雨続き

4/4

22人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ
 夕夏はレーズンパンを取られたときより、刺々しい声を出した。 「なんの話? 私、雨振る前に、駅に着きたいんだけど」 「感じ悪いのも大概にしろよ。あれじゃ佐々木が可哀想だろうが」 「ちゃんと謝ったし……。ほんと、なんの話」  夕夏は下駄箱から、黒のローファーを取り出した。タイルの床に置くとき、靴底を強く当てて、大きな音を出した。 「はぐらかすな」 「うるさい。パン泥棒のくせに」 「なんだ。昼飯のこと、根に持ってんのか? 食い意地はってんだな」 「あんたにだけは言われたくない」  夕夏は急いでローファーを履いた。航も夕夏を追うように、青いスニーカーを履く。夕夏が早足で歩くと、航も早足でついてきた。 「ついてこないで」 「無茶言うなよ。俺とまっつーは、帰る方向が同じだろうが」 「あんた自転車通学でしょ」 「雨が降りそうだから今日は電車!」 「あっそ!」  いつまでも航がついてくるので、夕夏は溜息をついた。  正門を出たところで、雨がぽつぽつと、降り出した。 「……あんた、傘は」 「これくらいならいらね」 「そう」  夕夏は鞄から折りたたみ傘を出した。雨傘として使われてばかりの、晴れ雨兼用傘を広げると、航から顔を隠した。 「東山」  ぽつり、近くの相手に呼びかける。 「……私、別に三宅くんのこと、好きじゃなかったし」  冷たい空気の中。夕夏は紺色の傘の下で、話をはじめた。  中学校三年のとき、夕夏には航とは別に、よく話す男子がいた。  三宅柊太(みやけしゅうた)。夕夏と同じように、数学が得意な同級生。出席番号が近いことと、数学の成績が近いことが、話すきっかけになった。  一度だけ、土曜日のコンビニで偶然に出会い、一緒に珈琲を飲んだ。夕夏はそのとき、強い親近感を覚えた。  同じ高等学校に進むと知ったときは、とても嬉しかった。 「なんか話が合ったから。ほかの男子より大人びてるし。……一緒にいてて、ちょっと楽しかっただけ」 「……いやいや。まっつー、そういうのが好きっていうんだろ」  傘の向こうの相手は、呆れているようだった。 「俺、近くで見ていたから。わかるよ」 「……好きじゃなかったって、私が言ってるの」  夕夏は、どうして自分が航に苛立っているのか、わかっていた。  ただ認めたくなかった。 「そういうことにしといてよ。あんたなんて、デリカシーがないから嫌いよ」 「松田」 「もう放っておいて。だって、黙って憧れて――何も悪くない子に当たるとか、ひどいじゃない。……私は、そんなみじめで、最低なことしないから!」  夕夏は駅に向かって駆け出した。雨は強くなっていった。  航は追ってこなかった。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

22人が本棚に入れています
本棚に追加