少し前の話

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体の構造上可能な限り見開いた瞼からドブ色の眼球が飛び出し、両脚をバタつかせながら地面を転がる。 その間にもじわじわと薄い鉄の板が暗緑色の肌に食い込んでいく。 何度も何度も錆びた短剣を握る小さな両手を左右に振りながら、少しづつ少しづつその切っ先はその皮膚を破りその中身(・・)に近づいていき、ついに――――到達した。 一度穴が空いた後は直ぐだった。一振りごとにその穴は大きさを増し、数回往復するころにはへそを跨いで左右に伸びきった穴からは生暖かい肉の塊がずるりと零れ落ちてきた。 青年が命じたのは腹を切る(・・・・)まで。 これが腹を切って死ね、という内容だったならそれ以上苦しまずに済んだかもしれない。だが青年が命じたのは腹を切る所まで。 言われた通り命令を完遂した小鬼はそこで体の自由を取り戻した。 誰が見ても手遅れ、そんな状況で唯一人腹に穴の開いたゴブリンだけは自らの腹部から今なお溢れ続ける大事な何かを拾い上げようとしているが、上手くいかない。 「なーんか思ってたの違うな」 くだらない余興を見終えた観客の様におおきな欠伸をひとつかまし、青年は玉座を降りる。 ひたすらに凄惨な余興で一つの同胞の命が失われた事をどう感じているのか最初の二匹はここまで顔を伏せたまま、鳴き声ひとつ挙げずに背景と同化していた。 「あ、俺がさっき頭踏んでた方。今からお前が在庫管理係な。今死んだ分と素人二人組に殺された分、とりあえず減った分くらいは増やしとけよ。今ある在庫は使い切っていいぞ、そんで新しいのを獲ってこい。けどあんまりこの森から近い場所はやめろ、やり過ぎるとお前らの嫌いな人間様が揃ってやってくる。いくらこの森が広いって言っても人海戦術で来られたらこの洞窟もあっさり見つかっちまうだろうな。そうなりゃお前らは晴れて全滅、まあ俺は適当に理由つけてそいつらと一緒に町にでもついていけば済む話だけど。ただまあ、俺だってここまで蓄えた戦力を全部無くすのは避けたい話だしなぁ、新しく他のゴブリンを探しに行くのも面倒臭い事この上ないし」 返事は待たない、確認もしない。必要がないからだ。 己の言葉がゴブリンの耳に届けばそれがどんな小さな声だろうと彼らはそれを遵守する。それを理解している彼は命令が伝わっているか確認をしたり念を押したりすることが無い。言いたい事だけ言うと玉座を降りた青年はその裏手にある扉の奥へと消えていった。
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