躊躇

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躊躇

   それからの数ヶ月間は慣れない育児に追われ、あっという間だった。 トイはもう四ヶ月。獣人と人間のハーフのせいか人間の成長よりずっと早く、もう掴まり立ちを始めていた。だが中身はまだまだ赤ん坊で、いつも俺の乳を口をパクパクさせて、欲しがった。 「トイ~おいおい、まだ飲むのか。お前は可愛いけど、随分と食いしん坊だよなぁ。ちゃんとロウの分も残してくれよ」 「あぶ……あぶぶ……」  トイに吸われるようになってから俺の乳は一層甘みを増したようで、ロウも喜んでいる。甘いミルクの匂いが立ち込める中、トイは眠そうにとろんとしていた。  よし、いいぞ、そのまま眠れ。 「ふふっ可愛い奴、飲んだら、直行でお眠か」  授乳を終えトイを寝かしつけながらウトウトしていると、ロウが深刻な顔でやって来た。 「どうした?お前の分の乳はちゃんと取ってあるから、安心しろよ」 「……ありがとう。だが今日はその前に折り入って話がある」 「何だ?」 「トイも随分と成長したし、いい加減に時は満ちたと思うが……まだ駄目なのか」 「……うん」  またこの話か。  トイを産む前に約束した通り、ロウの方は俺の両親に会いに行く気満々だが、俺の方はずっと躊躇していた。だって今の俺は、両親の元で過ごしていた時と全く違う姿になっている。獣人の嫁となり出産もした身の上なんだ。  両親に、この状態をすんなりと受け入れてもらえるとは限らない。お前が言葉の暴力によって傷つくのは見たくない。それに故郷は小さな集落で、俺のことを知らない者はいない。 そんな中に……ロウと赤ん坊と一緒に里帰りする勇気が正直持てなかった。   「不安なのか」 「……本音を言うと、怖い」  ロウには嘘をつきたくなくて、とうとう本心を告げてしまった。ロウが悲しむと思い、ずっとはぐらかしていたのに。こんなひとりよがりな考えは情けないが、どうしようもないんだ。 「そうか。トイを産む時はあんなに潔かったお前が弱音を吐くなんて……余程不安なんだな。分かった。オレが行って、お前の両親をここに連れて来てやるから安心しろ、もうそんな顔するな」 「そっ……そんなの危険だ!絶対に駄目だ!」 「大丈夫だ。そうだ、何かトカプチの証があれば、きっと理解してもらえるだろう。お前からの手紙を添えればいい。さぁ早くオレに書いて寄こせ」 「……俺の証?」  俺は十六歳の誕生日を迎えた日に小川で沐浴している所を、ロウに攫われるように連れて来られた。着の身着のままだったから……何か証を言われても、すぐに思いつかない。 「ないのか。そうだ『さらし』はどうだ?あの日トカプチが小川で洗っていたやつだ」 「あぁあれか。あれは母さんが作ってくれたものだ。分かったよ……行く行かないはともかく、今までのことをきちんと順序立てて記しておくのはいい提案だな。とりあえず書いてみるよ」  白く長いさらしに、これまでの経緯を簡単に記し、最後に「父さん母さんに会いたい」と願いを込めた。  ところが書き終わるや否や、ロウがとんでもない行動に出た。 「よしっ!トカプチはここで待ってろ、必ず連れて来てやるからな」  ロウはさらしをガブッと咥え、一目散に飛び出して行ってしまった。 「えっ……ちょっと待てよ!ロウ──っ!」  制止の声は全く届かない。まるで一陣の風のように去って行った。  しまった!ロウのスイッチが獰猛な狼モードになってしまった時は、俺の言うことが聴こえないのだ。  半分……獣であることは、時に厄介だ。  くそっ!一気に不安が募る。
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