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鏡よ鏡さん
家の廊下にある全身鏡。
そこに映るのは、洋服で着飾った自分だったり、母親や、父親や、弟や、犬や。
鏡の前を通るそれを、彼は映し出す。
「聖奈、買い物に行ってくるから洗い物お願いするわね」
「うん、行ってらっしゃい」
母親を見送り、家の中には、犬と私だけ。
「ワンワン!!」
「遊びたいの? よし、じゃー引っ張り合いっこしようか」
「ワウウ……ガウガウ!」
「えー、いやなの?」
飼い犬のダックスフント、ダーちゃん。
なんかださいよね。でも、名前だけだよ。だってすごくかわいいの。チョコレートみたいな色は食べちゃいたいくらいだし、よしよしって撫でれば嬉しそうに目を細めるし、おすわり! といえばちょこんとおすわりする。
でも、お母さん以外のいうことはあまり聞いてくれない。そう、私のいうことも。
「クーン……ワンッ!」
「あ、ちょっと、ダーちゃん!」
突然、玄関に向かってダーちゃんが走り出す。
たぶん、出ていったお母さんを追いかけていった。
「ダーちゃんったら」
待って、とおいかけるときに通った廊下の鏡。
なんだか、ひどくくすんで見えた。
気のせいかと思って、通り過ぎけどもう一回戻ってみる。
やっぱりくすんでる。袖でゴシゴシ拭ってみた。
そこに映るのは、私の顔で。
「……かわいくない」
全体的に、こう。服は部屋着、なのはいいにしても、最近特に食欲が前より増えたおかげで体も横にのびがち。
顔面はというと一重だし、だからアイシャドウしたって変わらない気がするし、まつ毛はマスカラをしないとのびないし、眉毛だって整えていても失敗すればその日は気分が滅入るし。
女の子って、面倒くさいな。
「ワンワン」
玄関先からダーちゃんが戻ってきた。珍しく足元にじゃれつくから、抱っこに挑戦してみる。
「ワウワウ、ガルル!」
「あ、ごめ、ごめんって、あいたたた!」
がぶり、とダーちゃんに噛まれた。いつものことなんだけど、痛いな。やっぱり。
手を噛まれながら、目の前の鏡を見る。
「……お?」
痛いのを我慢して、ダーちゃんを鏡にうつす。鏡にうつる彼女は牙をむきだしにしていて獣のようだ。
怖いよ。
「ダーちゃん……女の子でしょ」
「ガルルルル!!」
そうだ、関係ないらしい。あいかわらずうめくし。
ダーちゃんは五歳になる。元気が良すぎ。
でも、なぜだろう。
こうして、唸って牙を見せて噛まれても、苦手を通り越してダーちゃんなんて嫌いって思うことも多いのに。
「ダーちゃん、かわいいねえ」
鏡でみると、私なんかよりうんと、ずっとかわいいことを再認識して、嫌いの反対、好きになってしまう。
でも、ダーちゃんにとっては私はヒエラルキーの底辺なので。
「ガウッ」
「あいたっ! もう、今日で何回目!?」
「ガウアウ!」
やっぱりダーちゃんに噛まれた。
ねえねえ、我が家の鏡さん。
あなたには、私がダーちゃんを嫌いに見える? 好きに見える?
私はね、鏡が見せてくれる私は嫌いだけど、ダーちゃんは好きで。
目の前の距離が近すぎて怖く見える、苦手な、嫌いになりかけるダーちゃんが、鏡の中だとかわいく思える。
不思議だなぁ。
鏡の前を通るたびに思い出すんだろう。
嫌いだけど、好きになれることもあるってこと。
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