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【14】
秋月めいという女の子は、この世に彷徨い出た魂の声を聞く事が出来るのだという。そのめいちゃんの口をついて出たのは老婆の声だった。それも単なる老婆ではない。言動から察するに、それが紅おことさんである事は明らかだった。そうなれば、導き出される答えはもはや一つしかない。
すでに、紅さんはあの世の存在へと変わり果ててしまった、という事だ。
「今日、ついさっき会ったばかりなのに」
思わずそう呟いた僕の声を聞いて、辺見先輩が戻って来た。
「今はまだ、言わん方がいい」
三神さんの言葉に僕は頷き、小首を傾げて尋ねて来る辺見先輩には、僕は頭を振って答えた。
僕たちは誰一人畳に腰を降ろす事もなく、玉宮さんと坂東さんが戻って来るのを待った。
津宮さんはひと言、「恐ろしい」と呟いた。彼は普段から玉宮家に出入りし、小夜さんの身の回りの不便を手助けしている。親戚筋として当然、小夜さんの身に潜む式神の存在を知っている。それが本当に「式神」であるかどうかは別にしても、強大な霊力を用いてお守りの家のとしての責務を果たしていると、そこに関しては誰よりも理解しているのだ。その彼をして、紅家のおことさんが放った式神は「恐ろしい」のひと言に尽きるそうだ。
「聞いても良いですか?」
顔を伏せたまま同じ場所を行ったり来たりする津宮さんに、辺見先輩が尋ねた。
「小夜さんとおことさんは、つまり、実の姉妹なんですか?」
そうだ、と津宮さんは答えた。
「君たちにはどう映っているか知らないがね、あの二人は、双子なんだよ」
え。
思わず声が出た。
姉妹であることには驚きなどない。だが、双子? あの二人が、同じ年だっていうのか?
「まあ、レディに対して見た目の話をするのは野暮だがねえ」
三神さんが言う。「新開くんの驚きようは、おそらく普通だよ。まず体格からして全然違うものなあ」
「失礼な事を言うな」
津宮さんの叱責に、
「いや、これは申し訳ない」
と三神さんは頭を垂れた。
「小夜さんはご自分でも仰っていましたね」
辺見先輩がしみじみとした声で言った。「強すぎる力を持つあまり、いつ内側から食い破られるか分からないって。お守りの家としての役目は私達が想像する以上の激務だと思います。そしてそれは、この家のおことさんにも同じ事が言える。失礼を承知で言いますが、私たちの目に映るおことさんの姿から察するに、カナメ石という結界を見張るお役目は、相当に生命力を消耗するのではありませんか?」
――― その通りです。
不意にそう答えたのは、部屋の隅で横たわっていた水中さんだった。水中さんは片肘をついて上体を起こし、起き上がろうとしていた。
「まだ寝てた方がいいよ」
と、水中さんの胸に手を添えて秋月さんが気遣った。
この家を訪れた時に見た水中さんの様子は、誰がどう見ても普通ではなかった。あれがどのような霊障であったのか定かではないが、三神さんが下がれと言った以上、危険な状態だった事は間違いないのだろう。幸い今は秋月さんが側についている。禍は去り、やがて水中さんは回復するだろう。だが失った体力だけは、時間を掛けて戻すしかないのだ。
「また、あの悍ましいものを、見たのです」
と、水中さんは言った。再び体を横たえ、その顔は天井を見つめていた。水中さんの目に、涙が溢れた。
「生首か」
と三神さんが聞いた。
「はい」
答える水中さんと三神さんを交互に見やり、津宮さんは狼狽した顔で後ずさった。聞いたことぐらいはあったのかもしれない。しかし、信じてはいなかったのだ。津宮さんの狼狽はその為だろう。
「庭から、声が聞こえたのです」
と、水中さんは続けた。「それが、いつも現れるあの女の声だと分かり、おことさんの指示するままに私は障子を開きました。軒下の照明が井戸を照らしましたら、やはりそこにはカナメ様のお姿はありませんでした。そしてその代わりに、上半身を今まさに井戸から出さんとするあの女が、笑っていたのです!」
――― げはははははははッ。
「甲高い声を発しながらその女は嘲笑ったのです!もはや首だけの存在ではなかったのです!髪を振り乱し、乳房も露わなその女は両手を井戸について出て来ようとしています。すると怯える私の背後でおことさんが立ち上がり、何事かを叫びながら式を打ちました。あの方の式は、蜘蛛です。大きくて力強い土蜘蛛です。合図を待ち、わなわなと震えながらも私が窓を開いたその瞬間、おことさんがその場でひっくり返られました。それを見た私までもが恐怖のあまり意識を失い、気が付いた時には、私は……」
パアン!
驚いて目をやると、三神さんが柏手を打っていた。
見開かれた目、その一同の視線を浴びながら、三神さんは言った。
「もう、よいわ」
その声を聞いた時、僕はある種の高揚感を覚えた。
思い出したと言ってもいい。
僕は三神さんが放つこの声を、聴いた事があるのだ。
続けて、三神さんはこう言った。
「さて。あるべき姿へ戻そうか」
僕と辺見先輩の背筋が伸びる。
――― そうだ。これは、まじないだ。
拝み屋を生業とする三神さんは今、呪いを放とうとしているのだ。僕と先輩はかつて、『リベラメンテ事件』において放った三神さんの呪いの効果を目撃している。
だが何故、水中さんへ向かって彼の呪いが発動するというんだ?
「バンビが戻るまで待つつもりであったが、ああ見えて奴は心根の優しい男であるからな。あの男も気付いてはいるだろうが、小夜さんが納得するまでおことさんの捜索に付き合う腹積もりかもしれぬ。となれば、しばらくは戻ってこんだろう」
気付く、とは……なんのことだ? すでにおことさんが亡くなられたかもしれない、という話の事だろうか。
「そのままではワシの話も耳に入り辛かろう。どれ、起こしてさしあげなさい。座っている分には平気だろう」
三神さんの言葉を受け、秋月さんは水中さんの身体を起こすのを手伝い、そして彼女の後ろに回って両肩に手を置いて、支えた。
三神さんは言う。
「現実とは何であるかを考える時、人は必ずしも目にしたものや聞いたものだけを信じるとは限らない。特にワシらのような生き方をしておると尚の事、幽玄なる幽世と現世の境など、あってないようなものだとハナから曖昧な判断を下しがちになる。だが本来この世に生きる者として、決して跨いではいけない境界線の存在を忘れてはならんのだ。あるものはあり、ないものはないのだ」
強くそう断言する三神さんの言葉に、水中さんの瞳がふるると震えた。
彼女の瞳の煌めきは、僕にはそれが「反発」と映った。
水中さんは三神さんの言葉のどこかに、抵抗する意志を抱いたのだ。
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