引き寄せられる波濤の中へー過去ー

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2人はどう見えているのだろう。 親子、姉弟。 そんなわけはない。指を絡めるように繋いだ手は、家族よりも、恋人のするもの。 座席に座ってもなお、碧は凪音と繋いだ手を離さないまま、頭を凪音の肩に寄りかからせて深く眠っている。 午前中には自宅に戻らなくてはならない凪音のために、結局朝方まで抱き合い、ほんの2時間程度仮眠しただけでホテルを出てきたのだ。 しかも本人いわく、体調を気遣いながら抱くと余計に体力を消耗するねと、およそ信じられぬ言葉をさらりと口にした。さすがに年齢の差かもしれないと、先行きに不安を覚えつつも、あどけなく隣で眠る碧を見ると、颯佑と彼女のことであれほどショックを受けていたはずなのに、ひどく気持ちが落ち着いてしまっている。 いつまで続けられるか分からない、碧によって満たされたものが果たして恋なのか、愛なのかも、分からない。 碧はずっとという言葉を口にしたけれど、ずっと、も、永遠、も、ない。 変わらない日々が続くと思っていた日常は、あっけなく崩れて、そうして自分の手でも壊してしまったのだから。 いいえ、と否定しながら、JRの電車の軽快なスピードに揺られつつ目を閉じた。 変わらない日々を、これからはつくりださなくてはならない。 変わらない、いつもの自分を、意識的に意図的に、この手を繋いだ相手が望む限りはそう、夫を、親を、友人を、職場の仲間を、世界を騙していかなくてはならない。 うつらうつらとしていた時に、「次は横浜ー」という鼻にかかったアナウンスが車内に響いた。 ホテルを出ると同時にマスクをした碧をそっと揺する。 「碧くん、横浜」 手をつなぎたいと言った碧に妥協できたのは、横浜まで。 そこまでなら、知り合いに見られることもないだろう。そう思っての判断だった。 「……もう?」 「うん、碧くんはこのままここで眠ってて。私、ここでもう一本電車遅らせて帰るから」 そっと囁くように言うと、碧は繋いでいた手を一瞬だけぎゅ、と力をいれてから、するりと離した。 マスクをしているせいで、表情は見えにくいけれど、その仕草だけで十分碧の気持ちが伝わる。 「マスク、外せば顔もわかるのに」 電車を待って並ぶ大勢の人が見えた。 「いやです」 すげなく断られ、ちょっとだけ距離を感じる。でも仕方ない。そういう距離感でいなければ、きっともっと抑制できなくなる。 そう思いながら席を立った。 「……いつか、話せる時きたら話すよ」 気遣う言葉に顔をあげると、碧がもう一度、凪音の手に触れて名残惜しそうに握った。 「……気をつけて」 「うん、碧くんも」 立ち上がって、開いたドアから横浜駅の広いホームへと降り立つ。 振り返りたい気持ちを抑え込んで、そのまま人の波に巻かれるようにして、碧の乗った車両から離れた。 そして別の車両の位置に立ち、目の前で動き出した青い電車がスピードを増していくのを見送る。 碧を乗せて、ただ何も見なかった顔で、一足先に凪音の帰るべき方角へ走っていった。 その瞬間、足元が揺れたような気がして、思わず近くの柱に手をついた。 そこに見えていたはずの時間が、無理やりもぎ取られたかのようで、それが碧とのものなのか、守っていきたかった夫とののもなのか、分からなかった。 ただたまらなく、淋しかった。
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