少し不思議

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周りに押し潰されそうになりながら、燈矢はじっと次の駅を待っていた。乗車率二百パーセントを優に超える車内は、冷房が効いているとはいえ、この時期は地獄のように暑い。季節は夏、高校から始まった電車通学にも随分慣れ、乗り過ごしや乗り換えの間違いも、流石にもうしない。 アナウンスが流れ、暫くして電車の扉が開く。降車する人々の流れに乗ってすし詰めの電車から脱出し、大きく息を吐いた。 終業式を終え、八月。学校で行われる夏季講習のため、通勤ピークの時間に電車に乗っていた。矢張り恐ろしい程の混みようで、久し振りの混雑はなかなか堪えた。 改札へ向かう人の流れから離れ、乗り換えのホームへと進路をとる。四月の入学式の日、あまりの人の多さに驚いて目を回しかけたのが思い出された。 反対の方向へと向かう流れをぼんやりと視界に入れながら歩いていると、誰かと目が合った気がした。___誰かに、見つめられているような。 美少女でもいたら良いなと思ってその流れを見たが、別段変わりはなく、ただ人が流れて行くだけだった。時計を見て眉を蹙めたサラリーマン、お喋りに興じる女子高生、Tシャツに半ズボンのおっさん。燈矢を気にしていそうな人間はいない。 (気のせい?) 胸の内でそう呟いて、俺は乗り換えのホームへと歩いていった。 夏期講習二日目も、三日目も、四日目も。 六日間ある講習のうち、三分の二が過ぎた。そして、四日間の間、視線を感じ続けている。同じ場所で、誰かと。そうそう同じ場所で四日間も同じ人間に遭遇し続ける事なんて無いのに、いつもいつも全く同じ場所で目が合ったような気がするから不思議だった。 今日こそは誰と目が合っているのか見つけてやろうと意気込み、周りをこっそりと見回してみた。相変わらず怪しい人間はいないのに、誰かと目が合った気がする。 「なあ五条、どう思う?」 「普通に気のせいじゃねえの?」 「いや…四日間も気のせいが続くって、無いと思うんだよな。」 「だって、普通に誰かと目が合ったら、誰と目が合ったかぐらいわかるだろ?」 「普通に考えたらそうなんだけど…分かんねえんだよな、気をつけてるのに。何でだろ。」 そりゃおかしいだろ、と五条は首を傾げる。おかしいから、相談したのだ。 「じゃ、そうだな。今日、目が合った方向には何があったんだ?」 「ええと…」 そこにあったものを思い出そうと唸り、頭を絞った。普通に駅と、あとサラリーマンと、同じように通学途中の学生。 「それにおばさんもいたか。あのおばさん達って、あんな朝早くにどこに行くんだろうな。」 「おばさんの国だろ。…それとして、駅ってそこに何か特別なものがあったりしないのか?なんかのプレートがあったりとか。」 「いや、本当に普通の通路なんだよな。あんのはポスターぐらいで。」 東京駅には首相の誰だかが暗殺された場所があるらしいが、特段そういう訳でも無いと思う。だが、それを聞いて五条は、何かを思い出したような顔をした。 「なあ、そのポスターって、でっかく京都の街と女優の×××と、それから着物の芸妓さんが写ってる写真が載ってて、そこに、白抜きで「この夏は、京都」って書いてあるのじゃないか?」 「ああ、×××だったかは覚えてないけど、多分それだ。」 それを聞いて、五条は満足そうに頷いた。 「なら害とかはねえから、多分、そのうち目が合わなくなるぜ。気にすんな。」 そのポスターが何なのか、結局いくら聞いても五条は教えなかった。ただ、五条がひどく切ないような顔をしていたので、そのまま登校し続けたのだった。 結局、あれが何だったのかは分からないし、五条が何を隠していたのかも分からない。ただ、これが俺が高一の夏に体験した、ささやかな、不思議の話だ。
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