Ⅲ 審判

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Ⅲ 審判

 レティシアは十二歳の時、ネイサンドルによって後宮(ここ)へ連れられてきた。  二親を一度に亡くし身寄りのなかった彼女は、家を追い出され、人買いに売られるところだった。たまたま目に留めたネイサンドルが、金貨五枚で彼女を買い取った。  あの日、ネイサンドルは汚れたレティシアを不快な顔一つせず、自分が乗る馬の前に乗せた。燃えるような赤毛と浅黒い肌、漆黒の瞳はレティシアには夜空の星のように光って見えた。揺れる馬上で、レティシアは何度か彼の胸に身体がぶつかったが、嫌な顔もされなかった。それどころか、落ちないように片手で彼女を支えてくれていた。  だからなのか、正体もわからない男に買われたというのに、レティシアはあまり不安を感じなかった。  馬が王宮と市街を隔てる高い壁を越え、敷地内へ入っても、レティシアはまだ自分の状況を理解できずにいた。ネイサンドルは後宮の管理を任されている老女マリアに彼女を託した。 「俺は十三番目の王子ネイサンドル。俺にはまだ宮殿内でお前を保護する力がない。だからここで過ごすのが一番安全だと思う」  ネイサンドルが言うと 「王子のおっしゃる通りかもしれないね。子供のうちはここにいた方が外より安全だ」  マリアも同意した。  「俺はこうやって勝手に外に出ることが多い。宮殿の外が好きなのだ。人々のたくましい生き方に憧れる」  飢えて過ごす日もあったレティシアはネイサンドルの言葉に一瞬腹を立てた。 「民がより良い暮らしをするにはどうすればよいのか、ゆくゆくは兄たちを手助けできたらと思っている」  続いて言った彼の顔がとても眩しく感じたのは、強い日差しの下にいたからだろうか。  レティシアがネイサンドルとまともに言葉を交わしたのは、その日が最初で最後だった。  後宮での生活は、幼い内は上位の女性たちの世話が主な仕事だった。彼女たちの我儘(わがまま)も、あのまま街で乞食のように過ごすことを思えば、大したことではない。  (かご)の鳥のように自由がないわけでもなく、少女のうちはレティシアも後宮の外を出歩いても、誰に咎められることもなかった。  ネイサンドルは言った通り、一人、頻繁に馬で宮殿の外へ出かけていた。  馬屋(うまや)は後宮の二階から見える場所にあり、レティシアはそうと知ると毎日馬屋を見るのが習慣になった。  テラスからネイサンドルの後姿を見つめていると、不思議なことに彼もこちらを振り返った。  手を振られ、レティシアは辺りを見回した。自分に向けてなのか自信がなかったが、小さく手を振り返すと、ネイサンドルは満足そうに微笑み、うなづいた。  それだけだったが、遠くから見つめ合うことが三年続いた。  そして四年目の今春、ネイサンドルはレティシアに受けとるように身振りで指示すると、布に包まれた何かを投げてきた。どうにか受けとった彼女が包みを開くと、この首飾りが入っていた。  それはネイサンドルが常に身につけていたものだった。  レティシアは、涙があふれて止まらなかった。  こんな大切なものをもらえただけで、自分には充分だ。  歳をとった女たちは婢女(はしため)として宮殿で下働きをするか、後宮を出るかを選ぶようになっている。年月が過ぎて、自然とレティシアの序列は上がっていた。  気づけばレティシアは十六歳になっていた。  もう王子の相手をできると判断される歳でもあった。  そして、今宵、第二王子フリードがここを訪れた。  彼女は彼を捕らえたと思ったが、逆だった。 「お母様の形見……」  フリードの言葉にレティシアは愕然(がくぜん)としていた。 「知らなかったのか? ネイサンドルとの関係は?」  レティシアはフリードの問いかけに首を横に振った。 「何の……つながりもございません。あの方が気まぐれで、子供の私を人買いから助けてくださいました」  そう、自分が勝手にやっていたことだ。  四年間、必死だった。彼が王位継承に近づくために……この手を血に染めてきた。  レティシアは首飾りを手にとると、翠の石を見つめた。  第九王子を木の上から矢で射った時はさすがに勇気が()った。  子供の頃、父親に鳥を射るために教わって以来、弓は触っていない。一度で当たったのは、本当に偶然のたまものだった。  逃げる際、誰かの視線を感じた気がした。  思えばあの時すでに見張られていたのか。レティシアはフリードを見た。   「今までの王子の暗殺も……お前の仕業(しわざ)だな?」  フリードも哀れな者を見るような目でレティシアに問うた。 「はい。私があの方に勝手に想いを寄せ、やったことです」 「……お前は、弟に後宮(ここ)へ来てもらいたかったのか? 自分を抱いてもらうため?」  フリードが問うと、ふいにレティシアは怒りに燃えた()で彼を見た。 「そんな低俗な理由ではありません。……でも、私がやってきたことは間違いございません。この場で切り捨てるなり、しかるべき場へ突き出すなり……最初から覚悟はできております」  レティシアは目を閉じた。  ところがレティシアの裸の身体には、冷たい剣が振り下ろされることはなく、柔らかい薄絹がかけられた。  レティシアは驚いて顔を上げた。  フリードの眉根はずっと(しか)められたままだったが、さらにレティシアの身体に上掛けを巻きつけた。  レティシアは抵抗する気もなかったが、彼の行動が読めず、困惑していた。 「……たしかにお前のした事は許されるべきことではない。だが、私はお前を断ずることはしない。審判はあいつに任せる」  フリードの言葉にレティシアは(おのの)いた。 「ま、まさか……お止め下さい。お許し下さい、それだけは」  震える声で頼むレティシアを無視し、フリードは上掛けで包み込んだ彼女を肩に担ぎ上げた。  そのまま、後宮の外へ出た。
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