24人が本棚に入れています
本棚に追加
「スーツ着てるのなんか、初めて見た。
...格好いいね。」
笑って言ったはずなのに、ようやく絞り出したその声は、少し震えていたかも知れない。
彼は訝しげに眉を寄せ、それから困り顔で笑った。
「ありがと。
...けどそんな顔して言われても、褒められてる気、せぇへんけどな。」
居酒屋で向かい合って座ったまま、真っ直ぐな、迷いのない視線が私を射抜き、捕らえて逃がしてくれない。
「ホンマ、何があったん?
ちゃんと俺には、全部言うてや。」
次にそう言った彼の瞳も声も、びっくりするくらい弱々しくて。
あぁ...不安なのは私だけじゃないのかも知れないと、素直に感じる事が出来た。
「...友達にね、言われたの。
環境の違いとかから、うまくいかなくなるカップルも、多いんだよって。
...最近前ほど会えないし、センパイモテるから、なんか不安になっちゃって。」
自分の中の負の感情を、全て吐き出した。
すると彼は小さく息を吐き出し、それからいつもと同じ、やんちゃな笑みを浮かべた。
「えーっ、何それっ!
そんなに俺、かっこええ?
モテそう?
やっぱり、滲み出てまうもんなんやなぁ...。」
...アホだ、この人。
でもこのアホでお調子者な彼の事が、どうしようもなく好きだ。
そしてそんな彼の言動に、これまで悩んでいたのが一気に馬鹿馬鹿しくなり、私もようやく心から笑えた。
...なのに次の瞬間彼は、これまで私に見せた事のない、大人っぽい表情で微笑んで、優しい声で言ったのだ。
「...大丈夫やで。
俺は心陽の事、大好きやから。
せやから、不安になんかならんでええよ。
他のヤツの言葉なんかに、惑わされんな。」
テーブルの向こうから大きな手が伸びてきて、私の頭をクシャクシャと撫でた。
「...なんか、ムカつくんだけど。」
つい泣きそうになり、鼻水をずずっと啜りあげながら答えた。
「...なんでやねん。
ムカつかんといてや。
俺、めっちゃええ事言うたのにーっ!」
唇を尖らせるその顔は、やっぱりいつものセンパイで。
あぁ、よかった。
私たちはきっと、大丈夫。
そう思えた。
たぶん私の知らない、大人な顔をしたセンパイも居るのだとは思うけれど、私にはまだ刺激が強すぎる。
...でもいつかちゃんと、この人に似合う女性になれたらいいな。
そんな風に考えていたら、彼は少し不機嫌そうに口元を歪め、聞いた。
「...で。
心陽に環境の違いはなんたらかんたらって、余計な事言うたんは誰?」
ひんやり。
私たちの周りを包むの空気の温度が、一気に下がった気がした。
「...へ?」
なんでそんな事を、聞かれたのか。
その意味がわからず、少し返事が遅れた。
「...同じサークルの、君下か?」
答えるより先に、彼が正解を口にした。
「えっと...、何でわかったの?」
驚き、質問に質問を重ねる。
すると彼はますます不機嫌そうな感じで唇を歪め、忌々しげにいった。
「気ぃ付けて。
...アイツお前の事、前からずっと狙っとるから。」
「ぷっ...、何言ってんのっ!?
そんな事、あるわけないしっ!
君下くんは、ただの友達だよ?
そもそもの話、私の事なんか女の子として見てないと思...う...し...。」
後半音声がフェードアウトしていったのは、優しく微笑む彼の顔があまりにも綺麗で、なのに同時に得体の知れない真っ黒なオーラみたいなのを発しているような気がして恐ろしかったからだ。
「危なっかしいやっちゃなぁ...。
ホンマ、気ぃ付けてや?
冗談とちゃうからな、これはマジなヤツやで。
...あと今度から、アイツと二人っきりになるん、絶対禁止。」
「...はい。」
関東でようやく梅雨明けが発表された、7月の最終週。
無邪気でやんちゃな笑顔が魅力の、流暢な関西弁を操る私の年上の恋人は、大人っぽくて、かっこよくて、色っぽくて。
...そしてどうやら独占欲が半端なく強いらしいと、私は知った。
【おしまい】
最初のコメントを投稿しよう!