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【3】
「めい」
と秋月さんは呼んだ。
赤いダウンジャケットをフードまでかぶり、白いズボンを履いた小柄な少女だった。少女はコーヒー豆の入った紙袋を右手に持っており、秋月さんが目の前に立った瞬間、
「臭いッ」
と叫んでその紙袋に顔を押し付けた。
一旦外へ出て戻って来た秋月さんは、赤いダウンジャケットの少女を背後から抱きしめて、僕たちに改めて自己紹介をしてくれた。
「秋月六花です」
「妹の、めいです」
三神さんの紹介を経て僕と辺見先輩も頭を下げ、全員で窓際のボックス席に座った。
「お見事でしたね」
と、興奮気味に僕が言うと、
「お姉ちゃんまた何かやったの?」
とめいちゃんが食いついた。
なにかってなんだよ、そう眉をひそめる秋月さんに、辺見先輩がテーブルに額を当てて礼を述べた。彼女の体内に残っていた霊障を、秋月さんがすっきり取り除いてくれたのだ。
「想像していた方法とは全然違いましたけど、なんか、この世の神秘を見た気がします」
「大袈裟だな。あれは誰に対しても出来ることじゃないよ。辺見さんが自分の体内で一か所にまとめてくれてたから、ああやって取れたんだ。普通は全身に散らばってしまうからね、ああいうやり方は出来ないよ」
苦笑しつつ説明する秋月さんに、
「いや、大したもんだよ、実際」
と三神さんが褒めた。
「やめてよ、三神さんが話すと長くなる」
両手を上げて降参のポーズを取りながら秋月さんが止める。しかし全く意に介さずに話し始めた三神さんの語った内容は、興味をそそられずにはいられないものだった。
秋月さんは以前、まだ三神さんが屋号を借りて独立する前に所属していた、拝み屋集団『天正堂』の一員だったという、なかなかの経歴の持ち主だ。彼女は十代で門扉を叩いた時点で、すでに名の知られた霊能力者だったという。三神さん曰く、秋月さんは入団して間もないにも関わらず「もうここで学ぶことは何もないな」と言い放つ程の秀才だった。
「天正堂は泣く子も黙る生粋の拝み屋集団だ。そこをもってしても彼女にとっては学校かその程度の踏み台にしか見えていなかったんだな。いやはや、驚いたのなんの。実際ワシの目から見ても、この六花嬢は頭抜けて凄かった」
嫌そうな顔で窓の外を眺める秋月さんの隣では、誇らしげな顔でめいちゃんが頷いていた。
「あ」
と何かを思い出したような顔で、秋月さんはカウンターの上に置かれた紙袋を指さした。
「いつもの、アレのお代だけどさ。ちょっと何かと物入りで厳しいんだ。辺見さんの治療代ってことでいいかな」
「おいおい」
そこは話が別だろう。三神さんは意外なほど困り果て、口の中でもごもごと「アレを入手するのには苦労したんだ」とか「別にワシでも辺見嬢を治すことは出来た」だのとぼやき始めた。
秋月さんは愉快そうな笑い声を上げ、
「冗談だよ」
と言った。「分かってるよ。嘘に決まってるじゃないか。三神さんにはいつも感謝してますよ。あなたにしか頼めない仕事なんだから。な、めい?」
話を振られためいちゃんは鼻を膨らませて力強く頷き、
「感謝してます!」
と言った。つぶらな瞳で真っ直ぐに相手を見る、とても素直で純粋さを感じさせる少女だった。秋月さんとは血のつながりがないらしいが、姉に似てとても端正な顔立ちをしているのが印象的であった。
不意に、秋月さんが言った。
「その代わりと言っちゃあなんだけどさ、ひとつ別件で頼まれごとを引き受けてくんないかな」
やや前振りが長すぎた。だが本題はここからである。
この時、三神さんは確かに一度は秋月さんからの頼まれごとを断ろうとした。しかし結果的に断り切れずに訪れたその村で、僕はある種のトラウマを植え付けられるような恐怖を味わった。
その村は名を、しもつげ村、といった。
秋月六花、めい姉妹が営む「名前のない喫茶店」が建つ海岸沿いを奥へ行くと、緩やか坂道を登りきった先に一軒の民家が見えてくる。その家を通り過ぎてさらに先へと進むと、海を臨む高台に存在する小さな集落の奥へ入って行けるそうだ。そして秋月さんが依頼したい用件とは、どうやらその村に関わる事柄であるらしかった。
話合いの末、海沿いの街でホテルを取って一泊した僕たちは、翌日の朝早くにその村を目指した。
下告村、という字を書くそうだ。
三神さんの話では、古来より日本でも根深く伝わる風習、「姥捨て山」に似た性質の村なのだそうだ。貧しい家が口減らしのために老いた親を山へ捨てに行く、というあれだ。
「年寄しかおらん村でな。何度かワシも訪れたことがある。気分転換にと思って旅へ誘ってみたが、あの村へ行くことになるとは思わなんだわ。あんまり、気分の良い話じゃあないねえ」
三神さんはむろん、一度は僕達の同行を拒否した。しかし体の不調を治療してもらった手前、辺見先輩が三神さんに対して負い目を感じていた。もちろんそうと口には出さない。しかし乗り気でない三神さんを一人だけで行かせるのは忍びない。そんな辺見先輩の表情は、僕にも読み取ることが出来た。
下告村の下とは、要するに排泄のことであるという。排泄を告げるとはつまり、下の世話が必要な世代の人間ばかりが寄り添い合って暮らす村、という意味でつけられた名前なのだと三神さんは語った。秋月さんからの依頼とは、その下告村で最近起こったある『異変』に関することだという。
まずは村の玄関口に建つ民家に立ち寄り、話を聞くことにした。
住んでいたのは玉宮さんという名の女性で、御年八十歳を超えていると言うが、驚くことに一人暮らしだそうだ。背筋はしゃんとしてお元気そうだが、何より恰幅の良さが目についた。なるほどと言ってしまうのは失礼かもしれないが、玄関にいながらにして食べ物の良い匂いが漂ってきていた。
本来ならば親近感が湧きそうなものだが、僕たちを睨んだ細くすぼめられた両目には、余所者に対して心を開かぬ強い意志が感じられた。しかし、聞けばこの玉宮さんと三神さんは旧知の間柄であるらしく、慣れた口調で世間話を交わした後、やがて本題に入った。
「困ってるそうだね」
三神さんの言葉に、それまでは薄っすらと微笑んでいた玉宮さんだが、ピタリと笑うのをやめ、
「おあがりよ」
と言って僕たちに背を向けた。家に上がれということか。
三神さんが言う。
「いや、いい。ここで話を聞こう。日帰り旅行で来ているついでだからね、あまり時間はないんだ」
嘘である。すでに隣街で一晩を過ごしている時点で、日帰りではない。こちらはそれが嘘だと分かるだけに、理由を考えるのが怖かった。
「なら、このまま帰れ」
「ワシはそれでもかまわんが、話すだけでもしてみんかね。次いつ来れるか、分かったもんじゃないぞ」
玉宮さんは僕たちに背を向けたまま逡巡し、やがてこう言った。
「どんつきの、紅ん所へ行ってやれや」
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