プロローグ

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プロローグ

(そりゃ反則だろ)  思ったことがそのまま口をついて出そうになり、高坂拓海は慌てて下を向いた。ついでにかなりわざとらしかったが、空咳を二回してみる。そうやってできた数秒の間で、ばかげたことをしでかさないように気持ちを落ち着けようとした。  よし、いいぞ。今度は大丈夫だ。 「は、はじめまして。た、拓海です」  けれど顔を上げて、やっぱり反則だと思った。予想していたのと全然違う。  その気持ちが素直に体に伝わったらしく、初対面の挨拶はどもったあげくに少しばかり声が引っくりかえってしまった。エアコンがほどよく効いているのに、頬がほてり、汗が背中を伝い落ちていく。 「遠藤奈緒です。こちらこそはじめまして」  相手はもちろんどもったりしない。二十八歳――拓海より十一も年上なのだ。 「どうぞよろしく、拓海くん」  柔らかな声、自然な笑顔。さすがに少し緊張していて恥ずかしそうではあるが、きちんと背筋を伸ばして、まっすぐに視線を向けてくる。奈緒はきらびやかなホテルのロビーに立っていても、ちゃんとさまになる大人の女性だった。  それでいて栗色のショートボブの髪や、うっすらそばかすが散ったピンクの頬や、華奢な両肩にはどこか少女のような気配が漂っている。今はミントグリーンのスーツ姿だったけれど、たとえば白いワンピースを着て、野原で花輪を編んでいてもそれはそれで全然おかしくないというか。ああ、麦わら帽子も似合うかも。なんだかアニメ系の連想だけど。  彼女の年齢は前もって聞かされていた。名前も星座も血液型も、どこに住んでいるかも知っている。音大では声楽を専攻していたが、今はピアノの講師をしていることも。けれども目の前の女性と、そういった情報はうまく結びつかなかった。まさかこんな人が新しい母親になるなんて想像もしなかったのだ。 「さて、それじゃいつまでも突っ立ってないで食事に行こうか」  父の、いつもより明らかにハイトーンの声で、拓海はわれにかえった。奈緒が笑顔で頷く。柔らかそうな髪が揺れ、かすかに甘い香りがした。先に立って歩き出す二人の背中を追いながら、やっぱり若いよな、と改めて思った。  拓海にしてみれば彼女の隣に父の和彦がいるという事実は、ひどく奇妙な感じだった。  決してつり合わないというのではない。猫背ぎみの長身で、髪に白いものが多く、婦人科医というよりも机で数式でも解いている方が似合いそうな父。そして落ち着きとあどけなさみたいなものをあわせ持っている奈緒。ずいぶん年齢差があるにもかかわらず、そのカップリングは不思議なくらいしっくり見えた。拓海自身、いい感じだと思ったのだ。それでもどこかが、何かが気にかかる。  結婚には賛成だったはずだ。母の死後、幼い自分を抱えて十年間もがんばった父には感謝しているし、いいかげんしあわせになってもらいたい。それに奈緒は優しそうだ。わざとらしさがなくて、感じがよくて、きれいで、だけど――。  心の中で浮遊するとまどいの原因をつかみきれないまま、拓海はキャンドルが揺らめくテーブルについた。
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