手のひらに乗る満天の星

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「私さ、永井先輩の事、嫌いなんだよね」 「え?」  大人しい佐々木さんがそんな事を言うなんて、全く想像つかなかった分私の驚きは大きい。目を丸める私を見て、くすりと口角をあげるように笑った。 「だって、言う事偉そうだし、こっちのこと全然考えてないし、わがままだし。川畑さんの事を見てて、偉いなって思ったけど……私も、ああやって、先輩に優しくしてあげなきゃいけないんだよね」  その言葉にどことなく棘があるのを感じていた。私が何も言わずにいると、饒舌になった佐々木さんの口は、滑っていく氷のように滑らかだ。 「だって、車椅子だし。病気でそう長くないってかわいそうじゃない?」  佐々木さんはまるで吐き捨てるようにそう言った。私が戸惑っていると「川畑さんみたいには出来ないかな」と呟く、それが嫌味であることに、私はすぐに気づいていた。  先輩はそれからも、学校に来ることはなかった。  ブラウスが汗で肌に張り付くような季節になっても。美術部の顧問の先生に聞いてみたけれど、先生にも分からないらしい。先輩がいなくなった美術部を覗いてみたけれど、かつてのようなギスギスとした雰囲気はもうどこにもなかった。絵を描きながら、みんな楽しそうに話をしている。部員たちの表情は柔らかくて、あの佐々木さんでさえもケラケラと大きく口を開けて笑っていた。その光景をずっと見ていると、心の中に真っ黒なものが広がっていく気がして、私はその場から走って離れていた。 美術室に行くときは、美術部の活動が行われない時にしよう。そう思いながら。    人のいない美術室で、じっと先輩の絵を見る。私が見ていても完成することのない絵は、主の事なんてもう覚えていないのか、埃をかぶっても平気な顔をしていた。自分が絵であるという事にも気づいていないのかもしれない。私は美術室に訪れてはその埃を指先で払い、その独りよがりが満たされたら帰る。それを繰り返していた。  今日も指先についた灰色の埃を払いながら帰ろうとした。そのとき、勢いよく美術室の扉が開く音が聞こえた。 「……せんぱいっ!」  顔をあげてとっさに叫んでしまった。けれど、そこにいたのは……白いパーカーとジーンズというラフな服装の女の人だった。足元を見ると深緑のスリッパを履いている、外部からのお客さんだ。私は肩を落とし、小さく頭を下げて、その人の脇をすり抜けようとした。 「ま、待って!」  その人が私の腕を強く掴んだ。びくりと肩を震わせると、彼女は私の目を覗きこんで、こう言った。 「川畑さん? 川畑実里さん、だよね?」 「……は、はい」  どうしてこの見知らぬ人が私の名前を知っているのだろう? 頭の上にハテナマークをたくさん浮かべていると、その人は安心したように息を漏らす。 「私、亮介の姉で、永井心晴って言います。よかった、会えて。私、会ってみたかったんだ、実里さんに」  永井先輩とは全く似ていない顔で、その人は笑った。まるで陽だまりにいるみたいに朗らかな人だと思った。 「これ、もしかして……亮介の描きかけの絵?」 「……そうです」  心晴さんは美術室の中に入って、先輩が描いた絵に近づいていった。 「綺麗そうね。アイツ、この絵の心配ばっかりしてたから……もしかして、実里さんがきれいにしてくれていた?」  私は埃のついた指先を背中に回して隠してしまった。この絵の元にいつも来ていたなんて、あまり知られたくなかった。それに気づいたのか、心晴さんは「そっか」とだけ言って、それ以上深く立ち入ることもなかった。 「私、この学校の卒業生なの。両親が亮介の先生と話をしに行くっていうから、懐かしくてついてきちゃった」 「永井先輩の両親が、どうして?」  私が恐る恐るそう尋ねると、先ほどの太陽みたいな笑顔から、月の光のように慈愛に満ちた表情に変わる。まるで私の不安を見透かして、それを包み込む様に。 「亮介の休学の手続きのために、ね」 「……」
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