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家のチャイムが鳴ったのは十三時前だった。夫が同僚を家に連れてくるのは十五時のはずなのに。 液晶画面を見ると、夫と滝川さんという私も何度か会ったことのある顔が立っていた。   まだ化粧もしていないのに。いくら夫の友人とはいえ、すっぴんを見られるのは耐えられない。 慌てて、キッチンの隠れられるスペースに移動した。 「お邪魔します」と「いないのか?」という声とともに足音が私に近付いてきた。 こちらには気付くことなく、二人はそのまま奥のリビングへと向かった。 隙を見て静かに外へ出て、なに食わぬ顔で戻って来よう。そう思った時、ポケットに入れたままの携帯電話が震えた。 すぐに止めて画面を見ると夫からの「どこいった?」のメッセージだった。 人の気も知らないで、身勝手に時間を早めた夫に苛立ちながら「どこって買い物よ。十五時に来るんでしょ?」と返した。 すぐに見たのか「買い物に出てるんだってよ」と滝川さんに呑気に知らせる。 「ごめん、早く終わったからもう家着いちゃった」 わかっていても文字で弁解されると余計に腹が立つ。 「それなら連絡くらいしてよ。こっちも準備とかあるんだから。もういい、しばらくしたら帰るからテキトーにやってて」そう返信して様子を見ることにした。   しばらく他愛のない雑談が続いたあと、夫の口から信じられない言葉が聞こえた。 「うちの奥さん浮気してるみたいなんだ」  素手で心臓を鷲掴みにされているような感触がした。 「なんだよそれ? 考えすぎだろ」 「いや、わかるよ。最近のあいつの態度見てたら。それに……」 「それに?」 「たぶん俺が帰るぎりぎりまで男といて、俺が帰る時間に合わせて帰ってるんだ」 「なんでわかるんだよ」 「皿にな、スーパーで買ってきた惣菜を盛り付けてたんだよ」 「見たのか?」 「見なくてもわかるよ。見た目とか味が全然違うんだ。俺もそこまで馬鹿じゃない。自分の奥さんの手料理の味くらいわかるさ」 気付いてたんだ。全部お見通しだったんだ。 わかった上で美味しいと言っていたのか。どんな気持ちで、何を思って口にしていたのだろう。 「問い詰めなかったのか?」 「言えるわけないだろ。俺があいつをほったらかしにしていたのが悪いんだ。自業自得だよ」 「それは仕方ないだろ。お前、今回のプロジェクト任されてから、毎日毎日、残業と接待でろくに時間なかったろ」 「そんなのはあいつにしたら関係ない。この前もあいつが半年も前から楽しみにしてた舞台を一緒に見に行く約束を、前日に取引先から呼び出されて、次の日に会議を開かないといけなくなって、結局ドタキャンしてしまったんだ」 飲みに行ったんじゃなかったの? どうして? 仕事ならそう言ってくれれば良かったのに。 思いがけない真実を知ってどうしたらいいのかわからなくなっていた。 「もしかして離婚するとか言わないよな?」 夫の返事に一瞬の間が空いた気がした。じんわりとかいた汗が一粒の水滴になって背中を伝う。 「そんなわけないだろ。でも、この仕事がうまくいけば出世も見込めるし生活も落ち着く。そしたら子供を産んでもらいたいって思ってるんだよ……。だけどさ、もし仮に相手のことを本気になって、その……離婚ってことになったら、その時子供がいるのといないのとでは全然違うだろ?」 「たしかにな……。で、俺を呼んだのか?」 「そうだ。本人にそれとなく聞いてほしい」 「大役すぎるだろいくらなんでも」 「お前にしか頼めない」 「はあ……。出来る限りのことはするけど、あまり期待はするなよ?」 夫の本音を初めて聞いた。何も考えていないと思っていた夫は、私の何倍も自分たちのことを考えてくれていたのに。 どうしようもなく馬鹿なのは私の方だった。
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