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8 俺様はずっと待ってたんだ、この時を。
あのあと、本物の先輩は無事に戻ってきた。
死に場所を探して、街のあちこちを放浪し、何度も死のうとしたらしいが、怖くてできなかったらしい。
先輩は体は大きいが、気が弱いところがある人だ。死ぬのを先延ばしをしたおかげで、結果的に助かったというわけだ。
もし、あのまま私たちが、先輩の家に行かなかったらと思うとゾッとする。とにかく無事で良かったのは確かだ。
双子の人生を狂わせたのは、先輩の気の弱さのせいかもしれないが、そのおかげで先輩は死なずに済んだ。ある意味それは、皮肉なことかもしれない。
兄である和樹さんは警察に捕まった。一件落着かと思いきや、連続襲撃事件はまだ続いていた。それまでに発生したいくつかの事件については、先輩の兄が犯行を自供したものの、すべての事件の犯人ではないと主張しているらしい。
まとめサイトなどで拡散されたこともあって、模倣犯が混じっていたのかもしれない。警察の捜査は、まだ続いているようだ。
賢人の怪我も、幸い大事には至らず、検査入院をして問題ないということで一安心した。
賢人は今日の夜には東京に戻る予定だったが、その前に、一度実家に立ち寄ることになっていた。
ノックもせずに私の部屋に入ってきた賢人は、勝手にベッドに座った。と思ったら、猫型ペットロボを捕まえて、いろいろと体をチェックをし始めた。
「お前のレポートを見たが、なかなか使い心地は良かったようだな」
「あれのどこを読んだらそうなるの。私は苦情しか書いてませんけど。度重なる課金とか、課金とか、課金とか。子供からどれだけお金を巻き上げたら、気がすむんですか」
「心配するな。そのためのモニターだ。もう少し課金頻度を下げれば、お子様相手でも十分使えるだろう」
「絶対にダメだからね、あんな鬼畜システムを、世の中に出したら」
賢人はニッコリと笑う。
「民衆が本能的に恐れを抱くモノほど、世間には広がっていくものだ。今に始まったことじゃない。文明や科学なんてものは、そうやって発展してきたんだ。お前のような高校生のガキが心配することじゃない」
頭の良い人の考えることは、私にはよくわからない。相変わらずの研究バカのようだ。
賢人が、猫ロボの前足を掴んで持ち上げた。びろーんと長く伸ばされた後ろ足が、つかまるところをなくして宙をかいている。猫ロボは不安げに、ニャー、ニャーと鳴いている。
「あーもう、そんな変な持ち方しないで。可哀想でしょ」
「耐久度のチェックをしているだけだ」
「やめてあげて」
賢人から猫ロボを取り返した。いくらロボットだって、扱い方というものがあるだろう。これだから研究バカは。
「人間よりも、ロボットに優しいというのは、どういうことだろうか」
「だったら、優しくされるような行動をしたらどうですか」
「もし僕がロボットになったら、優しくしてくれるのか」
「何言ってるの。賢人は人間でしょ」
「……そうだったな」
賢人が目を伏せた。なんだかいつもの賢人らしくなかった。
ふいに猫ロボの首につけられた小さなモニターから、『蛍の光』の曲が鳴り始めた。また課金のお時間のようだ。
さすがに毎回のように、電子マネーのカードをかざすわけにもいかないので、執事の藤堂に頼んだら、口座番号を登録してくれたようだ。
制限時間が始まったら、自動引き落としがされるように設定してあるらしい。
課金が終了したのか『蛍の光』の曲が止まった。一連の課金のおかげで、私の貯金はギュンギュン目減りしているにちがいない。恐ろしくて、残高は確認していない。
ちなみにこの課金モードというのは、猫ロボが不愉快な扱いを受け続けると、ストレスメーターが溜まって、発動するようになっているようだ。
つまり今回の課金に関しては、明らかに雑な扱いをした賢人のせいだ。
まったくもって余計なことしかしない。このモニターが終わったら、絶対に全額返してもらおうと思っている。
「休みの間に、また家族を騙して、直都くんとデートとやらに出かけないのか」
「行くわけないでしょ」
「なんで」
「引越し先も知らないし、連絡先も変わっちゃったみたいだし」
兄の和樹さんがこんな事件を起こして、噂の広がるのが早い地方では、住みづらいのだろう。
またどこかへ引越しをするということだった。新しい住所は教えてもらえなかった。
小説の出版の話も、たち消えになったらしい。きっとこのまま、二度と会うことはないのかもしれない。
「完全に振られたというわけか」
「おかげさまで。誰かさんのせいですね」
「どこの誰だろうな。悪いやつがいるもんだね」
賢人がニッコリと笑った。このやろう。わかっていて、私をからかっているのだ。
「良かったじゃないか、お互いに無事だったんだから」
「それは……そうだけど」
確かに、ちゃんと生きて再会することはできた。土下座をして謝る先輩が「これまで通りというのはやっぱり無理だから、別れてくれ」と言った。正真正銘の破局というやつだ。
もともと自然消滅状態ではあったから、覚悟をしていたとはいえ、実際に本人から言われると、思った以上にその言葉のダメージは大きかった。
だが、しょうがない。恋愛は相手がいなければできないことだ。相手が無理というのなら、諦めるしかない。
私の方にも、失恋の痛手を忘れるための打算のようなものがあったのも事実だ。
とはいえ、それなりにダメージがあったということは、少しは先輩のことを好きになり始めていたのかもしれない。今となってはもうわからないけれど。
世間一般に、初恋は実らないということらしいし、初交際だって、上手くいかないのは、よくあることなのだろう。
結局、初恋だけではなく、私の初交際もまた、苦い思い出とともに、まともに始まる前に終わってしまったようだ。
「ガキには恋愛なんて、まだ早いということだ」
「偉そうに。そういう賢人は、恋愛経験がさぞかし豊富なんでしょうね」
「まぁ、お前よりはな」
いちいちムカつくやつである。三つも年上の男子が、対抗心を燃やしてマウントを取ろうとするなんて、恥ずかしくないのだろうか。
ふいに、頭の中に疑問が浮かんだ。聞くつもりなんかなかったのに、つい口をついて出ていた。
「その賢人は……好きな人とか、いたりするの」
「いた……はずなんだが。残念ながら、覚えてないな」
いつもよりハスキーな声にドキッとして、顔を上げた。気がつくと、賢人の顔が目の前にあった。
なんだか目の色が、まるでカメラのフラッシュが当たった写真みたいに、赤く光っている気がする。
《そんなに知りたいなら、教えてやろうか》
ふいに両手を掴まれて、ベッドに押し倒された。賢人の力が強くて、身動きができない。
「ちょ、ちょっと何、どうしたの。ふざけてんの」
《俺様はずっと待ってたんだ、この時を》
いつもの賢人の声ではない。地の底から響くような低く、太いバリトンボイスに変わっていた。
《お前のような小娘に、鬼が消滅させられるなど、絶対にあってはならない。俺様のプライドが許さないからな》
「鬼? なにそれ。また厨二病な設定ですか」
《お前は知らぬのか。鬼である俺様が、忌々しいこの男の中に、封印されているということを》
「もう、だからなんなの。鬼とか封印とか、また変な小説でも読んだの」
《そうか。術式を発動するその時まで、ただの器でいてもらわないといけないというわけか。哀れな人形よのう》
「ただの器って、なんのこと」
賢人の体から、黒いオーラのようなものが、ゆらりと立ちのぼり始めた。
《この男もこのところ、力を使いすぎたのだろう。征士郎の施した二重結界は徐々に弱まっていたところに、さきほど一瞬だけ、心が大きく揺らいだ。そのおかげで、俺様はこうして表に出ることができた。感謝するぞ、小娘よ》
「二重結界って、何の話をしているの」
《奇跡の術式を体に宿した、お前さえ殺せば、いずれこの世界は、俺様のものになる》
黒いオーラをまとった賢人が、私の首に手をかけた。徐々に力が入って、締め付けてくる。
「やめて、賢人。なんで……そんなこと」
その瞬間、扉が開き、執事の藤堂が部屋に入ってきた。
「申し訳ありません、賢人様。緊急事態ですので」
目にも留まらぬ速さで、藤堂は距離を縮め、賢人を蹴り飛ばした。壁に激突した賢人はうめき声を上げた。
「すまない、藤堂。助かったよ」
賢人の体から黒いオーラは消え、声も、目の色も元どおりになっている。
「どういう……こと」
「……なんでもない」
「なんでもないわけないじゃない」
「お前は知らなくていいことだ」
「鬼を封印って、征士郎お兄ちゃんの二重結界って、どういうことなの」
「あのクソ野郎。余計なことを」
賢人が殴打した体を撫でながら、大きなため息をついた。
藤堂が賢人を助け起こしながら言う。
「もうお話してもよろしい頃では。そろそろご理解できるお年頃だと思いますので」
「……わかったよ」
しぶしぶという様子で賢人が頷いた。
「真名、よく聞け。僕たち鬼流家は、鬼の血を引く一族なんだ」
「鬼の血……?」
「何千年も昔に、人間の女を愛した鬼がいたらしい。禁忌を犯した二人は、鬼族にも、人間にも迫害されて、里を追われた。だが、山奥でひっそりと生き延びていたらしい」
何を言っているのか、なかなか頭に入ってこない。きっと半分以上も理解できていなかったかもしれない。
鬼なんてことを言われても、それは物語の中の話だけだ。現実に存在するなんてありえない。だが賢人は真面目な表情のまま話を続けている。
「生まれた子供は、見た目は人間と変わらず。おかげで普通の人間のように生きて、子供まで作ってから死んだそうだ。自分たちの世代で終わらせておけば良かったものを。迷惑な話だろ」
賢人が小さく笑う。
「やがて月日が経ち、鬼という存在すら伝説になった現代、僕は、忌むべき子供として生まれてきた。鬼の血を強く引いた僕は、その力ゆえに、生まれてくるのと同時に母の命を奪った。赤子の僕は鬼の力を制御できず、暴れるのを抑えようとした父も、無意識のうちにその手にかけたらしい。生まれた瞬間から、人殺しというやつだ。さすが鬼の子だとは思わないか」
賢人は乾いた笑みを浮かべると、髪の毛を触って、光に透かした。
「今は黒く染めているが、生まれた時は銀髪だった。先祖返りというやつだ。目も光の加減で赤く見えることもある。お前がさっき見たのもそれだ。怖かったろ。すまなかったな」
伏し目がちに賢人が言う。こんなに素直に謝る賢人は、初めて見たかもしれない。
「僕の中には、鬼がいる。代々鬼退治の巫女をしてきたという八神家に、封印をしてもらい、これまではなんとか普通の人間として暮らしてこれた。あの事故に遭うまでは」
賢人の左腕を見た。偽物の先輩から、私を守るために壊れた義手は、まだそのままだ。
「半年前の事故で、左手を失い、僕は死にかけた。その痛みとショックのせいで、僕の中の封印が弱まり、鬼が暴走してしまったんだ」
そんなことがあの日起こっていたなんて。私は衝突のショックで気絶し、病院で目覚めただけなのに。
「僕の暴走を止めるために、香織さんは封印を掛け直そうとした。だが、鬼の力が強すぎて効果がなかったらしい。仕方なく兄貴は、瀕死の重傷状態だったにもかかわらず、禁断の封印術を試みることにした」
「禁断の封印術って?」
「自らの魂を使った、強力な封印術。それがやつの言っていた二重結界だよ」
「それじゃあ、征士郎お兄ちゃんは」
賢人は自分の胸に手を当てた。
「僕の中に存在する。魂だけとなって」
「そんな……」
「当時の記憶は僕にはない。すべて藤堂から聞いた話だ。気が付いたらすべてが終わっていた」
私も何も知らなかった。何も知らないで、これまでずっと。
ならば姉は、賢人の中に征士郎さんの魂がいると知っていたから、心が壊れた後も、無意識のうちに征士郎さんとして扱っていたのだろうか。
自分がもう助からないという状態で、弟を救うために命と魂を投げ出した征士郎さんの気持ちと、自分の力が及ばなかったせいで、結果的に愛する人を失う羽目になった姉のことを思うとやるせない。
きっと姉は心を壊すことでしか、耐えきれなかったのかもしれない。
「お前の残念な頭では、いきなりすべてを理解するのは無理だろうが」
「うるさいです。いちいちディスらないでいいです」
頭を撫でられた。犬や猫を撫でるみたいに。
「いつか本物の征士郎兄ちゃんに合わせてやる」
「そんなこと……できるの」
「僕と同じAIを作り上げることで、もしかしたら電脳的に鬼を移植して封印できる可能性もあるかもしれないと期待しているんだ。そうすれば、僕の中で魂となっている兄貴も封印をする必要がなくなるから、AIに移植することができるかもしれない。そうすれば、お前の大好きな、征士郎兄ちゃんに、また会えるはずだ」
征士郎さんにまた会える。そんなことが。嘘みたいだ。あまりに荒唐無稽なことだが、賢人ならやりかねない。そんな気がしていた。
「兄貴が僕のためにすべてを投げ打ったのは、どうしようもなかったことなんだろう。感謝もしている。でも僕は怒ってるんだ。勝手なことしやがって。だからいつか、兄貴の魂を復活させることができたら、思いっきり殴ってやる。まぁいつになるかはわからんが。お前も楽しみにしていろ」
私は小さく頷いた。
「ちなみにお前が普通の人間より少々おバカなのは、鬼を殺すための術式が、お前のちっこい脳みその中に収められているからだ」
「鬼を殺すための術式?」
「実はな、鬼を封印する術式が、まだ作り出せていなかった旧時代は、力の強い鬼は、街ごと吹き飛ばすのが普通だったらしい」
「ちょっと、大雑把すぎませんかね、それ」
「今でいうところの核兵器みたいなものだ。一つの街を焼き尽くすほどの力が有る、強力な術式だったそうだ」
考えただけでもゾッとする。
「どうしてそんな恐ろしいものを」
「凶悪な鬼を殺さないと人間が滅びるなら、街一つぐらい犠牲にする。それが大昔の巫女たちが選べる最終手段だっただけだ。それしか生き延びる方法がなかったからな」
「そんな……酷い」
賢人は窓の外を眺めながら言う。
「たぶん、人間界が産み出した自浄作用みたいなものなのかもしれないな。ある程度時間がたったら人間や文明を壊して、エネルギーの枯渇を防ごうとする、鬼が自然災害みたいなものだったのかもしれない」
「自然災害……」
「だから凶悪な鬼が復活する頃に合わせたように、その術式を生まれながらに宿した巫女もまた、生まれてくることになっていたようだ」
賢人が私をお尻を指差した。
「お前、星型のアザがあるだろう」
「あるけど……ってなんで知ってんの」
「それが選ばれた巫女の印だ」
「だから、なんで私のお尻を」
「お前の記憶の中にある術式を解放すれば、この近辺は簡単に吹き飛ぶだろうな」
「そんな怖いものが、私の中に入ってるってどういう」
「心配するな、鬼が完全に復活しなければ、その記憶の術式が解放されることはない」
それを防ごうとして、征士郎さんは命を投げ出して、強力な二重結界を作ったのか。ならば本当に守ろうとしたのは。
「じゃあ、もし、私が死んだらどうなるの」
「新しい巫女が生まれる前に、鬼が完全に復活したら、どうすることもできない。下手をすると、この世界は滅びるだろうな」
「そんなことって。私どうすれば」
「どうもしなくていい。お前が死ななければいいだけだ」
「そんなこと言われても」
「大丈夫だ、鬼を完全に封印できるようになるまでは、お前のことは必ず僕や藤堂さんが守る。兄貴にも、頼まれているからな」
征士郎さんに。心臓がドキリと跳ねた。
「お前を守ることは、この世界を救うことに等しい。だから僕が腕を一本失ったことぐらいは、気にやむことではない。もう自分のせいだなんてことを考えるのはやめろ。わかったな」
賢人は私の頭を優しく撫でた。やっぱりこの人は、どうしようもなく優しいバカだ。
「ただし、もしどうしても、僕自身が凶悪な鬼になってしまった場合は、お前の記憶の術式を解放して、鬼ごと僕を消滅させる手筈になっている」
「消滅って」
「いざという時は、頼むぞ。しっかりと僕を殺してくれ」
「嫌だよ、そんなこと」
賢人が私の頬を撫でて、涙を拭った。賢人の目が一瞬、赤色に煌めいた気がした。
私が見ているのは、一体誰なのだろう。本当に、賢人の中に征士郎さんと鬼がいるなんて。
しかも私が、いざというときは、術式で殺さないといけないなんて。そんなの信じろと言われても困る。
「という話を、次の新人賞に応募しようと思ってるんだが、どう思う」
「は?」
「僕の開発した最新型AIが完成させた話だ。案外よくできてるだろ。お前が涙するということは、女子高生を泣かせる効果ぐらいはあったということになるが……」
「ちょ、ちょっと待って、どこまでが本当の話で、どこからが作り話なの」
「全部作り話に決まってるだろ」
「え、嘘、でも私の星型のアザは」
「そんなものは、お前の赤ちゃん時代の写真を見れば、誰でも確認することができる特徴でしかない」
「なんか目の色が変わったり、声が変わったりしてたよね」
「僕が昔からマジックが得意なことを忘れたわけじゃないだろうな。形態模写だって可能だ」
賢人は声真似をして見せた。
「そんな……」
「お前が好きそうな義理の兄妹同士で殺し合う羽目になるという、お約束の和風ファンタジー要素まで盛り込んでやったんだぞ。ありがたく思え」
「思えませんから」
どうやら私は、賢人の悪ふざけに付き合わされたようだ。
「大丈夫だよ。絶対にお前を、世界を救う道具にはさせないから」
そう言って、私の頭を撫でる、賢人の目は優しく見えた。声も征士郎さんにそっくりだ。
「ふざけないで。征士郎お兄ちゃんの声真似をするなんて、不謹慎すぎるでしょ」
急に賢人の目が赤く光って、私の体を押し倒した。
《ならもっと、不謹慎なことをしてやろうか》
「え、ちょっと、何」
賢人の顔が近づいてくる。なんで。どうしてこんなこと。
「やめろって言ってるだろ、クソ鬼!」
賢人が左手の義手で、自分の首を絞めている。賢人が苦しみながら遠ざかっていく。
《せっかくお馬鹿な小娘を、この手でいたぶってから殺してやろうと思ったのに》
赤い目をした賢人が、低い声で言う。
「させるか、クソ鬼」
同時に賢人の声が重なった。
「どういうこと」
「あとちょっとで、ごまかせるところだったのに余計なことを」
息の上がっている賢人が、忌々しそうな表情をした。
「なら、さっきの話は本当なの」
「まぁな。というわけで、お前は僕の中にいるクソ鬼やろうに、命を狙われる運命を背負っているということだ。ご理解いただけたかな」
「ご理解いただけないよっ」
「そう怒るなよ。僕だって、なんとか鬼を出さないように努力はしている。だが、日に日に鬼の力が強くなっていてな。少し気をぬくと、体が乗っ取られてしまうんだ。いくら優秀な僕だって、二十四時間ずっと気を張り続けるわけにもいかない。僕が寝ているときは、兄貴が頑張ってくれているらしいが、限界はある。これでも僕自身は生身の人間だからな」
賢人は左腕をさするように触った。
「この義手に封印を強化する術式を組み込んで、少しは補強をしてはいたんだが。お前を守るときに故障して以来、うまくその制御ができていないんだ」
「……ごめんなさい」
「いちいち謝るな。あれは不可抗力だ。お前のせいではない。いずれまた新しい術式で調整できるまでは、こんな調子だが気にしないでくれ」
また賢人の目が赤く光り、低い声になり、ニヤリと笑う。
《いつでも俺様が可愛がってやるよ》
「黙れ、出てくるなクソ鬼」
賢人の目は普通に戻っていた。
「というわけだ。しばらくの間、いろいろと面倒なことになるかもしれんが、少々我慢してくれ」
「……しばらくってどのぐらい」
「僕とそっくりのAIを作り上げて、鬼の移植が成功するまでの間だ」
「だから、どのぐらい」
「そんなものはわからん。僕は天才だが神様じゃないんでね」
「隙あらば自分を褒めるのやめたほうがいいよ」
「事実を言ったまでだ」
賢人は悪びれた様子はない。
「とりあえず、それまでは、僕に殺されないように気をつけろ」
「無茶言うなっ」
「心配するな。僕は天才だからな。いずれきっと完璧なAIを完成させるさ」
「それまでに私が死ななきゃいいですけどね」
「まぁ人間と同じAIを作り上げるなんてのは、途方もない馬鹿げた所業なわけだ。だがやるしかない。僕もお前も、この世界も殺さないで済む方法はそれしかないんだ。一歩ずつでも、前に進むだけだ。それまでは絶対に、僕は鬼に負けるつもりはない」
征士郎さんが、この世界を守ることに忙しいと言っていたのは、このことだったのかもしれない。賢人はその意思をついでいるということだろう。
「プログラムというものは、新しい言語ができれば、できる処理も変わる。それと同じように、人の心を完全に再現できるアルゴリズムのようなものが、いつか発見されるかもしれない。もしかしたら、こんなに簡単なことだったのかと思うような閃きで、道が開ける可能性もある。僕たちはまだそれを、見つけていないだけかもしれないからな」
賢人は手を伸ばし、空をつかむようにぎゅっと握りしめた。
「その奇跡を見つけるまでは、とりあえず今は鬼を抑えるための効果的な方法を模索しているところだ」
「そんなことできるの」
「実は鬼は、特定の小説を読んでいるときは、大人しくしていることが多いことが最近分かってきてな。もしかしたら完全に鬼の意識を沈静化させるような物語が、この世にはあるのかもしれないという仮説を立てているんだ」
「鬼を沈静化させる物語……」
「今はどういう物語の方向なら、効果が高いのかを探っているところだが、この世にまだ出ていない、鬼の封印に特化した物語をAIに作らせるという試みもやっているんだ」
それで女子高生のAIに小説を作らせるとか言ってたのは、これのためだったのだろうか。だとしても、盗聴とかいうのはいかがなものかと思うが。
「AIに小説を書かせるというのも、なかなか高度な技術が必要でな。AIを人間に近づかせるための研究テーマの一つでもある。どうして人は物語を紡ぐのか。なぜ人は物語を必要とするのか。それを明らかにすることが、人間を理解することにつながり、電子的に鬼を封印する道筋に近づけるはずだと、僕は信じている。小さな積み重ねによって、新型AIが人間に近づくことを願って、僕は毎日改良を続けているんだ」
賢人は窓を開けて、外を見た。
「その努力の賜物が、この第一号というわけだ」
「第一号?」
窓の外には見覚えのあるドローンがいた。今回は荷物が重たいのか、四つのドローンがホバリングを続けている。
賢人が窓から乗り出し、荷物を受け取ると、ドローンたちは去っていった。
箱の中から出てきたのは、賢人とそっくりなロボだった。
「量産型お兄ちゃん第一号だ」
「はい?」
「初めての鬼の移植実験には失敗したんだが、捨てるには忍びないから、とりあえず、お前にやろう」
「いらないよっ」
ペットロボが徐々に大きくなっているから、いつか大きいものが届くかもと思っていたが、まさか賢人のそっくりさんが送りつけられる羽目になるなんて、誰が想像しただろう。
「そうか。ならばプレス機で押しつぶして、処分するしかないな」
「それは、ちょっと……可哀想というか」
賢人はロボの肩を軽く叩く。
「復活を目論む鬼が、またお前を始末しようとする可能性もある。いざというときは、お前を守るナイト代わりにはなるはずだ。好きなように使えばいい」
「好きなように使えばって言われても」
頭から足の先までじっと見ていたら、ロボが私に話しかけてきた。その声は賢人にそっくりだ。
「今お前、いやらしいことを考えただろ」
「考えてません」
「いくらやりたい放題だからって、僕の体をいやらしいことに使うなよ」
「使うわけないでしょ。バーカ、バーカ」
嫌味な性格までそっくりなんて、どうなってるんだ。
「なかなか良くできているだろう」
「できすぎてて、技術の無駄遣いが半端ないよっ」
「いつものように使い心地をモニターしてくれ。レポートはいずれメールするから、もれなく返信するように」
「もう勝手に労働力を搾取するなっ!」
「家庭教師ぐらいならできるからって、宿題を全部やらせたりするなよ。ただでさえ残念な成績が、さらに悲惨なことになるからな」
「うるさいな、もう」
「じゃあ東京に帰るよ。しばらくは、そちらの僕と仲良くするように」
賢人は手を振って部屋を出ていった。藤堂も深々と礼をしてから、後に続いた。
部屋に残されたのは、私と量産型お兄ちゃん第一号だけだ。
どうすんだこんなもの。
もう疲れた。今日はさっさと寝てしまおう。
いろんなことがありすぎて、きっと今日の私はよく眠れそうだ。そう思いながら、私はベッドに倒れ込んだ。
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