桔梗 三

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 一日空けて、真白は見習いと偽って小鉄を伴い、吉原の大門を潜る。  りん ――――― 梅千代は、花魁は気紛れだと言っていた。もしかしたら会えるかもしれない、と踏んでのことだった。  小鉄は物珍しいらしく、賑わう仲之町をきょろきょろと見回す。 「真白、あれは?」  何か見つけるたびにそう訊ねてくる小鉄に苦笑しながら、ひとつひとつ教えてやった。  そうして辿り着いた小柳堂の店先。  ちらりと中を覗いてみるが、梅千代の姿はない。 「……小鉄、野田屋を見てみるか」  訊ねると、小鉄は驚いたように真白を見上げ、それから表情を引き締めて頷いた。  通りの向こうに野田屋を見て、その立派な店構えに小鉄はぽかんと口を開ける。 「あれが……吉原いちの大見世、野田屋……」 「そう。そしてお前の妹のりんは、野田屋の花魁、白梅の禿だ。名前を間違えるなよ、りんじゃなく梅千代だ」 「梅千代……」  口の中で何度か唱えていると、野田屋からひょい、と小柄な影が走り出た。 「あ」  真白が声を漏らすと、小鉄はつられるように目を向け、そのまま大きく見開く。 「り……梅千代!」  小鉄の声は思いの外大きく、足を止めた少女が振り返った。  最初に真白を認めて、それからつい、と視線が下へ動き、小鉄を捉える。  肩越しに振り返った姿勢のまま、梅千代は大きく目を瞠った。 「――――― あんちゃん」  ぽつ、と呟いた後、はっとして辺りを見回し、真白と目を合わせると、そっと小柳堂のある方角を示す。分かった、と頷いた真白に小さく頷いて、梅千代はそのまま小走りに行ってしまった。  はっとして追いかけようとする小鉄の手を捕まえて、「ゆっくり行くぞ」とのんびり歩き出す。  小柳堂に着くと、ちょうど梅千代が団子を買って出てくるところだった。  真白を認めて、小さく会釈をする。その目が、小鉄へと向けられた。 「……あんちゃん」  小鉄は躊躇いがちに近づき、口の端を引き上げて笑う。 「なんか、見違えたな。綺麗になっちまってさ」  首の後ろを擦りながら言う小鉄に目を丸くして、梅千代は吹き出すように笑った。 「何言ってんの、あんちゃん」 「お前、何妹に照れてんだよ」  真白は小鉄の頭を軽く小突き、ちょっと待ってろ、と言い置いて団子を買って戻る。  二人に一本ずつ渡して床几に促し、自分は少し離れて座った。  あんなに会いたがっていた小鉄は、思いがけず綺麗に着飾った妹に腰が引けているらしく、もくもくと団子を食べている。 『随分緊張しているな。いつもの威勢はどこへやら』  ふふ、と小さく含み笑って、實親が優雅に扇を揺らし、真白もつられて笑みが浮かびそうになるのを、団子を齧って誤魔化した。 「――――― あの、り、……じゃない、梅千代だっけ」  串に刺さった団子を二つ食べたところで、やっと小鉄が切り出す。 「うん。良い名前でしょ、梅千代って」  明るい声で言う梅千代を見返して、小鉄は曖昧に笑みを返した。 「そうだな。……よく似合ってる。見世の人たちは優しいか」 「優しいよ。白梅姐さんも、楼主も、お内儀(ないぎ)も」  床几に深く腰掛けて、足をゆらゆらと揺らしながら、梅千代は歌うように拍子をつけて言う。 「なら、良かった」  団子をひと串食べるだけの間。  大した話ができるわけでもない。 「俺さ、今度、魚売りの棒手振りを手伝うことになったんだ」 「棒手振り? あんちゃんが?」 「おう」  目を丸くして問い返す梅千代に、得意げに頷く。  側で聞き耳を立てていた真白は、「へえ」と口の中だけで呟いた。  實親はどこか憂えたような表情を浮かべて兄妹を見守る。  ぽつりぽつりと言葉を交わした兄妹は揃って団子を食べ終え、串を持て余しながらしばし黙り込む。 「――――― そろそろ帰らなきゃ」  思い出したように言って、梅千代はぴょん、と立ち上がった。  つられるように立ち上がった小鉄は、何か言いたげだったが、開きかけた口を一度閉じ、眉尻を下げて笑う。 「頑張れよ」  小鉄の声に笑顔で頷いた梅千代は、躊躇うように目を伏せてからぽつりと呟くように言った。 「――――― あのね、私はここでは梅千代だけど、あんちゃんには、りん、って呼んでもらいたい」  顔を上げて兄を真っ直ぐに見つめる。 「私は、あんちゃんの前では、りんでいたい」  一瞬目を瞠った小鉄は、次いでくしゃりと顔を顰めるように笑った。 「おう! お前は、いつまでも俺の妹だ」  力強い言葉に、梅千代が弾けるような笑顔になる。 「うん! またね、あんちゃん!」  手を振って、見世へと駆けてゆく妹の背中を見送り、小鉄は腕で目元を擦った。  そんな小鉄の頭を少し荒っぽく撫でてやり、真白は「帰るか」と明るく声をかけた。  小鉄は朝と夕方、棒手振りの仕事をするようになり、初めて給金を貰ったときには嬉しそうに紅堂に報告に来た。 「真白。これ、相談料」  そう言って少ない中から、三分の二ほどを差し出そうとするのを慌てて押し留める。 「いらねえよ。子供から取れるわけもねえ。お前が初めて稼いだ大切な金だ。ちゃんとしまっときな」  照れたように唇をむにむにと動かしながら頷いた小鉄は、大切そうに懐に仕舞おうとするのを、蔦が思いついたように「ちょいと待っておいで」と言い置いて店に引っ込む。  小間物と一緒に並べてあった小振りな巾着を一つ取り上げて戻る。 「はい、これに入れておきな。しっかり口を絞って帯に挟んでおくんだよ」  蔦が紺絣(こんがすり)の端切れで作ったそれを受け取り、小鉄は目を輝かせて彼女を見上げた。 「ありがとう、お蔦さん!」 「おい、なんで俺のことは呼び捨てなのに、蔦は『お蔦さん』なんだ」  小鉄は「えへへ」と笑っただけで答えず、「真白、明日はりんのとこに連れてってくれよな!」と言い残して帰って行った。 「まったくあいつは……」  そう言いながらも、真白は口の端に笑みを浮かべる。それを目だけで見やった蔦は、くく、と喉の奥で笑った。
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