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「俺に言うなよ、東吾君。この子が食べるのをやめないんだから、仕方ないじゃねぇか」
「あなたのお金で食べているんだから、少しは遠慮しろと言えばいいでしょう」
「最初に、好きなだけ食べていいよと言っちまったんだ。それなのに前言を撤回できるもんか。こちとら江戸っ子だぞ」
「えっ、真庭さん、東京の人でしたっけぇ~?」
望子がおかわりのコーヒーを市郎の前に置きながらそう尋ねると、市郎は「いや、岡山県」と言って舌を出し、望子にチップを手渡した。もう四十代半ばになるのにお茶目なおっさんである。
お茶目と言えば、神様(?)のくせして人間からチップをもらって「うへへ、うへへ。銭や、銭や……」と不気味に笑っている望子もある意味ではお茶目さん……いや、ただの不審者か。
「それにしても、上京して早々、スリに有り金を全部盗られちまうとは運のない子だぜ」
「本当、かわいそうに。東京にはスリが多いからねぇ。でも、あいつらは田舎から上京してきたばかりのお上りさんはあんまり狙わないって、真庭さんがだいぶ前に新聞の記事で書いていなかったかい?」
市郎の隣のテーブルに座っている加奈子が、ほつれ髪を指でいじりながら言った。市郎は加奈子のさりげない色っぽさに一瞬ドキリとし、ちょっと声を上擦らせて「ああ、加奈子さんの言う通りさ」と答える。
「お上りさんは、スリに警戒して厳重に懐の奥深くに財布を隠し持っている人が多いからな。どちらかというと、東京に住み慣れた人間のほうが油断していてスリにやられる傾向があることは調査済みだ。……でも、この子はよっぽどボーっとしていたんだろうなぁ」
市郎が、見るからに世間知らずそうな恵美子を見つめると、恵美子はムッとした表情になり、「ボーっとしていたわけではありません!」と訴えた。
「憧れの東京にやって来て、ついつい浮かれて、注意力が散漫になっていただけです!」
「それをボーっとしていたと言うんだろ……」
強面の青年――稲藤東吾が呆れ顔でそう言った。むむぅ、と恵美子は唸る。
「お嬢ちゃん。腹がいっぱいになったところで、そろそろ身の上を話してくれないかね? お故郷はたぶん三重県だろうが、なんで若い娘が身一つで東京にやって来たんだい。家出か?」
「ええっ⁉ おじ様は、私の出身地が分かるのですか? まだ何も話していないのに……」
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