手のひらに乗る満天の星

4/12
前へ
/12ページ
次へ
「な、何かな?」  佐々木さんとは、一年生の時も同じクラスだった。口数の少ない大人しい子だけど、転校してきたばかりの私に色んなことを教えてくれた、優しい子。初めはよく話をしていたけれど、私に友達が増えてからは疎遠になってしまっていた。今日だって、久しぶりに話をするから少しドキドキしている。 「その絵の事なんだけど……」  佐々木さんはおずおずと指さした先に、私が夢中になっている絵がある。 「え? ああ、この星の絵?」 「うちの部活――私、美術部なんだけど――の先輩が描いた絵なの。校長先生が話していたの、聞いてなかった?」 「ううん、全然聞いてない」  私と千夏ちゃんが顔を見合わせて互いに頷くので、佐々木さんは呆れるように小さき息を漏らす。 「コンクールで金賞を取ったから、しばらくこうやって飾るんだって言ってたよ」 「……へぇ。そう言われてみたら、素敵な絵かも」  千夏ちゃんが口を開くと、佐々木さんは「じゃあね」と言って、スタスタと早足で行ってしまう。千夏ちゃんと佐々木さんは、言ってしまえば『キャラが違う』から、お話しするのは苦手なんだろう。千夏ちゃんは明るくてクラスの中心的人物、佐々木さんは少し影のあるタイプ。朝と夜くらい違う。千夏ちゃんは遠ざかっていく佐々木さんの背中を見て「変な子」と呟いた。 「……本当に素敵な絵だなぁ。どんな人が描いたんだろう? 気になるなぁ」 「実里ちゃん、早く行かないと先生に怒られるよ」  私の腕を千夏ちゃんが掴み、そのまま引きずられるように教室に向かった。でも私の頭の中には、夢にまで見るような星空を描いたあの絵の事でいっぱいになっていく。一体どんな人が描いたのだろう? どこの星空を見ながら描いたのだろう? 疑問は宇宙のようにどんどんと膨らんでいく。 「……来てしまったよ、美術室」  知りたいという欲望に勝てなくなった私は、数日後、美術室に来ていた。授業の時以外来ることはない部屋、どこを見ているのかさっぱり分からない胸像が怖くて、あまりここに来たいなんて考えたことなかった。 私が引き戸に手をかけて、そっと開けていく。むっと鼻にこびりつく油絵の具の匂い。その匂いも苦手で、私は鼻ではなく口で呼吸をする。でも、口から入ったその匂いは、今度は胸のあたりに漂う。  一歩足を踏み入れる。片づけられたイーゼルとキャンバス、胸像が整然と並んでいる薄暗い部屋の真ん中を陣取るように、キャンバスを広げている生徒がいた。黒い大きな二つの車輪と、首のあたりまである背もたれ。学校の中でたまに見かける車椅子だ。その背もたれのせいで、キャンバスに描かれている絵どころか車椅子の主も分からない。ただ、手元が動いているのだけは分かった。 私がそっと美術室の中に入って背後から様子を窺うと、どうやらチューブから絵の具を出すのに苦労しているみたいだ。手首をひねったり、腕でチューブを抑えようとしても……体がうまく動かないのか、絵の具のチューブからは一ミリも絵の具なんて出てこない。横顔を見ると歯を食いしばって、悔しそうにしている男の子の姿があった。 「あの、手伝いましょうか?」  私が声をかけると、彼は驚きのあまり目を丸めて私を見た。 「……誰? お前」  その声は低く、私の事を警戒しているという事がありありと伝わってくる。ギッと見上げるように私を睨む。不審な人間ではないという事を知ってもらうために、私は少し戸惑いながら自分の名を答えた。 「二年の、川畑です。川畑実里……」 「……初めて見る顔。美術部員じゃないだろ?ここで何してんの? 入部希望なら顧問のところに行ってよ」 「そうじゃなくて、あ……!」  気まずくなった私が彼から視線を逸らすと、キャンバスの絵に私の目は奪われてしまった。  その絵が、職員室の前に飾られていた絵と似ていたからだ。けれど、ちょっとだけ違う。あの絵よりも、星の瞬きは明るく、うんと遠くにある星まで緻密に描かれている。……あの絵よりも、より本物の、私が知っている星空に近い。 「この絵、あなたが描いたんですか?」 「そうだけど」  ぶっきらぼうに答える彼は、筆を投げるようにイーゼルに置いた。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加