桔梗 一

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 小鉄は蔦が用意した大きな握り飯に、大きな口でかぶりつく。  口いっぱいに詰め込んで咀嚼する様子を見ながら、真白もつられるように手にした握り飯を頬張った。  蔦が家で握ってきたものだが、まだほんのりと温かい。塩気がちょうどよくて大きな握り飯は食べ応えがある。 「はい、お味噌汁。熱いから気を付けるんだよ」  蔦が湯気の上る椀を小鉄と真白の前にそれぞれ置く。  口の中がまだ一杯なのに、小鉄はもごもごと「ありがとう」を言った。 「食べながら言わなくていいよ」  呆れたように笑った蔦はその場に座ってお茶を入れ始める。 「誰も取ったりしないから、ゆっくりお食べよ。足りなけりゃ芋も蒸かしてあげるよ」  お茶を入れながら言った蔦を見上げて、小鉄は口の中のものを飲み込んでから呟く。 「芋……」  その物欲しそうな言い様に、蔦は思わず笑ってお茶の湯呑みを置きながら「持ってくるよ」と小鉄の顔を覗き込んだ。  バツが悪そうに顔を逸らすのにまた笑って、蔦は真白の前にも湯呑みを置いてから立ち上がる。台所へ消えていく蔦を見送って、真白はそれとなく小鉄を観察した。  細いが特にどこか悪いようでもなく、食欲旺盛で元気に見える。どこか薄汚れて見えるのは、母親がいないからか。 「さっきの着物、随分泥だらけだったが、転んだのか」  漬物を一つ取って、パリパリと咀嚼しながら訊ねると、小鉄はムッとしたように睨んでくる。 「そんな鈍臭えことしねえよ」 「じゃあなんだ。喧嘩でもしたか?」  のんびりとした口調で問うと、ふん、と鼻を鳴らす。 「喧嘩なんて大層なもんでもねえよ。あいつらが俺の事を馬鹿にしてきたから、うるせえってげんこつくれてやったらやり返してきたんだ」  鼻息荒く言って、腹いせのように握り飯にかぶりつく。 「馬鹿にしてきたって?」 「……おっかあが出て行ったのはおっとうの甲斐性がないからだって」 「……そりゃ誰が?」 「隣の長屋に住んでる松吉っていうやつ」 「友達か?」 「友達なんかじゃねえや、あんなやつ」 「はあ、甲斐性なあ……子供が言う言葉じゃねえやな」  大方、親が話しているのを聞いて意味もよく分からず口にしているのだろうが。 『子供というものは聞きかじった言葉を使いたがるものだからね。口さがない連中はどこにでも居るものだ』  やや嫌悪感を滲ませた顔で實親が呟くのに「まったくだ」と頷きそうになり、すんでのところで押し留めた。 「おめえを馬鹿にするようなやつは相手にしなけりゃいいんだ」 「そうだけど、頭にきて」  悔しそうに唇を噛むので可哀想になり、少し声を和らげて訊ねた。 「お父っつぁんは何やってる人なんだ」 「大工! おっとうは腕がいいんだ」  俄に目を輝かせて身を乗り出す。  その様子が微笑ましく、真白は頬を緩めて「お父っつあんのことが大好きなんだな」と笑うと、ふとその目が色を変えた。 「……うん。好きだけど……おっかあが出てってからのおっとうは、あんまり好きじゃない」 「なんでえ、そりゃ。人が変わっちまったのかい」  小鉄は小さく頷いて、思い出したように握り飯の残りを齧る。さっきの勢いはなくなっていた。  もくもくと口を動かして考え、ぽつりと零す。 「……酒ばっか飲んで、仕事に行かねえし、それに……」  口ごもって俯くのを追うように身を屈めた真白は、怪訝な顔で「それに?」と促す。 「……りんを、売っちまった」 「りん?」  鸚鵡(おうむ)返しに訊ねると、唇をぎゅっと引き結んだ後、消え入りそうな声で答えた。 「……俺の、妹……」  ふと、真白は息を詰める。その後ろで、實親もまた目を瞠っていた。 娘を売る。  長屋住まいだ。腕のいい大工とはいえ、元々収入は然程でもなかったのかもしれない。  それが仕事もせずに酒浸りとくれば、すぐに底をつくだろう。実入りがなければ生活は立ち行かない。  なにか苦いものを飲んだような重苦しい気持ちになり、真白は難しい顔で握り飯の残りを口に押し込んだ。 「――――― 今、お父っつぁんは?酒か?」  重い口調で問うと、小鉄はもそもそと握り飯を齧るのを止める。 「昨夜から出かけてる。多分、賭場に行ってんだと思う」 「酒だけじゃねえのか」  つい呆れた声が漏れた。 「丁半は昔っから好きで、おっかあが出てったのも、稼いだ半分以上をいつも賭場でスってくるからなんだ」 「そりゃあ、……だろうな、としか言えねえな」  酒に賭博。  どちらも一度快楽を見出すと抜け出せない。  いわば病気のようなものだ。  やめたくてもやめられない。 「厄介なもんだな……」  小鉄は膝の上で両手を握りしめ、泣くのを堪えているような、力の入った顏で畳を睨む。 「……あの日、おっとうに研ぎに出してる仕事道具を受け取りに行ってくれって言われて」  ぽつりぽつりと話し始めた小鉄のつむじを見つめて、真白は黙って耳を傾けた。 「仕事道具なんて今まで触らせてくれたことなんてなかったから、おっとうに認められたんだって嬉しくて、走って取りに行ったんだ」  ぬるくなったお茶を一口含んで、真白は「それで」と促す。  いよいよ涙を堪えきれなくなったのか、小鉄はぐす、と鼻を啜ってから続けた。 「俺が道具を抱えて戻ったら、知らねえ男がりんを連れていくとこだった」
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