Ⅱ 後宮

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Ⅱ 後宮

 周囲を砂漠に囲まれた、広大な国。東南の大陸では、一番大きな国土を誇る。  その国の先々代の王から、極端な後宮制度は始まった。  先の戦争で世継ぎを次々亡くした先々代王は、世継ぎは多ければ多いほどよいとして、百人の女をはべらせる後宮を作り出した。  後宮の存在は正妃にとっては気持ちの良いものではないだろうが、効果はたしかにあった。  四年前まで、王子が十三人いた。  だが、ここ四年間で、王子たちは次々と奇妙な死を遂げていった。  階段で足をすべらせ、頭から落ちた者。落馬した者。毒入りの酒を飲まされた者。夜中にどこからか飛んできた矢に心臓を射られた者。  気づけば王子は四人にまで減っていた。  敵国の暗殺者が密かに入り込んでいるのではないか。当然、現王は考えた。  臣下に探らせてはいるが、今のところ、怪しい者は見つかっていない。  そのような現状から、第三王子までが出入りを許されている後宮にも、頻繁に行かぬよう現王が言い渡していた。後宮には当然男の影も形もないのだが、現王は謎の暗殺者の存在がはっきりするまで、王子たちが宮殿から出ることをあまり良しとはしなかった。 「兄さんには……好きな女はいないのか?」  ネイサンドルの質問にフリードは面食らった。  一年ほど前、ネイサンドルに剣術を教えていた時だった。汗を拭きながら一休みしていると、そんなことを言い出したのだ。  今までこの異母弟(おとうと)がそんなことを考えているのに全く気づかなかった。フリードは思わず微笑んでいた。  フリードとは六つも歳が離れているが、前々からネイサンドルのことを利口だと感じる場面が多かった。他の異母兄弟たちと違い、真剣に国の未来を考えている。少年の頃から、市街へ出向き、民と触れ合ってきたのも知っている。  フリードは最近では父王の命で(まつりごと)に関する用で出向く際、ネイサンドルを帯同するようになった。 「そうやって質問するのは、自分に好きな女がいると言っているのと同じだぞ」  フリードが言い返すと、ネイサンドルは顔を赤らめ、うつむいた。  意地悪な言い方をしたとフリードも思った。父王からネイサンドルに縁談が向けられているのも知っていた。隣接する国のフロリーナ王女との結婚だ。典型的な政略結婚であるが、フリードは父の気持ちがわからないでもなかった。彼も不安なのだ。  一昨年辺りから、相次いで異母弟たちが亡くなっている。実兄のフロイドと自分、第三王子アデレードと第九王子ミルドレー、そしてこの末弟ネイサンドル、全員で五人となっていた。  彼らの死に様も奇妙なものばかりであった。一見事故に見えるものもあったが、フリードは今でははっきり疑っていた。あきらかな暗殺である。  父王自身はそれを海の向こう、北西の国の仕業だと考えているようだ。昨年の冬、フリードは直接相談された。家臣たちに妙な動きがないか探って欲しいとも言われた。  しかし王宮に出入りする者は来客も含めると数多い。まして変動する下働きの者まで調べるとなると困難を極める。フリード個人では手が回らず、子飼いの部下ハスに探らせていた。 「兄さんは……いいよな。自分だって、まだ結婚相手が決まってやしないのに」  弟の言葉でフリードは現実に戻された。  弟の言う通り、自分でも父に気に入られていると思う。普通に考えると第一王子以外は、このネイサンドルのように政略結婚に使われ国外へ出されるか、貴族の娘を嫁にとり、家臣として宮殿へ通う日々となる。戦争ばかりだった時代は父王の代で終わったとフリードも思っていた。 「お前も父に気に入られているではないか。私もお前が好きだ」 「ならば、兄さんから言ってくれ。俺はこの国を出たくはない」 「お前の好きな女とは、誰なのだ?」 「……誰にも言わないで欲しい。後宮にいるんだ」  フリードは異母弟の言葉に一瞬固まった。  なぜなら王子たちを殺したのは、後宮の女ではないかと疑っていたからだ。  八人の死は一度に起こっていない。四年間で、特に定期的な間も空かず、突然訪れていた。ハスがさりげなく周囲を探った話などから勘案(かんあん)して、フリードはどうしてもその可能性を捨てきれなくなった。  第十王子が落ちた階段には香油がこぼれていた。それに足を滑らせ頭から落ちたのは不幸な事故とも言えるが、まず一番上の段に香油がこぼれていたことじたいが不自然だ。その香りはフリードの母が嫌う後宮の女たちのものであったらしい。  最初の王子は事故として片付けられた。  次の十二王子カスラートが葡萄酒を飲んだ直後、苦しみもがき死んだのは、さすがに事故とは片付けられず、警備は厳重になった。  そこからの犯行は……もはやフリードはそう言うしかなかったが、ほぼ宮殿の周囲で起こっている。  王子たちも当然怯えていたが、不思議なほどにあっさり刺し殺されている者もいた。  そのことから導き出されるのは警戒を持たぬ相手。女で、歳若く少女と言ってもいいのかもしれないと。  フリードがそこまで推察した頃、ネイサンドルに「好きな女」の存在を告げられた。  皮肉なことに、初めて殺害の動機がわかった。ネイサンドルより上位の王子たちが殺されていく理由は一つしかない。  フリードは多少の同情を覚えなくはなかったが、ハスに命じ、彼女の動きを探らせていた。  ネイサンドルは名までは告げなかったが、母親の形見である翡翠(ひすい)のはまった首飾りを渡していると言っていたので、見つけるのは簡単だった。  レティシア――ネイサンドルより三つ下の少女。  二階の窓めがけ、矢で第九王子の心臓を一発で()ったのは彼女ではないかとハスが推察した時には、さすがにフリードは何度も確認した。見間違いではないかと。  ハスもその件が起こるまでは半信半疑だったようで、事前に止めることができなかったのをフリードに詫びた。しかし、犯行直後に走りさる彼女の後ろ姿を目撃していた。  なんという意志の強さ。そして大胆さであろう。自らの危険も省みない行為である。  フリードは驚愕した。  弓の鍛錬はどこでしたのだろう。  第九王子ミルドレーの喪が明けて早々、フリードは後宮を訪ねた。もはやレティシアを直接確認せずにはおれなかった。  そして、レティシアはわかりやすく彼を誘った。  罠にかかったふりをしていた彼に、彼女は(やいば)を向けてきた。  この少女の細い身体を鋼のような強い意思が貫いていた。恐れを知らない若さがあった。  それがこのような行為に向けられてさえいなければ……    フリードは苦々しい思いで、うなだれるレティシアを見た。
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