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「遅いなぁ。部活終わったらダッシュで来るように言っといたんだけど……」  晴斗(はると)は腕時計に視線を走らせると、少し苛つきながら入り口のドアを見やった。 「後片付けとかあるんじゃないですか? 自分だけ早く帰ることなんてできないんですよ、きっと」  美空(みそら)の言葉にふっと瞳を和らげると、「悪いね」眉間に皺を寄せながら、晴斗が申し訳なさそうに頭を掻いた。  美空と晴斗の出会いは、十二年前に遡る。  当時は、保育士と保護者というだけの関係だった。  美空が受け持った年長児クラスに、晴斗の息子、登坂(とさか)紫雲(しうん)が在籍していたのだ。  保育士二年目の美空にとって、年長児のクラス担任は荷が重かった。明らかな役者不足。日々のカリキュラムをこなすことで精いっぱいだった。  正直、その当時の晴斗のことは(おぼろ)げな記憶しかない。 『紫雲君のお父さん』  それだけだった。  唯一覚えているのは、紫雲の母親が出産と同時に亡くなった為、自分が母親の分まで頑張らなければならないと、涙ながらに語っていた事だけだ。  晴斗と再会したのは、昨年のこと。  職場の暑気払いの帰りに、気の合う仲間と立ち寄った居酒屋で、偶然隣に居合わせたのだ。 「早川先生ですよね?」  同じく職場の同僚たちと飲んでいた晴斗が、美空の顔を覗き込んだ。 「えっとぉ……?」  猫のような丸い瞳をくるくる動かしながら、美空は隣のテーブルの面々を順に見回した。 「登坂ですよ。登坂。紫雲の父です」  おいおい、いきなりナンパかよ、と同僚たちが冷やかす中、晴斗がにっこり微笑んだ。 「あ……」  切れ長の二重瞼が弧を描き、目尻に数本の皺を作る。口角が持ち上がるにつれ、右の八重歯が顔を覗かせる。  それなりに歳を重ねてはいるものの、人懐っこい笑顔は健在だ。 「紫雲君の、お父さん?」 「はいっ!」  ざっと計算すると四十は超えているであろう晴斗は、恥ずかしげもなく右手を真っすぐ上に上げると、まるで幼児のように大きな声で返事をした。
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