【出産編】 覚悟

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【出産編】 覚悟

  「吸っていいか」 「もちろんだ」  いつものようにロウの手によって、藁の上に仰向けに寝かされた。  随分と紳士的に聞いてくるもんだから、お前も成長したよなと甘く微笑んでやると、ロウもとびきりの笑顔を返してくれた。想いが通じあっているっていいなと思う瞬間だ。 「いい笑顔だ。ありがとう」  ロウは大きな体を横にずらし、男なのに妊娠している俺の腹を気遣いながら上着を開き、吸われ過ぎてぷっくり膨らんでしまった乳首を露わにするや否や、ペロペロ、チュウチュウと無心に吸い付いて来た。 「んっ……」  乳を吸われるこの感覚に俺は弱くて、いつも小さな声をあげてしまう。ところが、今日のロウは乳を存分に飲んだ後、小さなため息をついた。  なんだ?  ロウが随分と悲し気な表情で、俺のことを見下ろしている。 「ロウ、どうした?何故そんな顔をしている?」 「……嬉しいことの裏側には、いつも寂しいことが潜んでいるものだな」 「それは、どういう意味だ?」 「オレはお前を手に入れたが、それによってお前の両親は息子を失ってしまった。トカプチを半獣の番にしたことはオレにとって良い事でも、違う側面から見れば、寂しく悲しいことでもあるはずだ」 「そんな弱気なことを……お前らしくないぞ」 「すまない。間もなく赤ん坊が誕生するから、気が高ぶっているのか。オレはちゃんと父親になれるだろうか。オレの中には父の記憶なんてないのに」 「馬鹿だな。そんなこと……やってみないと分からないだろう。俺だってまさか赤ん坊を自分の腹から産むなんて思ってなかったし、ロウの嫁さん……になるなんて思ってもみなかった。あーっもう何言ってるんだか。あんまり恥ずかしいこと言わせんなよ!」 「トカプチ、本当に後悔はないのか」 「ないよ。何度も言ったはずだ。俺とお前が番になったのには意味があると。こうやって生きていられるのは、お前のお陰だ。そのことを知れば、きっと両親も理解してくれる。生きていることを喜んでくれるはずだ」  ロウと分かりあえ、番となり妊娠し……俺はいつの間にか人間の食べ物を口にしなくなった。いや口に出来なくなってしまった。  成長するにつれ乳の出が増すごとに感じていた味覚の変化が、ここに来て更に加速した。もしかするとあれ以上あの地にいたら、餓死したかもしれない。命が危ぶまれる程その問題が深刻だったことに、今更ながら気付かされた。 「ふっ……トカプチはいつも前向きだな」 「そうかな?それはきっとあらゆる変化を全て自分の意思で受け入れたからだろう。それに前を向いて歩かないと、この子に恥じることになるしな」  ロウと話しながら自分の腹をそっと撫でれば、もうはち切れそうなほど大きくなっていた。触れた腹の中には、確かに俺達の赤ん坊の存在を感じられた。  ほら今日も今、この瞬間も……ギュウっと足を突っ張り、腹の皮を伸ばしてくる。腹の中から、生きている!生まれたい!と教えてくれる胎動が、日に日に強くなっている。 「もうじき、生まれそうだ」 「産むのは、怖くないのか」 「それは怖いさ!でも産まないと終わらないし始まらないだろう。だからもう覚悟は決めた」 「出産は危険を伴うから、トカプチに何かあったらと思うと心配で堪らないよ」  ロウ……お前は見た目はまるで百獣の王のように凛々しいのに、『幸せ』には憶病なんだな。  生まれてくる赤ん坊は、俺達の『幸せ』をカタチにしたような存在だ。  半獣の狼と人間の血を継いだ子供がこの世に生まれてくる意味を、もっともっと熱く感じて欲しいよ。この子は俺達がずっと繋がっていくことを象徴する、確かな目に見える存在になる!  だから俺は、怖くても恐れない。  俺はお前の寂しさを埋める存在になりたいと、いつも思っている。  妊娠と出産は、そのための大きな一歩のはずだから。      
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