貴方を嫌いな理由

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 お邑が弘観を恨む理由は分かったが、なぜ殺さないのか、なぜ世話をするのかがさらに分からなくなった。  剣術の達人など何人も相手にしている。どの男だったか弘観にはわからない。中身のこもっていない謝罪ほど価値のないものはない。  お邑が帰ってきたら話をしてみよう。歪んだ関係はいつか必ず滅びる。いっそ早く滅びた方が良いとさえ思うのだ。  本堂で座禅を組んで心を無にする。そうすると、無音だと思ってた世界がひどく雑音に満ちていることが分かる。  虫の声、風で戸ががたつく音、遠くから聞こえる赤ん坊の泣く声。  ひたりひたりと誰かが歩み寄る音がする。その足音は不自然に拍子外れのものだった。音はだんだんと近づいて、弘観のすぐ横で止まった。 「お前さん……待ってたんだね」  寄りかかるほどに近く、お邑は座った。乱れた吐息が弘観にかかる。  鼻につんと臭ったのは鉄のような血の臭いだった。またありもしない血をかぎ取っていると思ったが本物の血だった。お邑の腹には脇差しのような小刀が刺さっていた。 「お邑! 誰に刺された!?」 「……さあね。そんなのわかりゃしないよ。知りたくもない」 「そんなはずがあるか! 身に覚えぐらいあるだろう!」 「身に覚えはあるよ。お前さんと同じさ。恨まれることなら数えるのも馬鹿らしいほどしてきたよ」  弘観は大太刀を掴んで駆け出そうとした。しかしお邑のか細い声を聞き逃さなかった。 「待ちなお前さん。そんなもの持って駆け出したって、なんの役にもたたないよ」 「お前を刺した奴を殺す」 「よしなよ。仇討ちに意味なんてないこと、お前さんが一番よく知ってるじゃないか」 「…………」  弘観は大太刀を掛け直してお邑を抱えた。 「刺し傷はどうのように手当をすればよいのだ。今すぐにでも医者を呼んだ方がよいのか」 「治りゃしないよ……内臓もやられてるからね」  話すのも辛そうにお邑は肩で息をしている。  弘観はどうすればよいか分からず、腕の中で息をするお邑を見つめ続けた。はあはあとお邑の息だけが聞こえる。 「……お前が惚れていた長州者の浪士。すまぬが覚えておらぬ。しかし無駄な殺生はしておらぬ。ゆえに悪いとは思っておらん」 「…………」 「お前の気が晴れぬと言うのなら、腹に刺さった刀を抜いて、私の首を斬れ。力が残っておらぬのなら手を添えてやる。だから、恨みを抱えたまま死ぬな」 「殺したいなんて、一度も考えたことない。あたしの弔いを済ませてから死んでちょうだい」  弘観はお邑の小さな手を取った。冷たくて柔らかい手だった。 「お邑……おまんのことを好いちょる」  お邑はぼうっと無表情になった。死んでしまったかと思ったが、そうではなかった。  目を細めて、痛みに堪えるかのように唇を歪ませながらお邑は言った。 「なにを言ったか分からないけど、あたしはお前さんのことが嫌いだよ」  咳とともに血を吐き出し、お邑は身悶えした。  弘観は大太刀に手をかけた。力が入って見開いた眼を、お邑はゆっくりと瞑≪つむ≫った。その姿はまるで横たわる菩薩≪ぼさつ≫のようであった。  苦しむことなく浄土へ帰すため、弘観は大太刀で素早く首を斬った。
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