2 些細な気まぐれのせいで、運命は変わってしまった。

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2 些細な気まぐれのせいで、運命は変わってしまった。

 年末の大掃除は、横道にそれる行為こそが王道である。そう言っても過言ではないほど、誘惑が多いものなのかもしれない。賢人もまた、その魔力に引き寄せられた一人だったようだ。  いらないものを片付けて、と頼んだはずなのに、賢人がいつまで経っても戻ってこない。しょうがないので、屋根裏部屋に様子を見に来たらこれだ。  床に座り込んだ賢人は、真剣な表情で、古い冊子を読みふけっていた。油断も隙もない。 「何サボってんの」 「サボっているのではない。新しい研究テーマとして、女子高生をAIにして、小説を書かせたらどうなるか、という謎に挑戦しようとしているのだが、まずはその準備段階として、八神真名(やがみ まな)という人間サンプルのデータを収集中なだけだ」 「ちょ、勝手に見ないで」  私は賢人から冊子を取り上げた。小学校の文集のようだ。      ※    いつかお兄ちゃんみたいになりたい    三年二組  八神 真名  うちの新しいお兄ちゃんの名前は、征士郎と書いて「せいしろう」と読みます。うちのお姉ちゃんと結婚したので、ギリの兄というやつだそうです。本当は弟がほしかったけど、お兄ちゃんもほしかったから、とっても嬉しいです。  征士郎お兄ちゃんは、いつか「りょうさんがた博士」になりたいんだそうです。自分でそう言ってます。お兄ちゃんいわく「とりあえず、博士号を取るだけ」でいいんだって。  これからずっと生きていても、ノーベル賞を取る可能性はゼロだし、お兄ちゃんの研究で世界が進化することもないだろうし、ようするに、いてもいなくてもいっしょの「名前だけの博士」の一人にすぎない「りょうさんがた博士」でいいんだって。  なんかヘンなの。ロボットの名前みたいだよね。  世の中には、本当に頭の良い人がもっとたくさんいて、その人たちが世界を変えてくれるから、少しでもそのお手伝いをできれば、それでいいって言ってました。自分は世界の平和を守るので忙しいからって。どういう意味かよくわかりません。  小学三年生の私からすると、お兄ちゃんは、とっても頭が良いです。小学校、中学校、高校とずっと、学年で一番だったんだって。  すごいよねぇ。  いったい、いつ勉強してるんだろうって不思議に思います。  だって時々家に遊びに来ていた時は、いっつもボーっとしてるか、本を読んでるか、そういう姿しか見たことないんだもん。  ほんと、不思議。  時々、テストの時は、お兄ちゃんの頭を貸してほしいって思います。  背もおっきくて、百八十センチもあります。顔も美人さんだったというお母さんに似ているらしく、けっこうハンサムだと思います。  残念ながら、私はなんかフツーです。顔もフツーだし、背もちっこくて、しょんぼりです。  テストだって、いっつも七十点ぐらい。球技も苦手で、バレーボールとかすると、よくぼかーんと頭にボールが当たってイタイです。  お兄ちゃんに家庭教師をしてもらったり、スポーツもいろいろ教えてもらったけど、全然かしこくも、上手にもなりません。私も大きくなったら、いつかお兄ちゃんみたいになれる日がくるのかな。      ※  どこかの段ボールに紛れていたのだろう。よりによって、若気の至りで征士郎さんのことを書いた、黒歴史な作文が載っている文集をチョイスするなんて。できることなら、賢人には見られたくなかったやつだ。恥ずかしすぎる。 「知らなかったよ。将来の夢が、兄貴みたいになることだったなんて」 「ち、違うから!」 「いろんな意味で難しいと思うぞ。身体面は努力のしようがないが、頭脳面に関しても、スペックがあまりに違いすぎるからな」 「余計なお世話です。どうせ私は、お兄ちゃんと違っておバカさんですよ」  文集を丸めて叩いた、賢人の頭は良い音がした。てっきり中身が入っていないほうが、鳴りやすいのかと思っていたが、違うようだ。 「痛いだろ。壊れたらどうするんだ」 「機械じゃあるまいし、このぐらいで人間が壊れるわけないでしょ」  私に怒られたことも気にせずに、賢人は別の段ボールから古いアルバムを取り出した。私の赤ちゃんの頃の写真が載っているやつだ。 「だからもう、勝手に見ないでって言ってるでしょ」  赤ちゃんの頃とはいえ、全裸をみられるのは恥ずかしい。アルバムを取り上げられた賢人は、怪訝そうな表情で私を見た。 「こんな赤子の裸で僕が欲情するとでも思っているのか。さすがにそんな偏った性癖はない。実に心外だ」 「うるさいです」  アルバムや文集を段ボールに片付けてから、賢人を睨みつける。 「まだ掃除終わってないんだから、ちゃんと働いてください。そうじゃないと、年越しそばの海老天ぷらは、私がもらうからね」  亡くなった征士郎さんも賢人も、蕎麦が大好物だったが、今の賢人は蕎麦があまり好きではない。事故の後遺症で味覚が変わったらしい。  海老天ぷらが食べられるというオプションのためだけに、年越しそばという儀式に付き合っているタイプの男である。海老天ぷらを封じられるのは不本意なはずだ。 「おねーちゃーん。賢人……じゃなかった、征士郎お兄ちゃんが、海老天ぷら全部いらないってー」 「おい、やめろ」 「だったらちゃんと働いて」  しぶしぶという様子で立ち上がると、賢人は部屋に戻って、掃除の続きをやり始めた。 「たまに帰ってきた人間を、こき使うのはどうなのか」 「いつもやってくれないから、使うんじゃない」 「この超絶高価な僕の義手を使って、雑巾絞りをやれというのか、お前は」  左手の義手を隠すために使っている黒い革手袋を、これ見よがしに見せ付けてくる。  本当は手袋などしなくても、わからないぐらいに精密な義手だったが、左手に何かを宿している厨二病的な雰囲気を出したくて、わざとつけているらしい。  頭は良いくせに、思考回路は案外ガキである。 「はいはい。だったら掃除機でもかけてください」  賢人が実家にいるのは年明けまでだ。すぐに東京へ戻ってしまう。今は大学近くのボロいアパートに下宿しているようだが、普段はほとんど戻ってこない。  だから、家族が揃うのも久しぶりだった。せっかくの家族団らんだとは思っていても、ついガミガミと怒ってしまう。  私のせいではない。賢人が悪いのだ。  賢人があまり実家に長居をしないのは、きっと征士郎さんが亡くなってからずっと、夫だと思い込んで接してくる、姉の扱いに困っているからだろう。 「なんで僕のことは呼び捨てなんだ。兄貴のことは、お兄ちゃんって言うくせに」 「それは、あれだよ。二人ともお兄ちゃんって呼ぶと、なんかややこしいし」 「今は……一人しか、いないだろ」 「いなくても……いるよ」 「……お前まで、僕を存在しないことにしたいのか」  賢人の声は少し震えている気がした。 「そ、そんなにお兄ちゃんって呼んで欲しいなら、これからは、お兄ちゃんって呼んであげようか」  わざと明るく言ったつもりだった。だが変に意識しすぎて、声が裏返った。 「別に、呼び捨てのままでいい」  ムスッとした表情で、賢人は掃除機のコードを引っ張り出している。 「ニャー」  窓ガラスを拭いていると、足元にすり寄ってきた猫ロボが、急に甘えた声で鳴き始めた。 「どしたの」  抱き上げると『蛍の光』のメロディが鳴り始めた。首輪に付けられた小さなモニターに、メッセージが表示されている。 『百円を課金してください』  賢人が仕込んだ悪ふざけだろうか。よくわからないが画面をタップすると、さらにメッセージが表示された。 『さもなければ、僕の心は壊れてしまいます』 「心が壊れるって、どういうこと」 『僕は定期的に課金エネルギーをもらわないと、心を保てないのです』  さらにメッセージが表示される。 『たった百円で僕の心は救えます。助けてください』  制限時間のカウントダウンが始まった。どうやら残り時間は五分らしい。 『電子マネーのカードか端末をかざしてください』  私はため息をついた。賢人に向かって、猫ロボを見せつける。足がだらーんと伸びて足場がないと落ち着かないと判断されたのか、猫ロボの足は空中をかいている。 「なにこの課金システム」  賢人はネギを背負った鴨を見る猟師のように、ニッコリと満面の笑みを浮かべた。 「世界中に、猫好きな人がいることを考えると、猫ロボを使った、この課金システムなら、世界規模で金儲けができるのではないか……という仮説を、今実証しようとしているだけだ」 「そんな研究はやめてください」 「制限時間がもう残り少ないぞ。いいのか、そいつが動かなくなっても」  カウントは残り一分を切っていた。猫ロボがニャーと悲しそうに鳴く。私は慌てて自分の部屋に戻ると、財布から電子マネーカードを取り出す。  首輪の小さなモニターにかざすと、ピッと音がしてカウントが止まり、『助けてくれてありがとう』という新しいメッセージが表示された。ようやく『蛍の光』の曲も止まった。  まんまと百円をふんだくられたようだ。なにが誕生日プレゼントだ。むしろ搾取されているのはこちらではないか。  猫好きな人の清らかな心を、課金で測るなんて。なんて悪魔なシステムを考えついたのだろうか、我が義兄は。  てっきり私を喜ばせるために、作ってくれたと思っていたのに。信じられない。神経を疑う。  いや、むしろ予想通りというべきか。そんな極悪システムに、まんまと金を巻き上げられる自分にも泣けてきた。賢人を信じた私がバカなのだ。  気がつくと、賢人の姿が見えなくなっていた。 「……逃げたな」  賢人を探してうろうろしていると、居間にいるところを発見した。コタツに潜り込んで本を読んでいたようだ。賢人が読んでいるのは、私がオススメした小説だった。 「またサボってるし!」  賢人は大学では人工知能の研究をしている。送りつけてきたペットロボ以外にも、以前から人の記憶をAIで再現しようとしたり、受験勉強用のアプリを試作していたりした。  最近は小説を書くAIを作っているらしいが、参考用のデータとして、今時の女子高生が好きそうな小説が知りたいと賢人に聞かれ、いくつか教えたうちの一冊だった。 「……ちゃんと読んでるんだ」 「ああ」 「面白い?」 「ホラーだと思えば多少は」 「は?」 「女子高生ヒロインの行動が、常識を逸脱している。片思いをしている男性教師を、毎日待ち伏せし、いくら断られてもしつこく付きまとう。職を失うリスクがある状態で、追いかけ回される男性教師側からしたら、恐怖でしかない」 「恐怖って……おかしいな。私が貸したのって、切ない片思いの物語だったと、思うんだけど」 「一連の恐喝行為は、ヒロインが美しい女子高生だから、許されているだけだ。同じことを男性教師側がしたら、通報されて終わりだろう。心中察するに余りある。可哀想に」  賢人には、苦悩している教師の姿でも見えているのか、やけに神妙な表情をしている。 「これはフィクションですよ。いちいち通報なんかしてたら、物語が始まらないんですが。そこで引っかかってるようだと、ほとんどの恋愛小説なんて、事案だらけだよ」 「だからホラーだと思って、僕は読んでいるのだが」 「ホラーじゃなくて、恋愛ものです」 「自分勝手な恋心のせいで、恋愛どころか他人の人生まで終了するんだぞ。しかも属性が変わるだけで、同じことをしても全く結果が異なってしまう。これがホラーでなくて、なんだというんだ」  私は大きなため息をついた。  さすがは恋愛フラグをへし折ることにかけては、天才的な男だけはある。昔からいつも恋愛感情にうとすぎて、彼女に愛想を尽かされるパターンが多かったらしい。今も相変わらずのようだ。  黙っていれば、格好良くてモテるタイプのはずなのに。どうしてこうなった。 「賢人には……乙女心なんて一生わからないのかもね。人の気持ちなんて考えない鈍感系男子だから」  私の嫌味を聞いても、賢人は何も答えずに、小説を読み続けている。  静まり返った部屋に、柱時計の秒針の動く音が、やけに鳴り響いているように感じられた。  少し言いすぎたかもしれない。謝ろうかと思った瞬間、吐き捨てるように賢人がつぶやいた。 「心配するな。他人の気持ちなんて、一生かけたって誰にもわからないよ。たとえ家族であっても。自分の心でさえ、わからないんだから」  そう言った賢人の横顔は、なんだか怒っているようにも見えた。 「でも、わからないから、知りたいと思うんじゃないのか。だから僕は、人工知能の研究をしているんだと思うよ」  本を閉じた賢人は、棚上の写真立てに目をやった。  半年前に撮影した写真だ。初めて家族みんなで出かけた海外旅行だった。  青い海と空が見えるハワイの結婚式場で、ウエディングドレスを着た姉と、白いスーツを着た征士郎さんが笑っている。その両脇には私と賢人が、少し不機嫌そうな顔をして写っていた。  姉と征士郎さんは、お互いに小さい頃に両親を失っていたこともあり、家族を持ちたいという願望が強かった。  そんな二人は学生結婚をしたが、しばらくは勉学に忙しく、先延ばしをしているうちに機会を失い、結婚式も新婚旅行もしていなかった。  だが、ある日テレビ番組で、年を取った老夫婦に、海外での結婚式をサプライズでプレゼントするという場面を見た姉が、「あら素敵」と口にしたことから、征士郎さんが姉の誕生日に合わせて、サプライズ旅行を計画するに至った。  私と賢人はいわゆる姉夫婦の、ラブラブ大作戦とやらに巻き込まれたというやつだ。「ハワイ旅行をしたい」と、私が駄々をこねているという茶番から始まり、姉に悟られないようにドレスや指輪を用意し、結婚式場も旅行のチケットも手配した。  すべてを完璧に準備したはずだったが、私の棒演技のせいで、姉には全部バレバレだったようだ。  けれど姉はものすごく喜んでくれた。妹と義弟が見ている目の前で、抱き合って濃厚なキスを続けるぐらいには。  私と賢人がどれだけ目のやり場に困ったかは、想像しなくてもわかるだろう。  だが私は別の意味でも気まずかった。  二人のキスを見せつけられて、気づいてしまったからだ。私はいつの間にか、義兄の征士郎さんを好きだったということに。  まだ初恋にすらなっていなかった、淡い甘酸っぱい気持ちに。始まる前に終わってしまった。壊れたときに初めて気がついたのだ。  しかも、私の隣にいた賢人もまた、何かを失ったような、悲しくて苦しそうな、私と同じような表情をしていた。  ふいに賢人と目があった。その瞬間にわかった。私たちはお互いに、一生叶うことのない思いを心に秘めていたことが。  私たちがそれを口にした瞬間、うちの家族は崩壊してしまうかもしれない。そう思うと怖くて誰にも言えなかった。  だからお互いに黙っていた。引きつった笑顔で、結婚式をなんとか乗り切った。ずっと涙が溢れそうになるのをこらえていた。  式が無事に終わり教会を出ると、タクシーでホテルへ向かうことになった。姉や征士郎さんと話をするのが気まずかった私は、逃げるように助手席に乗り込んだ。いつも通りなら助手席には、賢人か征士郎さんが座るはずだった。  だが、その時に賢人と征士郎さんの、運命は変わってしまったのだ。私の些細な気まぐれのせいで。  背後から大型トラックに突っ込まれ、後部座席に座っていた姉と征士郎さん、賢人の三人が巻き込まれた。  征士郎さんは治療も虚しく、搬送された病院で死亡、残りの二人はなんとか命は取り留めたものの、左手を切断する重症を負った賢人は、しばらく昏睡状態が続いていた。  賢人が意識を取り戻した時には、いくつかの記憶を失っていた。  結婚式があった日のことはもちろん、賢人はなぜか姉のことだけ、まったく覚えていなかった。  運命というのは皮肉なもので、あんなにも切ない表情で見つめていた、愛する相手のことを忘れてしまうなんて。  自分だったら耐えられないかもしれない。いや、覚えていないのだから、苦痛を感じることすらできないのだ。  しかも姉は、目の前で夫を失ったというショックのあまり、賢人のことを征士郎さんだと思い込んでいるなんて。こんなことってあるだろうか。あまりに酷い仕打ちだった。  だが愛してはいけない相手を愛していたという状況を、すべて忘れてしまえるというのは、むしろ賢人にとっては幸せだったのかもしれない。  もちろん本人がどう思っているかなんてことは、私にわかるはずもなかった。かといって真実を聞けるわけもない。  賢人が姉を見るときに、時々なんだか寂しそうな目をする。その理由を、賢人も姉も知らない。  知っているのは私だけだ。きっと一生、私はこの秘密を、心に秘めたまま生きて行くのだろう。  家族全員が一緒に揃っていたのは、教会で記念写真を撮影した、その日が最後になった。  残っているのは、不完全でいびつな家族だけだ。  記憶を失った今の賢人は、厳密に言うと、賢人であって賢人ではないのかもしれないし、心を失った姉だってそうだ。  あの日を境に、みんなどこかが壊れてしまった。 「本物のお兄ちゃんに会いたいんだろ」 「え?」 「もうちょっとだけ、待ってくれ」  賢人はそう言い残して、居間を出て行った。そのまま征士郎さんが、昔使っていた部屋に閉じこもって出てこなかった。  あの日からずっと賢人は、征士郎さんになろうとしている気がする。本物の偽物になるために、征士郎さんがなりたかった量産型博士を目指して、人工知能の研究を続けている。  それが私のためにできる、唯一のことだと信じているようだ。  そんなことをしたって亡くなった征士郎さんや、賢人の失った記憶の代わりにはならないのに。  賢人は頭は良いがバカだと思う。救いようのないぐらいに、優しい愚か者かもしれない。
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