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【15】
「かつて古の村を襲った魔物とは何か。水中さん、あんたはそれを、どんな風に伝え聞いて来たのかね」
三神さんが使った魔物という言葉に、水中さんと津宮さんが息を呑んだ。
口にしてはいけない。
するべきではない。
昼間訪れた時に感じた強迫観念が、僕たちに暗黙の了解を強いた。外部から来た辺見先輩ですら、口にする事を無言のうちに咎められたのだ。
水中さんはしっかりとした目で三神さんを見つめ返すも、返答出来る言葉を探しあぐねていた。答えて良いものか、迷っている風でもあった。
「それは」
「悪魔、鬼、禍い、幽霊、あやかし、物の怪、人魂、なんでも良い。だがこの村にはそれが魔物として伝わり、村人はそれを受け入れた。そもそも、この村から若者がいなくなった原因としても語り継がれてきたその魔物の正体がなんであるのか、水中さん、あんたはどう考えるね?」
「……」
「何故答えないんだ」
「……言えません」
「何故言えない?」
「言えないからです」
「何故、魔物と口にすることを恐れるのかね」
「言えません」
「何故?」
「……言えないからです」
水中さんの背後で、秋月さんが「ふふ」と笑って下を向いた。
「なんだ」
と責めるような視線を向けた津宮さんを無視するように、秋月さんは三神さんに向かってこう言った。
「先生は相変わらず人が悪いなあ。この若い二人を本気で天正堂に引き入れたいの?」
秋月さんは含みのある目で僕たちを一瞥した。
「いや?」
と三神さんは笑って答える。
「まるで手解きだよ。その気がないんなら、そんなに回りくどい言い方しなくたって別にいいじゃないの。そんなに苛めてあげなくたってさぁ。それでなくとも先生の呪いは……効きが強すぎるんだから」
秋月さんはそう言って僕の目をじっと見据えた。
――― 効きが強すぎる。
そうか、三神さんが言ったキキとは『危機』ではなく、『呪いの効き目』のことだったのか。つまりあの時僕と三神さんの背後にいた秋月さんには、僕たち二人の会話が聞こえていたというわけだ。
「なるほど」
三神さんは素直に頷き、そして微笑みを浮かべた顔で水中さんを見つめた。
「すまなかったね、水中さん。あんたがどうしても話せないと言うなら、ワシの口から話をすればいい。それだけのことだった」
三神さんの言葉を受け、水中さんは血相を変えて顔を伏せた。しかしそれでも尚、彼女の口から何らかの弁明が聞かれることなかった。
「新開の、そして辺見嬢。ワシがお前さんたちに話してきかせた、村の言い伝えを覚えているかね」
むろん、覚えている。
その昔村に魔物が出て、若者たちを夜ごとさらっていく。対抗する術を持たない村人たちは外部から霊能者を呼び寄せ、退治させた。そして井戸に封じた魔物から村を守り続けるために、カナメ石を置いた。その石が霊能者であるカナメ自身、即身仏であるという話は先程知ったばかりだが。
「さよう。実を言うとその伝承とは別に、この村にはもう一つの言い伝えがあるんだ」
僕と辺見先輩は顔を見合わせた。
何が語られようとしているのか、全く見当がつかない。思わず視線を向けた秋月さんはしかし、先程とは違って微笑みを浮かべてなどいなかった。
「それは何故、魔物と口にしてはいけないのかという理由でもある。それは、その魔物が今もこの村にいるからだ」
え?
「その魔物とは、紅おこと、玉宮小夜姉妹だ」
「な」
奇なる事実が、いともたやすく僕の恐怖心を飛び越えた。
全く、意味が分からない。
「正確に言えば、彼女らの家系。先祖の筋にあたる。だが、あの姉妹とて相当な魔物であることは、お前さんらにも十分理解が出来ると思うがね」
強い霊能を備えていることを条件として挙げていいなら、確かにそうだ。だがそんな事を言っていいなら、この僕だって辺見先輩だって、そして三神さんも秋月さんも魔物だと言えてしまうじゃないか。
「確かに、彼女らを魔の物と呼ぶには心苦しいところではあるがね。だがこの村に伝承として残る魔の正体が、あの姉妹の先祖である事は間違いなのだ。二人は当然その事を知っているし、ワシやバンビのような生業の人間ならば、調べればその辺の事実はわりとすぐに把握出来る。だがバンビは知らんが、ワシはそうそうこの村に足を運ぶ用もないからな、冗談であっても当人を前に『魔物』とそしるような真似はせんよ」
そこへ、辺見先輩が割って入った。
優しい彼女のことだから、我慢が出来なかったのだと思う。
「だからって、例えどのような出来事がこの村の過去にあったとしても、人を魔物と呼ぶのはおかしいと思います。偏見というよりも、そこには悪意を感じます」
言われた三神さんは鼻の頭を指で掻きつつ、頷いた。
「もちろんだ」
「三神さんが呼び始めたわけじゃないことは分かってます。でもだったら尚更、今でもその呼び名を使う事自体、おやめになった方が良いんじゃないでしょうか。私は三神さんが好きです。だからこそ、嫌です」
「うむ」
これは推測でしかないけれど、きっと辺見先輩は玉宮小夜さんと触れあう事で、人間的なおかしみや哀愁などを彼女から感じとったのだ。人として生きる上で味わう苦労を当然のように抱える小夜さんと、少ないながらも血の通った言葉を交わしたのだ。魔物などと言ってほしくはないし、呼ばれてほしくないのだ。
「うむ、詫びよう。すまなかった。だが理解もしてほしい。ワシは今、言い伝えの話をしておるのだ」
僕の心臓が、大きく一回、跳ねた。
僕はこの日、三神さんから同じ言葉を聞いている。
あの時も確かに、この村についての話をしていた筈だ…。
「下告村に今も残る、そのもう一つの言い伝えとは……」
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