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【4】
玉宮家を後にして一旦村の外へ出た所で、三神さんから下告村に関する少し突っ込んだ話を聞いた。
「あの婆さんはな、代々この村から外を見張る『お守りの家』を継いでおる」
三神さんは緩やかな下り坂に立ち、そう言って遠く小さく見える海沿いの街を指さした。すると、
「あれは霊感って言っていいのかなあ。何かが、あのお婆ちゃんの中にいる気がした」
不意に辺見先輩がそんなことを言った。振り返り、僕は尋ねた。
「何かって、なんですか?」
「分かんないけど」
感じるだけでなく、見る・聞く・祓うなど、ある程度実用的な霊能力を備えている辺見先輩の言葉だけに、僕は身が縮こまる思いがした。
「悪いものではないよ」
と、三神さんは頷きながら言う。「人に害を成すために飼ってるもんじゃない。言うたろう、村の外から入って来ようとする外敵から守るためのものなんだ」
飼ってる……?
あのお婆ちゃんが一体何を飼ってるっていうんだ?
「そうは言っても人ではないからな。ワシとておいそれと玉宮の家には上がりとうない」
目を細め、辺見先輩が僕を見ながら顔を横に振った。嫌な展開だぞ。
ええ、実に嫌な展開です。僕は辺見先輩に頷き返した。
「だがなあ、玉宮の婆ちゃんが紅へ行けということは、すでに良くないモノがこの村に侵入したと言うことなんだ」
僕たちの反応などお構いないし、三神さんはそう語る。
村の玄関口に玉宮家というお守りの家が存在するように、集落の最奥にもまた同じくお守りの家があるそうだ。紅家といって、その家の敷地には古くから奉られている枯井戸があるのだという。
「枯井戸?井戸を奉ってるんですか?」
思わず尋ねた僕の前に、辺見先輩がぐいっと体を差し挟んで三神さんを睨んだ。
「この村ってなんなんですか? 姥捨て山、村の玄関口にお守りの家、そのまた奥にもまた井戸を守る家って。ここは普通の村じゃありませんね?」
「そう睨まんでくれよ」
三神さんは眉をハの字にしてこめかみを指で掻いた。「ワシとて来たかったわけじゃないんだ」
「どういう村なんです?」
「作為的な裏があるわけじゃない。たまたまそうなったんだ」
「何かがあったんですね? この村に」
「……あった」
間を置いて答えた三神さんの声は低く、この上ない真剣味を帯びていた。
紅家という名の、村の深部にある家に向かう道中で話を聞いた。
途中、農作業に従事している幾人かの村人を見かけたが、話に聞く通り高齢者ばかりだった。まさか若者が一人もいないという事はないだろうが、限界集落と呼んで差し支えのない寂しい雰囲気が漂う村だった。
「結界、という言葉くらいは知っておるだろう。紅家はその役割を果たしているんだ」
何から守っているんです?
率直な僕の疑問に、三神さんは頭を振った。
「何かから村を守るとするならそれは玉宮家の役目だ。紅家はな、封じているんだよ」
「封じる」
「この村が下告村と呼ばれ、老人たちが寄り添い合って暮らすようになった理由。それは、魔物だ」
――― 魔物?
僕は返す言葉を忘れて息を呑み、辺見先輩は寒さに身を震わせながら自分の腕を摩った。
「言い伝えの話をしておる。その昔この村に魔物が出た。その魔物は男女問わず村の若い人間ばかりを狙って夜ごとにさらっていく。対抗する力などない村人たちは外に助けを求めた。現れたのは一人の男で、なんとかその魔物を滅することに成功した。その時魔物を村の最深部にあった井戸に封じこめたのが始まりとされ、村の代表として紅家がその井戸に張られた結界を見張り続けている、とこういうわけだ」
「まーもーのーねー!」
怖いのだろう。
辺見先輩はいかにも信じがたいという感情をこめて言うものの、話をするのが友人で拝み屋の三神さんではどうしたって信じてしまうのだ。辺見先輩同様、僕も怖くて仕方がなかった。今まさに、その紅家へ向かっているのである。
「若い人間ばかりを狙うって、何かの比喩でしょうか?」
僕の問いに、三神さんはほほうと感心したような声を上げた。
「冴えとるなあ。いや、ワシもそう思うんだ。魔物という存在の嗜好が若者に向くのではなく、それ自体が魔物。つまりはなんらかの流行り病であるとか、伝染病の類ではないかとな」
でーんーせーんーびょー?と、辺見先輩の声。
「ただそうなると、普通免疫力が低いのは年寄のほうだ。年寄ばかりが生き残って、若者が死んで行く。魔物が病だと考えるなら、これはちと矛盾するんだな」
僕と辺見先輩の足が止まった。
二三歩先を行った三神さんが立ち止まり、振り返った。
「なんだ?」
「実際に、死人が出ているんですか?」
「若者、が?」
なんのなんの、過去の話だと言っとるだろうが。
そう答える三神さんを見据えたまま 僕と辺見先輩は少しずつ後退を始めた。
下告村の最奥部には迷わず辿り着いた。
玄関口にぽつんと一軒建っている玉宮家から、広大な田畑と点在する作業小屋、数軒の民家を通り過ぎて二十分も歩けば到着する。その間、商店などは見受けられず、必要な生活物資は村の外まで買いに出しに行かねばならないそうだと、三神さんから聞いた。
不便な土地ではある。しかし見晴らしというか、見通しのよい集落だとも言えた。僕たちが登って来た緩やかな坂の小道は、元は秋月姉妹の喫茶店がある海岸線に端を発しており、高台である集落から眼下を一望すればそこに広がるのは、海だ。翻って、高い建物が何もない集落の内部に目線を上げれば、周囲を山が取り囲んでいる。今は季節が冬である為に、ただひたすら寒い。しかし春や秋ともなれば、豊かな自然と現代的要素を省いたレトロな風景は、とても居心地が良いだろうという印象を受けた。
村の奥には何軒かの家が固まって建ち並んでおり、どの家も雨戸を閉ざして閑散としていたが、三神さんは迷わず一番奥の家を目指した。
「誰もいないねえ」
と、誰ともなしに辺見先輩が小声で言った。
「以前はもう少しジジババの姿も多かったがな、時の流れというやつだろう」
「姥捨て山って、本当なんですか?」
僕の問いに、三神さんは前を向いたまま頷いた。
「そういった面も、あるにはあるな。代々この村に根を張って生きる玉宮や紅みたいな例もあるが、そういった古い家に生まれた若者は、大体村を出て行くんだ」
「一見のどかな田舎って感じですけど、下の街まで一時間ちょっとしか離れてませんものね」
「それが却って、心情的に村を出て行きやすい条件にもなっておるし、あるいは老人ホーム代わりに年寄り同士で生活させやすい理由にもなっておる。顔を見たくなったらすぐに会いに来れるから。実際そう言ってこの村に親、親戚を置いて行く人間ほど、二度と戻っては来んがね」
若者が居付かないのは、果たしてそれだけが原因だろうか。
ふと、長閑というよりはうら寂しい気配に包まれた家々を見渡しながら、僕は考えた。
かつてこの村に出没したという魔物。
若者ばかりが死んでいく村。
口数の少ない辺見先輩の横顔に注意を払いながらも、僕は嫌な予感を拭い去る事が出来ずにいた。
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