型のHam―303と同じような印象を受けるのですが」
最前列で待機姿勢をとっていた男が出し抜けに言った。応急処置の訓練が終わった後のことだった。他の士官候補生たちは、一刻も早く食堂に向かいたくて、うずうずしている様子だった。
「君、名前は?」
「ダニー・ハリスであります」
ダニーと名乗った男の腕には、輝かしい黄金線が一本引かれていた。優等生だと、私は見て取った。
「時間がないので詳細は割愛するが、前モデルとの違いは速度と重量だ。乾燥重量は約二〇%少なくなっているし、限界走行速度は二八・五%も上昇している。これはオフレコだが、ソフト面では新しいシステムを導入したらしいと、軍事関係者の間でもっぱらの噂だ。詳しいデータが知りたいのなら、後でロッキードに資料を請求しといてやるよ」
私は二八・五という数字を、ことさら強調してやった。私だって、ここにいる大半の候補生と同じ気持ちだった。つまり、早く昼飯にありつきたかったのだ。だが、ダニー青年は腑に落ちないといった面持ちで、私を見つめている。どうやら、彼は納得するまでその場を動くつもりはないらしい。根負けした私は、不本意ながら説明を付け加えることにした。
「ATの行動原則は知ってるな?」
「ツーマセンセルないしスリーマンセルです」
うなだれ込んでいる士官候補生たちに回答を促す間もなく、ダニーが答えた。
「今回発表されたLicは、単機で歩兵一個中隊の戦果をあげられる能力を目指して開発された。目標の捕獲、敵陣の占領、敵設備の破壊、制圧射撃などなど。これらの任務を単独で可能にするってわけだ。そのためには減量と高速化が必須条件だったんだな」
脳震盪を引き起こすほどのけたたましい警戒アラームが、私の意識を現実に引き戻した。整備室内は、今や皿をひっくり返したような混乱の坩堝と化していた。整備兵たちは警備用ATの起動ユニットを抱えて右往左往しているし、士官候補生たちは我先にとシェルターめがけて突進していく。パイロットスーツに身を包んだ数人の警備兵が、私の横を駆け抜けていった。スーツの頸部ジッパーを調整しながら、年嵩の警備兵が私に声をかけた。
「ゲイリー教官、急がないとシェルターが閉まっちまいますよ。それとも、俺たちと一緒に奴さんを迎え撃ちますかい?」
私をあざ笑う士官候補生たちと、穴だらけにされたATの光景が脳裏をかすめた。
「からかうのはよしてくれよ、マーシャル。俺のプロファイルは見たんだろ?」
「あの事故さえなけりゃ、今頃あんたはカール・イグレシアスの座を奪ってただろうよ」
マーシャルは知る由もないだろうが、私の同級生にして親友のカールは三日前に死んだ。戦場で華々しい最期を迎えたのではない。泥酔した爺さんが運転するトヨタに跳ね飛ばされたのだ。将来を期待されたエリート軍人を、棺桶に片足突っ込んだ老人が殺しただけでも不条理だが、あまつさえ引導を渡したのが日本車だというのだから戴けない。上層部は指揮の低下を危惧して公表をひた隠しにしているが、ネットニュースに漏れるのも時間の問題だろう。
「で、状況は?」
「IFFに応答しないATが一機、ヤードに接近中との報告を受けたんですがね……」
私はこの手の【but】が苦手だった。経験上、後に続くのは最悪の状況だと相場は決まっている。
「とっとと言えよ、ったく」
マーシャルは手に持ったヘルメットをしきりに撫でながら、
「奴さん、すでにヤード内に侵入したらしくってね、さらには警備用ATが置いてある第三格納庫を吹き飛ばしやがったんでさ」
「チキショウめ! ということはだな、俺たちに残されたのは、この木偶の坊がたったの十機だけだってことなのか?」
整備室の壁に沿って佇立している整備用トルーパーを指さして、私はありったけの声で叫んだ。マーシャルは苦り切った表情を浮かべて、かぶりを振った。何かが爆発した振動が、生唾を飲み込もうとしていた私の足元に伝わった。兵器を破壊したとなれば、順当に考えて次に狙うのは通信設備だろう。くそったれ、と私は悪態をついた。今すぐバーボンを一杯煽りたい気分だった。ツーマンセルですらなく単機で侵攻してきたとなれば、それ相応の練達したパイロットが必要だ。第一警戒ラインに至るまで、「ネズミ捕り」にも引っかからずスニーキングしてきた熟練のパイロット。我々に残されたのは、二世代前の人型整備工具がたったの十機だけ。想定しうる最悪の状況を遙かに超えていた。
「私はそろそろ失礼しますぜ、教官。あんたも急いだほうがいい。もうじきシェルターが閉まっちまう」
マーシャルはそう言い残すと、白髪交じりの長髪を掻き上げてヘルメットを装着し、身を翻した。深緑のパイロットスーツに身を包んだ彼の背中には、退学処分を受けた生徒がヤードを後にする時に似た、ある種の哀願が付き纏っていた。もしも黄泉へと通じる扉があるとすれば、今のマーシャルはその鍵を手にしたも同然だった。いや、彼のみに留まらず、このウエストポイントに息づく者全員が、今やその鍵を手中に収めつつあった。
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