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提灯≪ちょうちん≫の光に集まる夏の羽虫のように、人は線香の煙を嗅ぎつけて禅寺まで彷徨≪さまよ≫い歩く。
胸に巣食う殺意という名の虫が彼らの足を動かすのだ。
本堂にはひとりの坊主が座禅を組んでいる。弁慶を思わせる山のような体躯≪たいく≫と、脇に掛けてある大振りの太刀を見れば、ただの坊主でないと分かる。
煙に惑わされてしまっている男にはそんなものは眼に入らない。懐に入れてあった匕首≪あいくち≫をゆっくりと抜き、蟷螂≪かまきり≫のように逆手に構える。
本堂の古くなった床板の上を音もなく忍び寄る。素人の動きではない。首を掻き切るためだけに洗練されている。
このまま這い寄り首を捉えればあとは引くだけ。血は前に噴き出し、男の手を汚すことはないはずだ。
男が匕首で首を捉えようとした時だった。
坊主の大きな体躯がまるで消えたように沈んだ。素早く大太刀を取り、鞘≪さや≫のまま振り向きざまに一閃を浴びせた。ごきりと鈍い音。匕首を持った手の甲を正確に打っていた。
「ぐっ……」
男は呻き声を上げながら、取り落とした匕首を拾い上げ、飛び跳ねるように距離を取った。
男の素早い動きとは対照的に、坊主はゆったりと立ち上がる。
「……忍びの者か。手の骨を折られながら、その立ち回り。死線をくぐった者にしか得られない」
「生憎だが俺は抜忍≪ぬけにん≫だ。あんな犬どもと一緒にするんじゃねぇ」
威嚇するように刻まれた皺≪しわ≫が積年の生き地獄を物語っている。
坊主は刀を抜き鞘を床に置いた。八相≪はっそう≫に構えられた太刀の切っ先は天井を突いてしまうかのようだ。
「退けば見逃す。さもなくば斬る」
言い終わるのを待たず、匕首を頭上に構えて男は突進する。一の太刀だけでも耐えれば、二の太刀は自分の方が速いと確信していた。
「キィエエエイ!!」
耳をつんざく猿叫≪えんきょう≫と共に振り下ろされた太刀はまともに匕首を叩いた。
ギャンッと火花を散らして匕首は曲がり、男の頭蓋骨にめり込んだ。
ゆっくりと背後に回った坊主は、血を噴きながら狂ったように叫ぶ男を介錯≪かいしゃく≫をした。
赤い牡丹≪ぼたん≫の花のように、血に染まった首が床板に落ちた。
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