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五
ひぐらしが鳴き始め、地上を焼くように燃え盛っていた太陽も落ち着きを見せ始めた夕暮れ時に、僕らは詩音のお墓の前に着いた。
駅からタクシーで来れば良かったのだが、タクシー代をケチって歩いて向かうことにしたのが間違いだった。
母ちゃんに貰った地図を読み間違えて反対の方角に進むわ道に迷うわ。
途中で休憩も挟んだりしてやっと辿り着いた。
暑さのピークが超えた頃に駅に着いたのに、すっかり辺りは茜色に染まっていた。
「お待たせ。詩音」
そう言って駅前で買ったお花を、水を入れ替えた花瓶に移し替えた。
あんなに元気だった花びらも暑さにやられたのか、どこかくたびれた様に見えた。
「お前、これ好きだったよな」
小さい時、よく詩音が食べていたスナック菓子とお茶を供えた。
「ごめんな。兄ちゃんの知ってるお前の好きなもの、ここで更新止まってるんだわ」
鴇田詩音と彫られた暮石に優しく話しかける。
両親の離婚の際に、詩音と苗字が違うものになったことは知っていたが、こうして目の当たりにするとやはり少し寂しい。
線香をあげて、僕と莉緒はしゃがんで手を合わせた。
「はじめまして。木崎莉緒と申します。これから和人君の彼女になります。必ず彼を幸せにします」
声に出さなくていいのに。
少し沈黙を挟んでから莉緒が立ち上がった。
僕は静かに、心の中で詩音に話しかけた。
「詩音、本当に久しぶりだな。かなり遅くなって悪かったな。許してくれ。最近なこんなことがあってな…」
手を合わせている間、莉緒は静かに僕の後ろに立っていてくれた。
「それと、ごめんな。詩音が生きてる間に会いに行ってやらなくて。兄ちゃん怖かったんだ。お前になんて言われるのかわからなくて。拒絶されたらどうしようって。臆病だったんだ。ダサい兄ちゃんだろ?」
僕は思っていたよりもずっと、落ち着いた気持ちで詩音に話しかけることが出来た。返事はないけど、確かに詩音と会話していた。
「近いうちに親父にも会うよ。あの時胸ぐら掴んで責め立てたこと、まだ謝ってないんだ。ちゃんと仲直りするから安心してくれ」
別に気にしてないかな? 元々仲悪いの、詩音は知ってるもんな。でも、このままより親父と仲良くやってるの見てる方が詩音も嬉しいだろ?
「詩音。俺はお前のこと絶対に忘れない。当たり前だけど、それを一番伝えたかったんだ。もうお前を思い出して泣いたりしないよ。笑ってお前のこと思い出すんだ。その時は一緒に笑ってくれよな」
伝えたいことは全て伝えた。目を開けて合わせていた手を離す。
その時だった。
「お兄ちゃん」
そう呼ばれた気がして僕は振り返った。
土を慣らす程度に舗装された通路の真ん中に黒猫が座っていた。
詩音が好きだった猫。
「黒猫が横切ると不幸なことが起きるんだぜ」
そう言うと必ず詩音は頬を膨らませて
「黒猫さんだって幸せ運んでくれるもん」て言っていたっけ。
単なる偶然かと思った。
しかしその猫の前には、一輪の紫色の花が咲いていた。
「こんな所に花咲いてたっけ?」
「いや、なかったと思うけど」
花に近づき、ついでに猫の顎を撫でてやると、嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らした。
しばらくすると猫は起き上がり、伸びをしてから「にゃー」と鳴いて向こうの方に駆けて行った。
きっとこの声を僕は聞き間違えたのだろう。
少し残念だが、そう考えるのが妥当だ。
「綺麗な花だな」
僕がそう言うと莉緒は不思議そうに花を眺めて
「でもこの花、秋によく見るやつだよね?」
と首を傾げた。
「なんて名前だったっけなぁ」
スマホを取り出して調べようとした莉緒を僕は止めた。
僕はこの花の名前を知っている。その意味も。
「気にならないの?」
と莉緒に聞かれたが「気にならない」と言って、半ば強引にこの話題を終わりにした。
僕は伝え忘れていたことを思い出し、墓の前に戻り立ったまま声を張り上げた。
「詩音!紹介する!この人は木崎莉緒さん! 僕の彼女になる人だ!」
莉緒に止められたが僕は構わず声のボリュームを落とすことなく続ける。
「僕は、この人を幸せにする!絶対に!約束する!だから見守って欲しい!よろしくなー!」
最後は天に向かって叫んでいた。
「やめなさいよ。困ってるわよ、きっと」
そう言う莉緒の頬は赤く染まっていて、表情もどこか嬉しそうだった。
「じゃ、また来るわ。今度は母ちゃんも連れて」
別れの挨拶を残して僕らは詩音のお墓を後にした。
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