誕生

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誕生

 寝惚け眼で岩場にこじ開けた天窓から外を眺めると、もう夜が明けるというのに、空にはまるで忘れ物のように月が残されていた。あれは……有明の月だ。  月をこの地では、『クンネチュプ』と呼ぶそうだ。まるで月が明け方になっても居残り、俺のことを見守ってくれているような、何かが動き出しそうな気配を、さっきから感じている。  「うっ……」  そして次の瞬間、差し込むような腹の痛みで、飛び起きた。ついに産気づいたのだ。初めての体験なのに、本能が察知していた。  来た!これが陣痛というものだ。  隣で躰を丸めぐっすりと眠っているロウに、痛みで震える手を必死に伸ばした。 「ロウ……間もなくのようだ」 「何!トカプチっ、大丈夫か」 「あぁ……なんとか……」  ロウは心配そうな眼差しで俺の顔を覗き込み、優しく抱き寄せてくれた。柔らかい毛並みの温かな手で、労わるように俺の腰や腹を必死に擦ってくれた。 「うっ……あっ……」 そこから長い時間、陣痛と戦った。初めはゆっくりだった痛みが、ひっ迫してくると、とうとう弱音を吐いてしまった。 「んっ……痛いっ!痛いっ!怖い!」  想像を絶する痛みが、押しては引く波のように俺を襲ってくる。  こんな痛みは、味わったことがない!知らない! 「はうっ」  ロウに攫われた時も乳を吸われた時も、耐えることが出来たのに、堪え切れない程の陣痛の痛みに苛まれ続け、とうとう獣のように唸り声をあげる始末だ。 「うっう………うっ──」  まるで腹を破るように突き上げてくる痛みに、背中を丸めて必死に耐えた。 「まだ?まだなのか!」  こんな思いをして母というものは……命を繋いで来たのか。 「トカプチっ……死ぬな!」  ロウも俺と同じ痛みを感じているかのように、顔を歪めていた。 「馬鹿っこんなことで死んだりしない。だっ大丈夫だから……」  躰中に汗をかき、全身がぐっしょりと濡れ……酷く喉が渇いてきた。 「ロウ……喉がカラカラだ。水……いやアレが欲しい」 「分かった!少し待て」  こんな時でも俺が欲するのは、水ではなくロウの精液だった。陣痛の痛みで転げまわりながらも、それを欲する躰の欲に自分でも驚いた。本当にお前の精液は、俺の命を繋ぐ糧なのだと、朦朧とした意識の中でも確信してしまった。 「お前の力をくれ……与えてくれ!」  直に分け与えられる白濁の液体をゴクッと嚥下すると、躰に一気に力が湧いて来た。 「トカプチ!もう少しだ。おぉ!頭が見えて来たぞ!」 「うっ……産む!」  渾身の力を振り絞り大きく息むと、ズルッと生温かく湿った物体が、内股の間を滑り落ちるのを感じた。 「オギャー!オギャー!」  数秒後に、人間の赤ん坊らしい元気な泣き声が、岩穴内に大きく反響した。  あぁ……とても力強い声だ。  新しい命の誕生だ!  俺が俺自身の躰を使って、命を産み出した。命を繋いだ瞬間だ。  痛みは嘘のように消え去り……俺の眼には感激のあまり……嬉し涙がこみ上げて来た。 「トカプチ、よくやった!本当に頑張ったな」  ロウが優しくモフモフの毛で労わるように頬を撫でてくれるのが、くすぐったく心地良くて、うっとりと目を閉じて味わった。  俺の涙は、ロウの毛に溶けるように吸い込まれていった。  
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