愛しむべき日々の波打ち際で

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「ねえもう結婚して何年よ?」 焼き鳥が燻される煙と油の匂いが立ちこめる店内は盛況だ。テラス席とは聞こえがいいけれど、単に店内では捌き切れない客を屋台風にした店外の席でカバーした大衆居酒屋は金曜の夕方ともあって満席だった。 ドラム缶に板を乗せただけのテーブルに高脚のイス。そこに座りながら、美琴はぐいっとジョッキのビールを飲み干し、それから店員にジョッキをもちあげておかわりの合図をした。 「ペース早くない? えーと、5年かな?」 「大丈夫。しっかし、もつわねー」 「何よそれ。もたないみたいな言い方しないで」 「いや、だってそうでしょ。経理のお堅い吉住と営業一たらしの一ノ瀬よ? どう考えても食い合わせ悪いわよ」 「食い合わせとか言わないでくれる? 結婚なんて違うもの同士、変に似たもの同士でまとまるより、思いきり方向性違うもの同士の方がなにかと差が明確じゃない。あとはそれを擦り合わせていけばいいだけなんだから」 「深いわね、さすが真逆の2人」 けらけらと楽しそうに笑った美琴につられて笑う。 颯佑とは、本当に真逆だった。 それを一つ一つ解決していくのは、計算の合わない数字を追って原因をあぶり出すのにも似ていて、なんとなく仕事みたいだと思ったけれど、今思えば本当に仕事だったような気さえしてくる。 美琴はもちろん、颯佑をはじめとした身内以外は誰も知らないけれど、2人の結婚は恋愛からスタートしたわけじゃなかった。 ほとんど見合いだった。 中堅の会社を経営する颯佑の祖父と銀行員の凪音の父がもともと知り合いだったのだ。 なんとなく引き合わされるまで、お互い同じ会社に勤めていることさえ知らなかった。とはいえ、熱烈なアプローチをかけてきたのは颯佑。だから2人の間ではほとんど恋愛結婚と変わらない意識だった。 「でもさ、5年とか、ぶっちゃけ飽きない?」 「飽きるも何も、恋愛じゃあるまいし」 「醒めてるわねー。つか、なんか義理で結婚してるみたい」 「5年も一緒にいるともう家族なの」 「つったって、女はいつまでも女として扱ってもらいたいもんじゃないの? 家族っていったって、夫婦の間には血の繋がりなんてないのよ? 子供がいるならまだしもさー」 焼き鳥に伸ばしていた手が一瞬止まってしまったのを慌ててごまかすようにハイボールを掴んだ。 美琴の言葉がいちいち胸の奥をぐさぐさと刺しまくる。 いつから、どうして、颯佑は凪音を女として見られなくなったのだろう。それは颯佑に何度も問いかけてきたことだった。 その度に颯佑は否定するけれど、それでも新婚当初の甘く満たされた夜は今では月に一度もなく、むしろ、不在がちでさえある。 ひとり寝の寂しさを訴えても、仕事が忙しいと言われれば、同じ会社にいる分見えている状況を責めても仕方ない。 「夫婦の形なんて人それぞれだし、うちはこれでいいの」 「いいって、……あんな仕事の上でも甘えきってるなんて、まあプライベートでもあの男が凪音とどんなか底が見えてる気もするけどね」 「ちょっと美琴、それ言いすぎ」 さすがにムッとしてハイボールのグラスをテーブルに置くと、美琴はハッとしたように肩をすくめて、「……ごめん、言いすぎた」と素直に頭を下げた。 長いつきあいだけに、悪気がないことはわかっているし、悪いと自覚すると素直にすぐ謝るのもわかっている。たまに酔っ払った勢いで口が過ぎるのが傷で、それが同時に美人な美琴に彼氏が定着しない理由でもあるんだけれど。 「そうとうストレス溜まってんのよ、それ。ビールのペースもいつもより早いから」 「そうかも。だって、知ってる? 総務部長の……」 仕事の愚痴に移って颯佑の話題から逸れたことに少しホッとしつつ焼き鳥に手を伸ばした。 ぼんじりのぷりっとした感触を噛み切りながら、ふと周りを見た。 猥雑な駅前の繁華街はまだ夜も浅いというのに、どの店でも酔客が楽しげに笑ったり大声をあげたりしている。明日が休みであることの気安さもあって、いつもより喧騒が大きい。 なのに、その喧騒に、目の前の美琴と一緒にいる空間からさえも1人取り残されているような気がした。
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