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カフェを出た僕らはいつもの公園の道を並んで歩いていた。
先ほどの空気を引っ張っているようで、僕らの間に会話はなかった。
僕が気を利かせて話を振っても、莉緒さんは「うん」「そうね」と上の空の返事しかしない。
先程、一瞬あっけらかんとした感じを出してくれたものの、やはり話の内容がショックだったようで、莉緒さんは店を出てからは一言も発していない。
僕は、詩音の話をしている途中から悩んでいた。
彼女に同じ後悔をさせたくない。
母親に会ってほしい。
でも、僕は彼女の背中を押す資格があるのだろうか?
会いたかった人に怖がって「会いたい」と言えなかった僕が、偉そうに「会いたいと伝えるべきだ」と人に言っていいのか。
また臆病になっている。
考えながら歩いていると、桜の木の前で莉緒さんが立ち止まった。
葉桜となった木を見上げ、以前とは違う明るい表情で僕に話し始めた。
「この桜ね。昔、お母さんとよく見に来たの。毎年、春になると二人でお菓子持ってきて、そこのベンチに腰掛けて」
僕らがいつも腰掛けているベンチに視線を移した。
その目はいつかの日を懐かしむような温かいものだった。
「和人」と不意に名前を呼ばれた僕は「はいっ!」と元気よく返事をしてしまった。少し恥ずかしい。
「お墓参りは、したの?」
僕は痛いところを突かれ顔を歪ませた。
「いえ、一度も。納骨も、現実を認めたくなくて行きませんでした」
僕はどこまで愚かなのだろうか。大事な妹のことなのに僕は逃げたのだ。
本当に酷い兄だ。
「じゃー行きましょ、お墓参り」
「え?」
「一人が怖いなら私が付いて行ってあげる。情けないところを見られたくないならお墓の前までは行かない」
莉緒さんの背中を押そうとしていた僕が、逆に今背中を押されている。
ますます自分が情けなくなってくる。
「そうですね。考えときます」と答えを濁し僕は二番煎じながら勇気を出して莉緒さんに言う。
「莉緒さん。お母さんに会ってください。本当に会えなくなる、その前に」
莉緒さんは「ふふ」といつものように笑うと再び桜の木を見上げた。
「そうね。考えとくわ」
吹いている風はまだまだ春の香りを乗せている。その風になびく髪を耳にかける仕草が絵になっている莉緒さんを見つめていると、僕はあの日以来、初めて胸の中に日が差してくるのを感じた。
「後輩の真似するとか、莉緒さん以外と子供だなあ」
からかうように言いながら僕は莉緒さんに並んで木を見上げる。
ぼーっと眺めていると、莉緒さんが確かに刻んだお母さんとの記憶が見えたような気がして、僕は少しほっこりとした気持ちにさせられた。
「莉緒さん、会ってください」
「しつこいと嫌われるわよ」
僕らは再び歩き始めた。
僕らはこの日、いつの間にか迷い込んだ迷路を抜け出すキッカケを掴んだ気がする。
順路は分かっているのに、そこから抜け出すのが怖くてわざと違う道を歩んでいた。
詩音の話を莉緒さんに打ち明けたことによって、莉緒さんの心にも少し変化が生まれた。
あんなに穏やかな顔をしながらお母さんの話ができる莉緒さんを、こんなに早く見られるようになるとは思いもしなかった。
僕らは互いに手を取って、お互いを支えあいながら出口へと一歩進み出したのだ。
出口はすぐそこにある。
僕も莉緒さんも分かっている。
あと必要なのは、お互いそれぞれの勇気だ。
恐怖の中へ飛び込む勇気さえあれば、僕らはもう支えがなくても一人で歩いていける。
詩音に立派になった兄として顔向けができる。
莉緒さんを家に送り、商店街を抜けて大通りに出ようと歩いていると先程、喫茶店の中から見かけた二年生の一人とすれ違った。
向こうはニヤニヤしながらこちらを凝視していたが、僕は最後まで無視した。
あんなのに関わるのは面倒だ。放っておくに限る。
大通りに出て左に曲がると、見慣れた小さな背中を見つけた。
大きな買い物袋を二つ両手に下げて同じ方面へ歩く。
僕はその背中に走って近づき「おかえり」と後ろから話しかけた。
「うお。なんだ和人か。ビックリしたなあ」
母ちゃんはこの二年で少し老けた。白髪も目立つようになってきた。
「袋、持つよ」
「おう、助かる」
二つの買い物袋を受け取ると僕らは同じ速度で歩き始めた。
「今日のご飯、何?」
「さぁ、まだ決めていません!」
母ちゃんもすっかり元気になったぞ、詩音。
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