手のひらに乗る満天の星

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「あの、私、職員室の前で絵を見たんです! あれも描いたんですよね?」  私が前のめりになってそう聞くと、彼の頬が少しひきつった。まるで、面倒なことに巻き込まれていることを嫌がるみたいに。 「……うん、そう」 「私、あの絵にすごく感動して……! なんていうか、まるで本物の星空、いや、理想的な星空が目の前にある感じがして。目の前にパッと広がっていくような感じで……それで、私、先輩に聞きたいことがあって来たんです」 「……聞きたいこと?」  彼は首を傾げる。少し面倒くさそうではあるけれど、どうやら私と話をしてくれる気はあるみたい。ほっと胸を撫でおろして、私は彼と視線を合わせるように少しだけ屈んだ。目を覗き込もうとすると、彼は気まずさを感じているのかすっと視線をそらしてしまった。白目は青白く、黒い瞳との境界がはっきりとしている。 「あれって、どこの星空を見ながら描いたんですか? ここから近いですか? 私、あんなに星がいっぱいあるところ、見てみたくて」  私がさらに前のめりになってそう聞くと、彼は少し体を引いて、ため息をつくように答えた。その答えは、予想外の物だった。 「モデルなんてないよ」 「……え?」 「あれは、僕が想像して描いた星空だ。……そもそも、あんな満天の星空なんて、僕は見たことないんだから」 「え、え、え~~! そうなんですか?!」 「声が大きすぎる、耳が痛いよ」  注意された私は口を押えた。それを見て満足したのか、彼は安心したように息を漏らす。 「目の前の物を忠実に描いていくなんて、つまらない事を僕は絶対にしないんだ。頭の中で広がるイマジネーションを、そのまま絵として現実の世界に生まれさせていく。それこそが、僕が絵を描く理由だよ。だから、この絵もあの賞をとった絵も、僕の頭の中で想像を膨らませて描いたものだよ」 「へぇ……すごい、ですね」  頭の中で広がるイメージを、そのまま絵に描いたりしようとなんてしたことなかった。それに、私は自分の目で見たものや聞いたものしか信じない。 でも、彼が作ったこの偽物の空は私がよく知っている田舎の空にそっくりだった。色んな角度からその絵を見ていくと、彼は噴き出すように笑った。 「変なの」 「何がですか?」 「君のことだよ。他に何があると思ってるんだよ」 「え? そうですか?」 「そんな風に夢中になって僕の絵を見ていくやつ、初めて見た。……君、暇人?」  ぎこちなく頷く。部活もアルバイトもしていない私は、確かに暇人だ。私の頭の動きを見て、彼は大きく噴き出して、苦しそうに肩を上下しながら笑い始める。そんなに笑わなくたっていいじゃないか。私は頬を膨らませていた。 「それなら、また美術室においでよ。美術部の活動日は火曜と木曜、その日なら僕もここで絵を描いてるし。……それに、また、星空の絵を描くつもりなんだ。気になるなら、描いているところ見に来たらいいだろ」 「いいんですか?!」 「君はすぐ大きな声を出すな。……来てもいいけれど、僕が絵を描いているときは静かにしてくれよ」  私はその言葉に、何度も頷く。  そんな約束をして美術室から出ようとしたとき、私はふと思い出したことを彼に聞いていた。 「あの、先輩の名前、何て言うんですか?」  彼は名乗っていたなかったことも気づかなかった様子で、思い出したかあのように「ああ」と呟いた。 「……永井。永井亮介」 「永井先輩ですね、また来ます!」   ふにゃりと笑う私を見て、永井先輩は『変な約束をするんじゃなかった』と言わんばかりに肩を落とした。
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