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「私、書かないから」
「……はい?」
鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をして夫が私を見る。
土曜日の午後の昼下がり。
二人の子供達は午前中に夫に公園へ連れて行ってもらい、たくさん遊んできたのか、疲れて爆睡している。
ちょうどお茶の時間だったので、夫にはドリップコーヒー--スーパーでよく売ってる一杯分ずつパッケージされている簡易的なものだ--にお湯を注いでダイニングテーブルに置く。
「住民税の話」
「……! ……ああ、あれね」
夫は読んでいた経済紙を折り畳みながら、私の話を聞く体勢に入る。他愛もない話だから、新聞を読みながらでも良いのだが……こういうところに優しさを感じる。
私の分としてインスタントのミルクティーをお湯に溶かし、スプーンでくるくるとかき混ぜながら、さっきまで考えていたことを切り出した。
「というか、書けない。あなたの『嫌だな』と思うところはあるけれど……それが原因で『嫌い』になったりはしないし。っていうか、『嫌い』だったら今頃一緒に住んでないから」
夫は目を伏せて、少し考えているようだった。
春の風が大きな窓からカーテンを揺らす。
薄いカーテンの隙間から日差しが洩れる。
少しの間が開いて、おもむろに口を開いた。
「別に正直に書く必要はないのに……」
コーヒーに視線を落としていた夫の目が私に向けられる。
「お前、作文得意だろ? 本音を書く必要はないんだから、減税の為って割り切って書けばいいのに……」
「…………」
ごもっともで。
「……フィクションで書こうと思えば書けるんだけど……どこに着地を持っていけばいいのか、わからないんだよね。無理に書こうとすると矛盾がどうしても生じるから」
○○だから嫌いなんです、と書く。じゃあ、どうして別れないの? と返されたら、答えがしどろもどろになってしまう。
対象となるかどうかの審査は恐らくその点になるだろう。
そう考えると、安易にフィクションでは書けない。
「変なとこで律儀というか、正直というか……」
ふと、夫が表情を緩める。
「きっとお前のそういうところが好きなんだろうな……」
私だったら言わないだろう言葉をさらっと言う。
細い目が皺と同化したような笑顔に、心に温かいものが広がる。
昔はドキドキしていたその笑顔に、今は安堵を感じながら。
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