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三日三晩、弘観は呪いに苛まれた。今まで殺してきた人たちが本堂に現れる。大太刀を振り回しても幻覚は消えなかった。
仇討ちの幻覚が消えたと思ったとき、すぐそばにぽつりとお邑が座っていた。「お恨み申し上げます」という言葉が頭の中で聞こえてくる。
苦しみから逃れるため、切腹をしたいと何度も考えた。刀を持ったときに、お邑の呪いの言葉が大きくなるため、刀を持っていられずに諦めた。
無意識のうちに弘観は座禅を組んでいた。瞑想≪めいそう≫をすることで呪いに犯された心を統御≪とうぎょ≫していた。そうすることで呪いは和らいだ。
お邑が死んだ後も、弔いは断ち切れにならなかった。読み書きや剣術ができるということで、町人から頼まれて寺子屋を開いた。
身も心も仏に捧げる身になりながらも、仇討ちも絶えることはなく、本堂はたびたび血で染められた。
手厚く葬りながら弘観は考える。仇討ちに訪れる者に堅気はほとんどいなかった。もしかすると、邪心を持った者がこの寺に導かれ、弘観に斬られているのではないか。自分はそのような役目を負わされているのではないか。
疑いはしたが、そんな都合のよい考えは捨てるようにした。殺しに来た者を返り討ちにしているだけである。大義名分はいらない。
ただし自分が人ではなくなってしまったことは十分に自覚していた。
弘観は歳をとらなくなってしまったのだ。生き続けるのが辛いというのに、寿命で死ぬことができない。
幕府は倒れ、明治新政府ができ、日本中のあちこちで事件が起きた。
廃刀令が出ても大太刀は捨てなかった。取り上げようとする者はすべて斬った。
清やロシアと戦争を始めたとき、やはり人斬りで世は治らないと改めて悟った。京で人斬りをやめようと決めたのは間違いではなかったのだ。
それでも寺に軍人が入ってきた時には斬った。弘観のやることは常に変わらない。
禅寺は関東大震災にも耐え、空襲の被害にも免れた。
時代がどのように移ろっても、弘観は死なない。
刀を握るとお邑の声が聞こえる。お前さんのことが嫌いだよと。
どれだけ嫌われてもいいから、死んでお邑に会いたかった。
了
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