712人が本棚に入れています
本棚に追加
【7】
「調べよう」
三神さんはそう短く言って、立ち上がった。
「その頃からです」
三神さんを引き留めるように水中さんが言った。その声は、震えていた。
「ありゃー、夢ではありません。私は毎日ここの家に来てばあちゃんと日がな一日過ごしとります。だけども、あんなものを見たことはこれまで一度たりともなかった。いつだと言われてもわかりません。だけども、カナメ様が御力を失った頃から、見るようになりました」
坂東さんがぐーっと顔を近づけて、聞いた。
「何を?」
水中さんは答える。
「女の生首です」
――― なま……くび?
「どこで」
驚き尋ねる三神さんの問いに、水中さんは振り返らずに自分の背後を指さした。障子がある。その向こうにあるのは、井戸だ。
「その瞬間はカナメ様が消え、代わりに井戸の上に女の生首が乗って私らを笑いながら見とるんです」
噓だと思いたい。
僕の隣では、辺見先輩が顔を伏せたまま目を見開いていた。
「知った顔かね?」
三神さんの問いかけに水中さんは激しく頭を振った。
「カーミー」
と、紅さんが声を上げた。三神さんを呼んでいるのだろう。
「何、おことさん、どうした」
「カーミー。厄介なやつがぁ、戻ってきよんぞおー」
紅さんの言葉を受け、三神さんはどかりと座り直した。
そのようだなぁ……。
顎をさする三神さんの目にはもはや、僕や辺見先輩のことなど映っていなかっただろう。僕は正直、この段階で今回の件からは手を引こうと決心していた。していた、はずだった。
紅家の外に出た瞬間、僕と辺見先輩は体が内側から裏返るような溜息を吐き出した。
出しなに、体を休めるなら自分の家を使ってくれて構わないと、水中さんが提案してくれた。彼女の親切心に感謝の気持ちを述べはしたものの、僕は一刻も早くこの村を出たくて仕方がなかった。
時刻はまだ正午を少し回った頃だったが、太陽が昇り切っていないような冬場特有の暗さと気温の低さに、思い起こされるのは秋月姉妹が営む喫茶店の温もりであった。
三神さんと共に紅家を後にした僕たちのすぐ後ろから、携帯電話を耳に当てた坂東さんが出てきた。無意識に立ち止まった僕の背中をどんと突き、坂東さんは不機嫌さを隠さない表情で僕たちの側を通り過ぎた。
「あー、アユミさん? 最悪だよこっちは。やっぱ一人で来るべきじゃなかったね。イチキ課長も人が悪いよ全く。アユミさん今からでもこっち来れない? なんかさー、天正堂がいんだよねえ。……そうなんだよ、変な大学生みたいなの連れてるしさー。いや……え? さあ、どうかなぁ」
僕たちに聞かせているのだろう。坂東さんは電話に向かって大きな声を出しつつも、三メートル先で背を向けたまま、立ち去ろうとしない。
坂東さんを無視し、僕と辺見先輩が帰る意志を示すと、三神さんもその方が良いと頷いてくれた。少しこの辺りに残って調べ物をしたいという三神さんに、このまま二人だけで街へ降りる旨を告げた。
「秋月さんに、何かお伝えする事はありますか?」
僕がそう尋ねた時だった。
「おい。お前、今なんて言った?」
通話を終えた坂東さんが戻って来た。僕が答えずにただ黙って彼を見返していると、坂東さんは僕の胸倉を掴んで顔を寄せた。
「秋月。お前そう言ったか?」
はいー!ストーップ!
僕の服を引っ掴んでいる坂東さんの手首に、辺見先輩がゆっくりと空手チョップを振り降ろした。眉間に深い皺を刻んで睨み付ける坂東さんを笑顔で見返し、先輩は優しく言った。
「一旦。ね、一旦手を離しましょうか。ね」
「ああ?」
「え、公安警察なんだよね?」
言われて坂東さんは気まずそうに手を離し、素性をばらした三神さんを睨んだ。三神さんは乱れた僕の衣服の皺を伸ばしながら、
「隠す理由はないんだがね」
と言う。「六花嬢は以前、超事(チョウジ)にもいたんだ」
ええ!? 僕と辺見先輩の声が揃い、坂東さんは舌打ちして背を向けた。
「まあなんというか、ご存知の通りあの秋月六花嬢だからねえ。彼女の麗しさが、当時若者だったこのバンビ君をトリコにしたわけなんだが」
「おいぃ」
取れるんじゃないかと心配になる角度で坂東さんは首を捻り、三神さんを敢えて下から睨み上げた。綺麗な七三分けとインテリ眼鏡で中和されているが、なかなかの凶暴性が垣間見れる顔をしていた。
「で、お前さんはどうするんだ。このまま超事が介入するというなら、ワシらは手を引いてもかまわんよ。別に村から正式な依頼を受けたわけでもないしな」
三神さんがそう尋ねると、坂東さんは苛立ちを抑えきれない顔で髪の毛をかき乱した。
「……分からん」
「分からんとはなんだ。今イチキ君の名前を出しとったじゃないか。これは仕事じゃないのか?」
「イチキ課長の性格知ってるだろ。とりあえず見て来い、話はそれからだ、って」
「お前今日、これ非番で動いとるんか?」
「俺たちに非番なんてないさ。ただまあ、……ああ、まあ良いか。さっき言ったネタ元な。あれも実は秋月先輩なんだよ。課長と先輩両方からこの村の話を聞いたもんだから、きっとなんか厄介な事になってるんだろうとは予想してたけどな」
坂東さんはチラリと背後の紅家を振り返り、
「正直、関わりたくはないね」
と言った。
三神さんは顎を撫でながら頷き、同感だなぁと嘆いた。紅さんの手前本音は隠したものの、おいそれと首を突っ込んで良い事件とは思えない、三神さんはそうも言った。
「ワシらも六花嬢の依頼で、この村を訪れたんだ」
「だろうなあ。あんたが来ると分かってたから、ご丁寧に今日が良いと俺に日にちを指定してきたんだろ。てことは、こいつらも天正堂?」
親指で僕たちを指し示す坂東さんに、三神さんは苦笑して首を横に振った。
「超事のバンビとイチキ。天正堂のワシと六花嬢。ま、言うなれば彼らは、そうさな。……西荻派、とでも言おうか」
三神さんの言葉に、坂東さんが息を呑んだ。それまでは僕たちを目の端に留める程度の見方だったのが、その時初めてしっかりと認識したような目で、僕らの顔をまじまじと見つめた。
最初のコメントを投稿しよう!