桔梗 三

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 紅堂に帰りつくとすでに小鉄がいて、蔦と二人でぜんざいを食べていた。 「小鉄、八つ刻を狙ってくるとはちゃっかりしてるな」  揶揄するように言うと、椀から顔を上げた小鉄は歯を見せて笑う。苦笑を漏らして腰を下ろすと、蔦が真白の分の椀を置いた。 「お、すまねえな」  早速箸を取り上げてぜんざいを啜る真白をちらりと見やって、蔦は湯呑みに白湯を注ぎながらいたずらっぽい笑みを浮かべて小鉄に言った。 「小鉄。この人、端からあんたの分も勘定に入れて代金を用意してたんだから、遠慮することなんてないんだよ」  あっさりばらしてしまうのに、真白は餅が喉に詰まりそうになって咽る。 「何やってんだい。誰も取りゃしないから、ゆっくりお食べよ」  しれっとして湯呑みを置く蔦を、咳き込みながら恨めしげに見やって、湯呑みを手を伸ばした。  小鉄が食べ終わるのを待って、真白は口を開く。 「まず、りんに会えた」 「ほんとに!」  目を大きくして身を乗り出す小鉄に頷き、真白は淡々と告げる。 「りんは今、吉原で一番の大見世、野田屋にいる。禿としてな」  真白が厳しい表情で語るのに、小鉄も神妙な面持ちになった。 「俺はりんに、小鉄に会いたいか、と訊いた」  ふ、と小鉄の目が僅かに見開く。  それをじっと見つめて、真白は低い声音で続けた。 「りんは、会いたいが会えない、と言った」 「え……?」 「小鉄、酷なことを言うようだが、りんはもう吉原の住人だ」  小鉄は不可解だと言いたげに眉を寄せる。 「お前はりんに会ってどうするつもりなんだ」 「どう、って……」 「会ったとしても、連れて帰ることはできないぞ」  厳しい声で言った真白を、小鉄は目を大きくして見返す。  その表情に、真白は「やっぱりか」と嘆息した。 「りんを売った金をそのまま返せば、りんが帰れるわけじゃねえ」 「なんで! 」 「女衒が見世に売った時点で、りんは見世に借金をしている態になる。その額面はお前のお父っつあんが受け取った額とは比べもんにならねえほど跳ね上がってるんだ。りんはその借金を見世に返すまで、吉原を出ることは許されねえ」 「借金って、どれくらい……?」 「吉原で芸者遊びができるお大尽でなきゃ、払えねえ額だ。お前が一生働いても無理だな」 「そんなに……じゃあ、りんは……」  その顔に怒りとも悲しみともつかない感情を浮かべる小鉄に、真白は敢えて静かに告げた。 「りんはちゃあんと分かってる。分かったうえで、覚悟を決めて吉原にいるんだ。お前もそれを理解しなくちゃならねえ」 「理解って……」 「平たく言うと、余計なことは言うなってことだ」  ふ、と小鉄が息を詰めて真白を見返す。真白は眉を寄せて厳しい顔を崩さずに見返した。 「この期に及んで、すまねえだの、お父っつあんの恨み言だの、そんなもんは全部余計なことだ。りんの覚悟を無駄にするな。それが約束できるなら、りんに会わせてやる」  小鉄は唇を噛んで俯き、膝の上で両手を握りしめる。しばしの間の後、顔を上げてまっすぐに真白を見た。すっ、と後ろに下がって畳に額が付くほど低く頭を下げる。 「約束する。りんに会わせてくれ」  真白はそれをじっと見つめ、深く息を吸い込んでから頷いた。 「……分かった」  
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