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「じゃあ、戻ってきたらお知らせします」
呼吸を整え、掌で汗をぬぐう。この装置がないと、花火があがらないのだ。雅紀との約束も果たせない。
白々とライトの照らす草むらに、足を踏み出す。
Tシャツの背は、すでに汗まみれ。両手でトランクを抱えているから、光に集まる虫を避けることもできない。
足が重くて、思うように歩けない。
それでも一歩ずつ、リフトの横を昇って行く。柱に辿り着くごとに足を止め、坂を睨む。時折、風に乗ってライブの歌声がかすかに響いてくる。
「ちくしょー!」
喉が渇いて、ふらふらになりながら、あと少し、というところまで来た。
「おーい」
リフトの上から、叫ぶ声が聞こえた。
「今! 届け! ますから!」
口がからからで、思うように声も出ない。それでも、登って行くと人影が手を振っているのが見えた。
はあはあ、と荒い息でなんとか、その人の元に辿り着く。
「はい、これ」
心臓が、飛び出しそうなほど激しく脈を打つなか、トランクを差し出す。腕時計を見ると時55分。
頭にタオルを巻いた体格のいい男性はトランクを受け取ると、
「ありがとう! 本当に助かったわ!」
と叫んだ。
「にしても、歩いてここ登ってくるなんて、お姉さん、アスリートか、何かですか」
と驚いている。
「郵便屋です」
他にうまく名乗ることができない。
「いま、水持ってきます」
「お構いなく。それより早く花火の準備してください。楽しみにしてるんで」
そういって、筋繊維の死にかけた腕をぶらぶらさせながら、山を下った。
途中、ススキの葉であちこち肌を切ったが、もうどうでもよかった。
恋幌ホテルのフロントになんとか、辿り着き、ライトを消してもらうよう頼む。
「あと、すみません……お水いただけませんか」
500ミリのペットボトルを一気に飲み干し、そこで力尽きた。
ロビーのソファに身を横たえ、どーんと花火の打ちあがる音を聞く。
あーあ。結局、雅紀との約束は果たせなかった。傷だらけで汗まみれ。ついでに昼間転んだから、泥だらけのままだ。
溜息をついていると、エントランスのドアが開き、誰かが駆けこんで来た。
「翼!」
聞きなれた声。身体を起こすと、雅紀の姿があった。
「康臣に聞いて、迎えに来た。車乗れ」
「え、でも、自転車で来てて」
「いいから」
ほら、と両手を引っ張り立ち上がらせてくれる。
「ありがとう」
恋幌ホテルの駐車場までくると、山の上から次々に打ちあがる花火が見えた。
「わあ、すごい」
どーん、と大きな音も迫力がある。
体の痛みを忘れて、思わず見入った。
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