【18】

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   ……じゃあ、私らはいつまで縛り付けられなきゃいけなかったのさ?  そう、吐き出すように言った水中さんの声が、溜息のように零れ落ちた。  その言葉が、自分の犯した罪を認める発言とイコールである事も、きっと分かっていただろう。しかしそれでも、本当の気持ちを口にせずにはいられない。水中さんの疲れ切った顔には、そういった切なさが滲んでいた。 「殺したいから殺したわけじゃない。カナメ石の側で言い争いになった時、婆ちゃんが私を叩こうとして、それをかわした時によろめいたのさ。婆ちゃんはあの石には触れられないもんだからバランスを崩して、両手を避けて顔から倒れ込んだ。私は危ないと思って咄嗟に婆ちゃんに手を伸ばしたんだ。そうしたらその瞬間カナメ石も蓋も消え去って、婆ちゃんは開いた井戸へ音もなく落ちていった。私は慌てて手を伸ばしたけど、井戸は深くて真っ暗で、何も見えんし聞こえんかった。私が怖くなって体を起こした時にはもう、カナメ石は元通りに戻ってた」  水中さんの告白に、一同に動揺が広がった。  直接的な死因が水中さんの手によるものではなく、消える筈のないカナメ石の消失による井戸への落下であるならば、殺したのは果たして水中さんといえるのか、否か。  そして、この期に及んで水中さんが噓をついていない、という証拠もない。悍ましいとさえ思える紅家当主の死に様に、僕たちは固唾を飲んで水中さんを見つめた。  後にこの時のことを振り返ると、改めて後悔の念が浮かんで来る。何故この時、紅さんが井戸へ落ちたと聞いた瞬間確認しに行かなかったのか。まだ生きているかもしれなかったし、そうでなくとも彼女をそのまま放置しておくべきではなかったのだ。だがこの時の僕は、あるいは辺見先輩も、恐怖や驚きといった衝撃の強さに感情が麻痺し、自発的な行動に出るという機能が失われていたのだと思う。正直に言えば、助けに向かうべき、などという発想自体思いつきもしなかったのだ。 「その後どうしたのだ」  という三神さんの問いに、水中さんは頭を振った。 「井戸へ落ちてすぐ、どこからわいたのか、婆ちゃんの式が飛んで私の顔面に覆いかぶさった。あとの事は、よく覚えてない」  僕たちが紅家に到着し、玄関から飛び出してきた水中さんと遭遇したのが、この時なのだろう。 「それに」  と、水中さんは続ける。「それに、これで暮しが変わる……そういう思いもなくはなかった。私なんか、五十を回った今でも世間の事なんて何も知らない。この村のことしか知らないんだ。たまにやってくる喫茶店の女は、私と二十も離れてないってのに、いつ見ても若い、いつ見てもおしゃれで、いつまでも綺麗だ。だのに私ときたら、たまに会う村の外の男は三神さんだけ。津宮さんは小夜さんに惚れちまってる。私はいつんなったら、自分の人生を楽しんだら良いの? 駄目なの? もちろん、世話になった婆ちゃんを殺す気なんて初めからなかった。これまでだって、何度も何度も婆ちゃんには相談を持ち掛けてきた。カナメ石が大切な事はわかる。私らだってそれはわかってる。だけどずっとこの村に縛り付けられなくちゃいけない理由なんて、本当はないんじゃないのかなって。もっと外を見よう。もっと村を活気づけよう、若い人達を呼び戻そう。あんな……あんな一年中灰色をしている海なんかもう見たくない。もっと、綺麗な海が見たい。綺麗な山を見たい。美味しいものを食べたい。素敵な洋服を着てみたい。だけど、何を言ったところで婆ちゃんには通用しなかったんだ。だから。頭の固い婆ちゃんに黙って、村の風習を打ち壊すきっかけくらい作ったって、罰は当たらんと思うただけよ」 「む……」  村の風習を、打ち壊す?  たちどころに三神さんの表情が曇った。彼が度々口にする、『正しい方法と手順』を用いたまじないの最中、三神さんは惚れ惚れする程凛々しい顔で、真っすぐに相手を向いて座っている。その顔が一瞬、予想外の展開に表情を変えた。  家族も同然の親しき人間が死んだ、その原因を作ったのは自分である。水中さんの打ち明けた生々しい供述の瞬間よりも、三神さんの意識が強く引き寄せられたのは今まさにこの時であった。  三神さんの目が、秋月さんへと流れる。秋月さんは水中さんの両肩に手を置いたまま、三神さんを見つめ返す。 「それが、あんたにとっての動機なんだね?」  三神さんが顎に触れ、その手がやがて唇を覆った。  風向きが変わったような、そんな気配が漂い始めた。 「お前さんのお気持ちは痛いほどによくわかった。だが水中さん。いや、津宮さんでも良い。この際隠し事はなしで、正直に教えてもらいたい」  焦りすら感じる三神さんの問い掛けに、水中さんと津宮さんが顔を上げた。 「村に伝わる表向きの伝承では、この井戸の下に魔物が封じられており、玉宮家と紅家で井戸の封印を守って来たとされている。それとてあくまでも、言い伝えや昔話として残っているに過ぎず、村の外の人間は、今やこの村にそのような伝説があったことすら知りはしない。そしてそんな秘められた伝承の真実の顔、かつての村出身である霊能力姉妹が殺してしまった、カナメという若者の即身仏。ここで、お二方に改めて問いたい」  ――― あなた方は、カナメ石にどんな力が備わっていると教わってきたのだ?  水中さんと津宮さんは、示し合わせたように、同時にお互いを見た。だがその顔には、三神さんの問いに対する答えが浮かんでいるようには思えなかった。いや、そもそもが、理解すらしていないのではないかと感じられた。二人のそんな様子を目の当たりにし、思わず僕の口から素朴な疑問が零れ出た。 「さっき僕が尋ねた質問の答えが、それなんですか?」 「……質問?」  怪訝な顔で首を捻る津宮さんにも分かるように、僕は先を続けた。 「ええ。もしも三神さんの仰った、もう一つの言い伝えが正しい村の伝承であるなら、井戸の下には魔物なんていない、ということですよね。となれば、その上に乗っているカナメ石も、結界の為の石なんかじゃない、ということになりませんか?」 「さよう」  と三神さんは頷いた。「彼の言う通りだ。そして村の伝承の表裏、そのどちらをも知るはずの水中さんが、例えどんな理由であったにせよ今の生活を変えたい、抜け出したいと強く願った折、何故カナメ石の力を消し去る方向で風習を終わらせようとしたのか、そこがワシにも理解ができんのだ」 「それは、だって」  呟くように言ったのは、津宮さんの方だった。「あの岩みたいな即身仏から結界が消えれば、ただの死体に戻るわけだろう? そしたら警察を呼んで、村から運び出してもらう。そうなればおことさんだって小夜さんだって、お役御免になるじゃないか。なあ、水中さん。もともとはそういう話だったろう?」  津宮さんの説明に、水中さんは涙を滲ませながら頷いた。  その時、ため息にも似た呻き声をあげて秋月さんが立ち上がった。水中さんの肩に乗せていた彼女の手は当然離れる。だがもはや水中さんに立ち上がる気力はなく、片や秋月さんは空いた両手で自分の顔を覆ってしまった。彼女もまた、泣いているように見えた。  三神さんは自分の耳を疑うよう顔で、 「馬鹿な」  つぶやくように、そう言ったのである。
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