桔梗 四

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「うわわわわわ!」  真白は思わず声を上げて頭を庇いながらしゃがみこむ。  すっ、と實親が一歩踏み出しながら鋭い呼気と共に扇を横に振り抜いた。  一閃された火の玉が一拍置いて全て真っ二つになり、濁流に落ちてゆく。 『まだまだ!』  異形は叫ぶと再度火の玉を吐く。  ぼぼぼぼ、と音を立てて吐き出されたいくつもの火の玉は、實親を取り巻くように展開し、揶揄するように周囲を飛び回った。  油断なく火の玉を睨みながら、實親は腰に手をやる。  果たしてそこに、刀はあった。  最初からあったわけではない。  だが、ここに刀があれば、と強く思う時それは姿を現す。  それも数珠の持ち主が真白になってからのことだった。  雅な装飾のされた柄を掴み、緩く反った刀身をすらりと抜きざま火の玉をふたつ斬り捨てる。片眉を跳ね上げた異形は舌打ちを漏らして、火の玉のひとつを細い指で示した。  つい、と指を動かすと、それに従って火の玉が動く。まるで指先から糸でも伸びているかのように、火の玉は自在に動いて實親を襲う。不規則な動きで飛び交い死角を狙って襲ってくるそれを、實親は下段から振り上げた刃で弾き、返す刀で反対側から襲ってきた火の玉を叩き斬った。  頭上で繰り広げられる攻防を頭を庇いながら窺い見て、真白は目を異形の下に向ける。ざあ、と音を立てて渦を巻く濁流の壁の中を、見透かすように目を凝らすが、墨のような黒さでは到底見えるはずもなく、真白はちら、と異形の様子を見やる。  異形の目は爛々と赤黒い光を放ち、まっすぐに實親だけに向けられており、真白のことなど眼中になさそうだった。  異形の視界に入らないようにできるだけ姿勢を低くして、じりじりと気付かれないように移動する。  目の前の濁流の壁は、左から右へと激しく流れてゆく。  ごくりと唾を飲み込んで、腕を勢いよく濁流の中に突っ込んだ。  痛いくらいの流れの中を、手探りで父親の体なり頭なりを探す。指先だけでもどこかに触れないかと流れに逆らいながら手を動かすが、水を掻くばかりで何も引っ掛からない。 「くっそ、どこだ……」  忌々しげに零して、真白はさらに二の腕まで濁流の中に沈める。途端、体を持って行かれそうになり、慌てて腕を引き抜いた。 「あっぶねえ……とんでもねえ流れだ……」  うっかり自分も呑まれてぐるぐると流されるのでは、と弱気な考えがちらりと過る。だが、不意に脳裏にひょいっと腰に手を当てた蔦が現れる。 ――――― 何やってんだい、真白! 情けないねえ、そこをおどき! あたしが代わる! 袖を捲り上げながら啖呵を切る姿に、思わずふ、と頬が緩み息が漏れた。 「踏ん張らねえとな」  小さくぼやいて両頬を叩くと、ぐっと足に力を入れて踏ん張り、ふん、と気合を入れて再度腕を突っ込む。二の腕までを突き入れるのと同時に、腰を落として太腿に力を入れた。耳元に迫る濁流の轟音。手に意識を集中する真白は、知らず知らず目を大きく見開いていた。どれだけ目を瞠ったところで濁流を透かし見ることなど、できようはずもないのに、それでも、真白は瞬きすら忘れて濁流のその向こうを睨んだ。  真白の手を持って行こうとするかのように流れる濁流の中を探り、手に水ではない何かが触れた。細い、糸のようなもの。  髪か。  流れに攫われて乱れた髪が数本、指に触れている。それを辿って、やっと頭を探り当てた。 「……見つけた」  呟いて唇を舐めた真白は、手探りで頭を伝って肩に辿り着き、両肩の着物をしっかりと掴む。足を更に開いて膝をつき、腰を据えて両腕に力を込めた。  奥歯を噛み締めて渾身の力で濁流の中から父親を引き摺り出す。 「こンのおおおお……!」  獣の唸りような声を漏らす真白の顔は真っ赤に染まり、ゆっくりと濁流から現れる腕には血管がくっきりと浮き上がる。 「だああああ!」  濁流からやっと引き摺り出した父親と一緒に勢いよく畳に倒れ込んだ。  はっ、と異形の目が真白を捉える。 『貴様……!』 「げっ」  真白は慌てて父親を引き摺り、距離を取る。その間に實親が割って入った。 『お前の相手は私だ』 『邪魔だ、どけ!』  激昂する異形の体が光を放ち、熱を孕む。火の中で焼け溶ける鋼のように、黒かった眼球すら赤を通り越して白に染まり、今や赤黒い瞳だけがぽつりと浮かんでいた。
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