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闇は手のような形をしていたり、触手のようだったり、刃物のように鋭かったり、鈍器のように固まっていたり、この世に存在するありとあらゆる手段を用いて彼女を犯している。
長い髪はその一本一本全てが別々の方向へ引っ張られ、闇に溶けている。
手足の自由も闇が奪い、指の一本に至るまで身体の全てが好き勝手に撫で回されている。
穴という穴が闇に埋められ、内部から彼女をいたぶり尽くしている。粘膜が引きずり出されてはまた挿入され、小さな液体音がやけに大きく響く。
刃物や鈍器をかたどる闇は彼女を傷つけ続けるが、彼女の肌や骨は損傷したそばから再生し、そしてまた傷つけられる。
これは、いったい、何だ。
「……」
彼女の兄であるはずのその男は、この光景を無感情に、ただ眺めていた。
いつの間にかその場にへたり込んでしまっていた僕は、彼のその何も読み取れない顔を見て、呟いた。
「どうして……」
怒り。
「何で止めない……」
悲しみ。
「……っ!」
彼女を助けようと立ち上がり、走り寄ろうとして、実際は立ち上がれていないことに気付く。僕の両足は、主の意志に従うことを拒否するように情けなく震えていた。
絶え間なく彼女の周囲を回る闇の隙間から、彼女の目が見えた。恐怖と激痛に見開かれ、しかし快楽に悶えているようにも見えるその瞳に、きっと僕は映っていなかった。
気がつけば僕は、もといた地下の空間に戻っていた。僕が放心している間に彼女の兄が引きずり出したのかもしれないし、自力で這い出たのかもしれない。
「あれが『姫』の役目だ」
僕を見下ろした彼は、淡々とそう言う。
「ルミ姫からは僕のことを『お兄様』と聞いてるかもしれないが、彼女は僕の本当の妹じゃない。僕はあくまでここの管理人に過ぎない」
彼は僕の手を強引に引いて、僕を立ち上がらせる。僕も今度ばかりは抵抗せず、素直に従った。足はまだ少し震えていた。
「あまねく人間の悲しみ、苦しみ、妬み、嫉み、恨み、憎しみ。世界から溢れた闇の処理を一手に引き受けているのが、『姫』だ」
何を言われているのか、さっぱり理解できなかった。頭の中は、あの光景でいっぱいだった。
「ここ最近、天候は不順だし、戦争も激化しているだろう。均衡が崩れているんだよ。闇を処理し切れていないから」
闇に犯される彼女の姿が、目に焼きついて離れない。
「闇の均衡を保つために必要なのが『姫』だ。『姫』たちは代々ここで、もう何百年も世界中から集まる闇を処理し続けてきた」
この屋敷ができるよりもずっと前からね、という補足は、僕にとってはどうでもよかった。
「ルミ姫はあの闇と前任の『姫』の間に生まれた子だ。この扉の前で産声を上げていた赤ん坊に、僕がルミエラと名前をつけて、育てた」
無抵抗な僕の腕を引っ張りながら、彼は階段を上る。
「もっとも、ルミ姫はまだ補助要員で、練習段階だ。今日が最後の練習で、本番は明日から」
「ほん……ばん?」
ようやく、僕は彼の言葉に反応することができた。
本番。本番とは、どういうことだ。あの凄惨な光景が練習とは、どういうことだ。
「そうだ、本番だ。彼女の前任が完全に消えてしまうから、明日からは彼女が全ての闇を処理する。いつか磨り減って消滅するまで、永遠に」
到底理解できる話ではなかったが、それが何を意味しているかは、何となく分かった。
「つまり……ル、ルミ、さんは……」
「あの部屋から出られなくなる。だから、君が彼女と会えるのは、今日が最後だ」
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