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 ベストまで着終えると、先輩は僕が渡したペットポトルに口をつけた。  一口で半分くらい飲み干した所を見ると、やはり相当緊張していたに違いない。そして唐突に疑問を口にした。  「同じ目ってどう言うこと? 」  「大切なものを思い出す様に遠くを見ている目。目の前のことじゃなくて、その向こうにいつかの景色を眺める目」  先輩の目線が下がり、悲しそうで少し恥ずかしそうな表情を浮かべながら床の一点を見つめている。  「そっか。わかる人にはわかっちゃうものだね」  「今更恥ずかしがることはないです。話してください。聞きたいです。どうして先輩がそんな目をするのか」  先輩は目線を動かさず、口元だけを少し笑わせてゆっくりと話し出した。  「私の両親、私が小学五年生の時に離婚したの。母が他の男と出て行く形で。母が大好きだった私はとても傷ついた。どうして私を連れて行ってくれなかったのかって」  涙をこらえるかのようにベッドのシーツを両手できつく握りしめ、唇を噛んでいる。  先輩の続きの言葉を僕は何も言わずにじっと待っていた。  「仕事ばかりの父に愛想つかしたのかもね。帰ってきても夫婦らしい会話をしているところなんて見たことない。よくドラマでもいるじゃない。女として扱ってくれる男に簡単に惚れちゃう女。きっと母もそんな感じだったんじゃないかな」  「理由知らないの? 両親の離婚の理由」  「聞きたくないわよそんなの。どうする? もし理由が私にあったら。あんなに大好きで、仲良しと思っていた母がある日突然、私を置いて出て行ったのよ? 聞けると思う?」  先輩は、血が滲んできそうなほどに唇をキツく噛んでいる。  怒り、悔しさ、悲しさ。それらが混ざったような険しい表情。  「お母さんに会いたいですか? 」  「会いたいわよ。会いたいに決まってるじゃない」  そう言うと大粒の涙を流しながら、俯き肩を震わせた。  二年前の自分を鏡に映しているかのような錯覚に襲われる。  ポケットからハンカチを取り出し、無言で先輩に渡すと、先輩も無言でそれを受け取った。  寂しい。  そう言ってしまえば済む話なのに、言えない気持ちは痛い程よくわかる。  もし、その「寂しい」を無下にされたら、と考えると怖気付いてしまうものだ。  きっと母親なら温かく包み込んでくれるだろう。僕の場合、守らなきゃいけない相手に対してそう思っているから余計に恥ずかしい。そして腹立たしい。  「君は抱きしめないの?」  またも先輩は唐突にそう聞いてきた。  「抱きしめて欲しいんですか?」  そう聞くと先輩は無言で首を横に振った。  「そうじゃない。いや、少しはそう思うけど、違うの」  先輩はハンカチを顔から離し、俯いたまま虚ろな目で話を続ける。  「今までこの話をして抱きしめてこなかった男はいないわ。幼馴染だった男の子。信頼していた先輩。皆最初は優しく抱きしめて、それからキスするの。そしてそのまま押し倒して嫌がる私を無視して最後まで」  やりきれない様に少し笑うと、先程までの先輩の顔に戻った。  僕はベッドに腰を下ろし、先輩の声に耳を傾ける。  「そうか。皆私の話なんてどうでもいいんだ。結局は私を抱く口実ができて喜んでるくらいなんだって。それに気が付いてから、私は誰でも受け入れた。街中で声をかけてきたおじさんにだって」  もういい。聞きたくない。  「抱かれたら母の気持ちもわかるんじゃないかって。女として求めてくれる喜びがどんなものかわかれば。でも私が知りたかったのはそうじゃない」  「もういいよ」  僕はベッドから立ち上がりながら叫んでいた。  先輩は肩をビクッとさせて話をやめた。  「ごめん、聞いといて。先輩が傷ついてきたこともよくわかった。だから今僕にできることはこんなことしかないかもしれない」  そう言って先輩に歩み寄り、後ろから優しく先輩を包み込んだ。  「でもさ、先輩。そんな言い訳しちゃダメだよ。聞かなきゃ、直接。お母さんの気持ちを。自分を傷つけるやり方じゃなくて、直接」  先輩は何も言わずに僕の腕を解きこちらに向き直すと、徐に僕の股間に手を伸ばした。驚いて、情けないことに後ろに飛び跳ねてしまった。  「本当に、それ目的じゃないのね」  「そんな確認の仕方ある?」  先輩は立ち上がってゆっくりと僕に近づき、胸元に顔を預ける様にして僕の腰に手を回した。  「君は、違うんだね。本当に私をわかってくれるのね」  その言葉に少し頬が緩んだ。良かった。先輩に見られずに済んだ。  「ごめんね。試す様なことして。見破られるの初めてだったから。それが私に近づく為だけの口実じゃないか試したくなっちゃった」  「もっと他にやり方あるでしょ」  苦笑いを浮かべたまま僕は壊れ物を包む様に、そっと先輩を抱きしめた。  きっと、ずっと探していたのだろう。頼ってもいい相手を。  事故を起こしながらも、ボロボロの車体のまま探し続けていたのだろう。  僕は、やっと見つけた安心できる車庫の様なものだ。  修理が終わったその時は、一人でまたどこかに走り去っていくだろう。  それまでは僕が先輩を雨風から守ってあげよう。  僕らはしばらくそのまま、ラブホテルの一室で服を着たまま健全に抱き合った。  部屋に流れる有線の音楽が今更ながら鬱陶しく感じたが、今先輩を離してはいけない気がしてそれを聴き続けるほかなかった。  「先輩、お腹空かない?」  先輩は僕の腕の中で「空いた」と小さく呟く。  それがなんだか可愛くて調子に乗って頭を撫でるとその手をバシッと叩かれ、次の瞬間にはまたコアラの様になっていた。  「それはダメなんだ」  「女の子の頭を軽々しく触るな」  「人の股間を軽々しく触ってきた人に言われたくないなあ」  僕は苦笑いしながら先輩を抱きしめるのだった。
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