超孤独社会

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「東京は熱いねェ。全く、こりゃ人の住む場所じゃないよ。」  新宿駅の前。信号待ちをしながら、ふとオジサンがそんな愚痴をこぼす。  確かに熱い。ほんと、人の住む場所じゃないと思う。まあ、そういう僕はこの町の住人なんだけど。 「真奈は大丈夫か?団扇(うちわ)使うか?」  オジサンは娘の真奈ちゃんの方を見下げながらそう問いかけた。  真奈ちゃんは「いい。」とだけ言うと、また無表情になって、人形の様に小さな口を引き結ぶ。  ――――僕はちょっと心配になった。今日の観光、この子はちゃんと楽しんでくれるだろうか?  オジサンが『真奈が小さいうちに、一度でいいから東京を見せてやりたい』なんて言うから案内役を引き受けてしまったが、ちょっと安請け合いだったかもしれない。僕は二年前から東京に住んでるってだけで、口が上手いわけでもなく、観光名所だって一週間前ネットで調べた位だ。とてもじゃないけど、上手く案内なんてできる気がしない。 「それで翔太、今日はどこに連れてってくれるんだ?」  そんなことを考えていたら、まるで心を見透かすかのようにオジサンがそう聞いてきた。  思わず背筋が伸びる。 「あぁ、ええっと……とりあえず浅草の雷門から回ろう。」  僕は素っ頓狂にそう答えた。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 「いやぁ、なかなか良かったねぇ。やっぱり東京は見どころが多いよ。」  それからかれこれ六時間。天高く昇っていた夏の日はいつの間にかビルの後ろに隠れて、雪山のような入道雲がほんのり赤く染まっている。  僕らは一通りの観光を終えて、新宿駅に向かう途中、渋谷のスクランブル交差点で信号待ちをしていた。 「真奈も楽しかったか?」  オジサンの問いかけに無表情で頷く真奈ちゃん。  改めて思う。この子には本当に表情がない。観光の途中でもニコリともしなかった。本当に楽しんでくれたんだろうか?  ……いや、絶対に楽しんでもらえてない。分かる。だって今考えてみると、大して案内らしい案内も出来ていなかったような気がするから。  名所の紹介もネットで拾った知識を繋ぎ合わせただけだったし、結局昼飯も奢って貰っちゃったし…… 「なんかごめんね、不慣れな案内で。次はもっとうまくできるようにするから。」  情けなくなって、僕はそう言葉を漏らした。 「あっはっは。いやいや、なかなか良かったよ。今日は本当にありがとう。」  すると、オジサンは笑いながらそう返す。  それからしばらく、僕はオジサンと話をしていた。そうこうしているうちに信号が青に変わり、僕たち三人は再び歩き始める。 「おっ?なんだ?」  と、横断歩道を渡り切ったところで、オジサンの眼があるものに釘付けになった。  ――――信号付近にバイオリンを持った男。そしてその前に置かれたスケッチブック。そこに黒マジックで書かれた『エルガー、愛の挨拶』の文字。 「あぁ、パフォーマーだよ。」 「へぇ。ほんとにこういうのあるんだな。」  (せわ)しい雑踏の中、男は仰々しくお辞儀をして、バイオリンを構えた。  ――――そして響きだす、頓狂な音色。 「うげぇ、へたっぴ。」  オジサンは少し離れたところに立ち止まって、苦笑いしながら彼の様子を眺めていた。その眼差しには、『この腕前を人前で披露して恥ずかしくないの?』という明らかな嘲笑の念が見て取れる。  演奏が進むにつれ、僕は何だか恥ずかしくなるような、申し訳なくなるような気がして、オジサンの手を引こうとした。するとその瞬間、 「誰も、聴いて行かないんだな。」  ――――オジサンが不意にそう呟いた。  そして彼は、視線を流れる人混みへと移す。 「こんなに人が居るのに、誰も気にも留めない。冷たい街だな、東京ってのは。」  伏せがちな瞳は、西空の茜色を帯びながら、何かを愁うように鈍く光った。 「そうかな、僕は暖かいと思うけど。」  オジサンはまるで訳が分からないといった風に目を大きく見開いて、僕のことを見る。 「無関心だからこそ、温かい瞬間だってあるでしょ?」  ……今がまさにその瞬間じゃないか。本当の自分を思う存分さらけ出して、誰にも何も言われない。好きな姿で、好きなようにいられる世界。  決して認めてくれてるわけじゃない。でも、誰も否定はしない。なりたい自分にならせてくれる暖かさ。  そんな風に、みんな孤独で、みんな無関心だから、この街は世界のどこよりも暖かい。 「じゃなかったら、この街に人なんて集まらないよ。」  僕はオジサンに微笑み返した。 「そうかな。もしかしたら皆人じゃないのかもよ?ロボットだったりして。」  オジサンは本気にしてない風に茶化す。 「へぇっ!良くわかったね!おとーさんすごいっ!」  ――――と、オジサンの言葉を聞いた真奈ちゃんが、不意にそう叫んだ。 「ははは、ありがとう真奈。」  さっきまでとは打って変わって、彼女は満面の笑みで僕らのことを見上げている。この子が笑うなんて、今のおじさんの言葉はよっぽど面白かったらしい。  ……かと思ったのも束の間、真奈ちゃんは人混みの行き交う交差点のど真ん中に向けて走り出した。 「あぁ、ちょっと!」  交差点の真ん中に立ってこちらに振り返った真奈ちゃんは、大きく両手を開いて――――  ――――パチンッ!!  と、手を打つ。  その瞬間だった。  ドゥーン―――と何か機械の止まるような音がして、道行く人の動きが次第に遅くなり……とうとう終いには、皆動きを止めてしまった。 「うふふふふっ!」  街頭モニターの砂嵐。不意に、一陣の風が不動の人形達の間を縫う。  後に残されたのは、バイオリンの頓狂な音色と、ただただ嬉しそうな彼女の笑い声だけだ。  
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