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芽生える気持ち
「へぇ。ずっと女子だけだったんだ。」
松山さんは飲み終わったグラスをテーブルに置いてそう言った。黒い瞳がきらきらと輝いていた。
「俺は小学校から共学だったから、全然イメージわかないなあ。やっぱり若い男の先生とかもてるの?」
「それはまあ……」
私がそう答えると松山さんは意地の悪そうな顔をして口を開いた。
「宮園さんの初恋ってもしかして先生??」
「ち、違います!」
図星だった。
顔が赤くなるのがわかった。
松山さんは私の顔が赤くなったのが面白いみたいで、楽しげに声を上げて笑った。
「笑わないでください。そういう松山さんは誰ですか?クラスの女子とか?」
そう言うと松山さんはふと笑いをとめた。
「俺はカナエだったんだよな。全然笑えないけど」
「ご、ごめんなさい」
私は思わず謝った。彼にとって思い出はすべて上杉さんと共にあるみたいだった。
「あ、こっちこそごめん。宮園さんもカナエのこと、思い出すの嫌だろうに。しっかし、女子高の先生ってうらやましいなあ。俺もそれになればよかった」
松山さんは話を変えようと無理にそう笑い、私を見た。でも瞳が笑ってなかった。やっぱり彼にとってもまだ上杉さんは忘れられない存在だということが分かった。
私と同じで……
「ここでいいの?今日は結構遅くなったから送ろうか?」
「ううん。ここで。親に変な心配させたくないし」
夕食が終わり私は松山さんに近くの駅まで送ってもらった。いつも駅から歩いて家まで帰っていた。
「じゃあ、元気で」
松山さんは窓から顔を出すとそう言った。
「うん、元気で」
私はそう答えると後ろを振り向かず歩きだした。
失恋した者同士。
お互いに傷を負った者。
だから一緒にいても心地いいだけ。
それだけなんだから。
私は自分の中に芽生えた恋に似た感情をそう決めつけていた。
もう人を好きになるのは嫌だった。
しばらく歩いていると誰かの足音が聞こえた。私は振り向くのが怖くて足を速めた。すると追ってきた足音も同じように速くなった。
私は走りだした。
3分で家に着くはずだった。
「待ってよ」
腕を掴まれた。振り返ると黒いパーカーを着た中年の男が気持ち悪い笑みを浮かべて私を見ていた。
「離して!」
私は持っていた鞄で男を殴ったが、男は腕を離そうとしなかった。
そして別の手を私のもう一つの腕を掴んだ。
男の顔が私に迫った。
「助けて、誰か!」
その時、強い光が男の後ろから放たれた。それは車のヘッドライトだった。
「その子を離せ!変態!」
車から降りた人はそう叫んだ。男は慌てて逃げ出した。
私はその場にへたり込んだ。
「大丈夫?宮園さん」
車から降りてきた人は松山さんだった。
「ど、どうしてここに」
「忘れ物。またハンカチ忘れていただろう?会社に送るのも面倒だから今日のうちに返そうと思ってその辺走っていたら……」
私は松山さんの言葉を最後まで言わせなかった。気がついたら松山さんにしがみついていた。
「ありがとう。来てくれて」
そんな私に松山さんは何も言わず、ただ頭を優しく撫でた。
「さ、今度こそ家まで送るから。車に乗って」
松山さんは安心させるように笑うと私の手をとり、立ち上がらせた。
「うん……」
私はそう答えると松山さんに手を引かれるまま車に乗った。
手から伝わる体温がとても温かかった。
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