晴れ間

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 最寄り駅から徒歩十分。主要道路が通らない場所にある洋菓子店に着いたころには、雨は小雨になっていた。  夕夏はずぶ濡れのローズマリーの横を通って、店内へと入った。ローズマリーの強い香りが、かすかにした。  自動ドアが開くと同時に、いらっしゃいませ、と、明るい女性の声がした。  夕夏はその女性従業員を見て、顔をしかめた。  ココア色の帽子を被った従業員は、おそらく大学生くらい。背丈は標準。化粧をとれば、きっと夕夏より幼い顔立ちをしている。  たぶん前にも、この店で会っているだろうが……今日になって、普段は気にしないネームプレートに目がいった。  胸についたネームプレートには『東山』と書かれていた。  それだけでつい夕夏は、目の前の従業員を、嫌いそうになった。気まずいやりとりをした、航と、同じ苗字というだけで。 『坊主憎けりゃ袈裟(けさ)まで憎い』なんて。昔のひとはうまく言ったものだ。 「お客様、雨、大変でしたよね」  従業員は肩を濡らした夕夏を見て、心配そうな顔をした。  夕夏は「ええ、まぁ」と曖昧に言って、ショーケースに視線を落とした。  ミルクムースの上に、青紫色のクラッシュゼリー。アクセントに乗せられた銀色のアラザン。ショーケースの中にある、紫陽花を模したジュレは、手が届かない宝石のようだった。  ……答えは出ている。時間は戻せないんだから、次は間違えないように気をつけるだけ。  ひねくれ続けたって、八つ当たりしたって、仕方ない……。 「レアチーズケーキを、ホールでひとつ」  夕夏は頼まれた品を指差した。そして軽く、深呼吸。  視点も変えていかなきゃ。 「……それからこの、紫陽花のジュレをひとつ、ください」 「かしこまりました」  従業員の女性は、朗らかにほほえんだ。 「レアチーズケーキを四号のホールでおひとつ、紫陽花のジュレおひとつですね。それでは商品お包みしますので、もうしばらくお待ちくださいませ」 「はい」  夕夏は背筋を伸ばして、店内で待った。  東山という女性従業員は、夕夏に品物を手渡すときに「これ、試食品です」と。バニラ味のフィナンシェをひとつ、ケーキ箱の上に乗せた。  夕夏は従業員の彼女に見送られるときに、ぺこりと頭をさげた。  店から外に出たとき、雨はもうあがっていた。夕暮れの空は、明るかった。  日差しは強くなかったが、夕夏は折りたたみ傘を広げた。雫が散る。  紺地の布に、白で草花の模様が描かれた、折りたたみの晴れ雨兼用傘。  ……雨傘としてばかり使ってきたけれど、やっと日傘として使えた。  紺地の傘に描かれた白い花が、大きく咲いたように見えた。
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