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プロローグ
初めて入ったライブハウスで、私は「彼」に、初めて出会った。
同僚の由里と一緒に夕食をとってから、小さなバー兼ライブハウスで飲もうと入った、その場所で。
いつだったか、このお店は、勤務先にやってくる、取引先の営業さんから聞いたことがあって、一度は行ってみたいと思っていたところだ。
今夜も、誰かがうたっているみたい。
中へ入ると、ほぼ、満員に近い。
私と由里は、スタッフさんが用意してくれた、バーカウンターに近い椅子席に座った。
お店の一番奥にあるステージで、うたう「彼」は、不思議な空気を纏っていた……でも、それは、たぶん、私が感じたものだけで、ほかの人たちはそれには気づいていないみたい。初めて見る人なのに、なんというのか……周囲の人たちとは違う、とにかく不思議としか言いようがない、うまく言葉が出てこないのがもどかしい。
ふつうにトークしている声も優しい。男性なのだが、声色に透明感がある……とにかく、心地よく響いてくる声だ。
ゆったりとうたう、優しい声、表情。 .
その声は、私の心の中に直接、響いてくる。
私は自分の胸の上を抑えて、深呼吸するようにして「彼」を見つめた。
優しいだけじゃない、うたの歌詞によって、その声は色々と変わる。
目の前に、その情景や、うたの「主人公」の気持ちが次々と浮かぶような感じがして、私はますます、胸が苦しくなってくる。
と。
「え?」
ステージの上にいた「彼」と視線が合ってしまった。ニコッと微笑む「彼」。
「あ……」
メガネの下の、ワインレッドの瞳。不思議な瞳の色。ワインレッドの瞳を持った人なんて、私、今まで会ったことがない。銀色の髪にあの瞳……優しく微笑んで私を見ている。
すると、どうだろう。それまで、胸が苦しかったはずなのに、スッと、気持ちが楽になった。肩の力がぬけたというのか、本当にラクになったのだ。
「どうしたの?葉月、ねぇ、はづき?葉月ってば」
となりにいた由里が私の肩を揺さぶっていることに気づいた。
「あ……ごめん。ちょっと……聞き入ってしまって」
私がようやく我に返ったことにホッとしたのか、由里は本当に安堵したという声になった。
それから、ステージでうたう「彼」を見て、
「素敵よね、すっごく優しい声」
と言った。私も言葉を発さずに頷く。
由里は、片手にしていたカクテルの入ったグラスをゆっくりとかたむけて続ける。
「不思議な声だけれど、すごく心に響くっていうのかな。でも、どこかで聞いたことがあるような声で……」
気づけば、「彼」は、静かにうたい終わり、軽くアタマを下げていた。拍手が沸き起こる中を、ゆっくりとアタマを上げる。優しい笑顔で周囲の声に応えていた。
銀色の髪、ワインレッドの瞳…照明の関係なのかな?
だけど、その不思議な存在感が、私自身の中にある「なにか」とシンクロするような感じがして……なんだろ、これ。この気持ち、うまく表現できないよ。
ぱっと見た目、中性的な感じがする、その人の名前は「藤宮タクト」。
見た目、年齢不詳の、不思議な外見。
帰宅しても、彼のうたう姿、声、そして、あの笑顔が私の脳裏に焼き付いて離れない。
柔らかい笑顔、特徴的な外見と、透き通るような歌声。
それは、私の中にあった「なにか」に直接、響いてきたのだ。
その後、私が彼に再会するのは、このライブのあと、それほど遠くない日だったりする。
(続く)
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