鏡よ鏡さん

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

鏡よ鏡さん

 家の廊下にある全身鏡。  そこに映るのは、洋服で着飾った自分だったり、母親や、父親や、弟や、犬や。  鏡の前を通るそれを、彼は映し出す。 「聖奈(せいな)、買い物に行ってくるから洗い物お願いするわね」 「うん、行ってらっしゃい」  母親を見送り、家の中には、犬と私だけ。 「ワンワン!!」 「遊びたいの? よし、じゃー引っ張り合いっこしようか」 「ワウウ……ガウガウ!」 「えー、いやなの?」  飼い犬のダックスフント、ダーちゃん。  なんかださいよね。でも、名前だけだよ。だってすごくかわいいの。チョコレートみたいな色は食べちゃいたいくらいだし、よしよしって撫でれば嬉しそうに目を細めるし、おすわり! といえばちょこんとおすわりする。  でも、お母さん以外のいうことはあまり聞いてくれない。そう、私のいうことも。 「クーン……ワンッ!」 「あ、ちょっと、ダーちゃん!」  突然、玄関に向かってダーちゃんが走り出す。  たぶん、出ていったお母さんを追いかけていった。 「ダーちゃんったら」  待って、とおいかけるときに通った廊下の鏡。  なんだか、ひどくくすんで見えた。  気のせいかと思って、通り過ぎけどもう一回戻ってみる。  やっぱりくすんでる。袖でゴシゴシ拭ってみた。  そこに映るのは、私の顔で。 「……かわいくない」  全体的に、こう。服は部屋着、なのはいいにしても、最近特に食欲が前より増えたおかげで体も横にのびがち。  顔面はというと一重だし、だからアイシャドウしたって変わらない気がするし、まつ毛はマスカラをしないとのびないし、眉毛だって整えていても失敗すればその日は気分が滅入るし。  女の子って、面倒くさいな。 「ワンワン」  玄関先からダーちゃんが戻ってきた。珍しく足元にじゃれつくから、抱っこに挑戦してみる。 「ワウワウ、ガルル!」 「あ、ごめ、ごめんって、あいたたた!」  がぶり、とダーちゃんに噛まれた。いつものことなんだけど、痛いな。やっぱり。  手を噛まれながら、目の前の鏡を見る。 「……お?」  痛いのを我慢して、ダーちゃんを鏡にうつす。鏡にうつる彼女は牙をむきだしにしていて獣のようだ。  怖いよ。 「ダーちゃん……女の子でしょ」 「ガルルルル!!」  そうだ、関係ないらしい。あいかわらずうめくし。  ダーちゃんは五歳になる。元気が良すぎ。  でも、なぜだろう。  こうして、唸って牙を見せて噛まれても、苦手を通り越してダーちゃんなんて嫌いって思うことも多いのに。 「ダーちゃん、かわいいねえ」  鏡でみると、私なんかよりうんと、ずっとかわいいことを再認識して、嫌いの反対、好きになってしまう。  でも、ダーちゃんにとっては私はヒエラルキーの底辺なので。 「ガウッ」 「あいたっ! もう、今日で何回目!?」 「ガウアウ!」  やっぱりダーちゃんに噛まれた。  ねえねえ、我が家の鏡さん。  あなたには、私がダーちゃんを嫌いに見える? 好きに見える?  私はね、鏡が見せてくれる私は嫌いだけど、ダーちゃんは好きで。  目の前の距離が近すぎて怖く見える、苦手な、嫌いになりかけるダーちゃんが、鏡の中だとかわいく思える。  不思議だなぁ。  鏡の前を通るたびに思い出すんだろう。  嫌いだけど、好きになれることもあるってこと。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!