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薩摩≪さつま≫を脱藩した思井観兵衛≪おもいかんひょうえ≫は京で人斬りをしていたが足を洗い、江戸の深川で禅寺の坊主となっていた。
きっかけは他愛もないこと。泣きながら助けを呼ぶ女に、タコのような頭をしてしつこくまとわり付いていた男を斬った。それがたまたま禅寺の坊主だったから、袈裟≪けさ≫を剥ぎ取っただけのことである。
しばらくは怪しまれたが、寺にやって来た悪漢を何人か斬り殺し、荼毘≪だび≫に付して裏の墓地に埋めてやると、騒ぎ立てる者はいなくなった。元から善い寺ではなかったのだろう。
来客の用向きは弔≪とむら≫いの依頼よりも仇討ちが多い。殺しの理由を問いはしないが、それ以外に見当がつかない。それほどに人を斬ってきた。
素性を知らない者には弘観≪こうかん≫という戒名を名乗った。自分で勝手に名乗っているが、誰も怪しむことはなかった。
抜忍だと言っていた男を、弘観は持ち前のゆったりとした動作で弔っていた。手際はよくないが、近くの寺で他の坊主がやっているのを見学している。念仏も唱えられるようになっている。武士だった頃から読み書きは好きであった。
刀は好きではない。しかし幼い頃から示現流≪じげんりゅう≫の道場に通い、免許皆伝の腕前にまでなった。剣術の腕は時代に必要とされ、刀を手放すことを許さなかった。
曲がりなりにも坊主になった今も、刀を手放すことはできない。
弘観が念仏を唱えている本堂にまた誰かがやって来た。目視したのではなく気配で分かるのだ。
抜忍は気配を消していたので分かりにくかったが、今度は簡単に分かった。念仏を途切らせることなく、刀掛けの大太刀を横目で確認する。
背後の人はぎしりぎしりと床板の音を隠すことなく歩み寄ってくる。刺客≪しかく≫ではないと悟った。弔いの依頼だろうか?
できることなら、念仏は途切れさせたくない。弘観はそのまま念仏を唱え続ける。背後の人はなにも言うことなく、床板の上に座ったようだった。おそらく抜忍の血をぬぐったばかりの場所だった。
***
念仏を唱え終わり弘観が後ろに向き直って座るまで、やって来た女はじっと座っていた。
長く艶≪つや≫のある髪、着物から覗く首筋。白粉≪おしろい≫を塗れば吉原の遊女といった風情の妙に色気のある女だった。年の頃は二〇半ばといったところか。
女がどんな用向きやって来たのか想像する。親か旦那か、あるいは赤ん坊の弔いか。
「…………斬りかかって来ないのね」
その台詞は弘観の予想しない類のものだった。弘観のことを知っている者でないとこんなことは言わないはずである。
「私のことをどこまで聞き及んでいるのか存じぬが、訳もなく人は斬らん。ただし殺気を感じれば仇討ちと見なし即座に斬る」
弘観はもう一度、女の姿をしっかりと見る。最初の不穏な発言が弘観の判断を疑わせていた。
武器は持っていないようであるし、やはり殺意は感じない。
「……できることならば斬り合いたくない。穏便に願いたい」
「斬り捨てるほうが楽なんではなくて?」
弘観は返答に窮した。この女を斬る心像が先ほどから脳裏に映し出されているからだ。いつでも斬り伏せることができる。次の返答を考え出すよりも遥かに早く。
「用件を聞こう。弔いならばすぐに用意しよう。説教が聞きたければ、拙僧でよいのならばお聞かせしよう」
女は妖艶≪ようえん≫な笑みを浮かべて言った。
「用などありませんわ。ただあなたをお恨み申します。あなたを恨むために私はここへ来ました」
恨み、憎しみ。弘観のどこが憎らしいのだろうか。暗く激しいその感情は殺意へと昇華しないのだろうか。
弘観には分からない。感情から殺意を育んだことなどないからだ。いつ何時でも理≪ことわり≫を持って殺意を扱ってきた。だからこそ、仇討ちにやって来る者が後を絶たないのだろう。
「好きなだけ恨むがいい。私がそれを全て受け止めよう。お前の抱える恨みや憎しみがやがて殺意に変わるとき、この太刀にて斬らせていただくがよろしいか?」
「ええ、そうしてくださいな。だったらそうなるまで、あたしをここに置いちゃくれないかい? 帰る家があたしにはないんだよ」
御仏≪みほとけ≫に仕える身として、女を寺に住まわせても良いものか判然としなかったが、元から真≪まこと≫の坊主ではないのだったと、深く考えないようにした。
「好きにすればよい」
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