死の【突撃】の原動力とはなにか・・

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日露戦争で 203高地の攻防戦というのがありました これは 乃木大将の指揮下で日本の将兵が無謀ともいえる突撃を繰り返しては敵の機関銃になぎ倒されると言う酷いものでした 死者だけでも 一万、 重軽傷者なんてその数倍はあったと思いますよ で、敵の雨あられのような猛射にもかかわらず 突撃していく勇気というか その原動力はなんだったのか・・と 考えてみたんです それは指揮官というか 尊敬し好きな上官が 先頭に立ち突撃したからです この人のためなら 一緒に死んでもいい 死ねると思ったからではないですか? もちろん 祖国や天皇のためと少しは思ったり 大義 正義のちらつきがあったりしても そんな上官や指揮官に惚れたからだと思いますよ 乃木大将のためだった?そんなこと絶対なかったと思いますよ 映画では もてはやされて英雄扱いだけど 犬死させるクソ大将に呆れて失望したりして 死んだ将兵は恨みつらみがあったと思いますよ なんといっても 直属の 指揮官のためだったのです 戦闘の前に映画に でてくるような訓示はもちろんあったと思いますよ 【この戦闘の勝敗は皇国の浮沈にかかわるとかさ、日本海海戦のように皇国の荒廃はこの一戦あり】 みたいなものだったと思います しかし そんなものだけでは 死の突撃なんてできるものでしょうか・・ その訓示以外にきっと 【一緒に死んでほしい・・来世で酒でも酌み交わそうではないか】みたいなことが有ったのではないでしょうか・・ 昔、伏見城を守備していた 鳥居 元忠と 軍勢を引き連れて 東に向かう家康との最後の交した言葉がそれだったと思います 家康が 東に向かえば 石田光成の挙兵は確実であり そうなれば 伏見の城は一番に責め手の目標になるのは明らか・・ 家康は幼い時からの友だった 元忠を不憫に思い 手勢を1千名ほど残してやると 言いましたが 元忠はどうせ落城するものに軍勢などは無用ですと断って 二人は最後の酒を酌み交わしたのです・・ その時の元忠の心境は 家康のためになら一身を投げ打つことは本望と思ったに違いないです 何がいいたいか・・ まさに好きな人のためなら死ねるし 来世も共にと 誓い合えばそうなるのではないでしょうか・・ 人と人の絆って ソレぐらいの絆がほしいものですね~~~てことです  暇なので書いてみました^^
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