桔梗 二

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 實親には三人の妹がいた。 『末の妹は十五離れていてね』 「随分年の差がある兄妹だな」  目を丸くして言う真白に、實親は扇の下で「ふふ」と笑った。 『父の二人目の奥方の子だからね』 「二人目……後妻ってやつかい」 『後妻? いいや。文字通り二人目だよ』 「なんでえ、お公家さんのお父っつあんは、お殿様かなんかか」  驚いた真白の問いに首を傾げた實親は、不思議そうに目を瞬かせる。 『お殿様……かどうかは分からないが、父は中納言だったから、それなりの身分ではあったよ』 「ちゅうなごん……って何だ」  ぼそ、と口の中で呟いた問いは實親の耳に届き、視線を泳がせて思案した後、曖昧な口調で言った。 『そうだな……従三位(じゅさんみ)だから、主上(おかみ)が一番上として五番目の地位、というところか』 「お(かみ)? 幕府のことか?」 『いや、主上とは天皇のことだ』 「天皇から数えて六番目の地位だって? そりゃどえらい身分じゃねえか!」  ひっくり返った声を上げて驚く真白だったが、ふと以前出会ったある寂れた寺の小坊主の言ったことを思い出した。 「そういや、信如(しんにょ)が言ってたな。高貴な方が守護についてるって。あれは見てくれのことだけじゃなかったってことか」 『続けていいか』  一人でぶつぶつと呟きながら納得しているらしい真白に訊ねると、はっと我に返って「おう、続けてくれ」と姿勢を改めた。  實親は一度そっと息を吸い込んで、変わらず降り続ける雨に目を向ける。 『――――― その末の妹は、秋生まれでね。桔梗(ききょう)、と皆に呼ばれて愛されていた。とてもお転婆で屋敷中を駆けまわっては、侍女たちを困らせていたけれど』  そう語る實親の目元が和らぎ、唇に笑みが浮かぶのを見つめて、真白は何も言わずにただ頷いた。 『桔梗はちょうど春宮(とうぐう)と年頃が同じで、七つの時にゆくゆくは春宮妃に、という話があった』 「とうぐう、ってえと……」 『天皇のご子息だよ』 「はあ……てことは、お公家さんの妹さんは皇后様になることが約束されてたってことかい」 『まあ……候補のうちの一人、というところだね』 「候補?」 『内裏(だいり)には多くの候補がいたからね』 「大奥みたいなもんか」 『大奥……?』 「殿様の正室や側室……ええと、つまり世継ぎを生む奥方の候補がたくさんいるところだ」 『なるほど。恐らくそう違わないだろうな』  真白の大雑把な説明にも、實親は得心したように頷いた。 『……それで、その内裏に上がることを入内(じゅだい)というのだが、桔梗は十三の歳に入内することが決まった』  聴きながら、真白は神妙な顔で相槌を打つ。 『桔梗が入内すると決まった時点で、春宮は十五。すでに内裏には四人の女御(にょうご)がいた』 「にょうご?」 『天皇の寝所(しんじょ)(はべ)る女官のことだ』 「十五で四人も女を囲ってたのかよ……」 『人聞きの悪い言い方をするものじゃないよ』  窘めながらも涼しい表情で實親は続けた。 『……釣り合う年齢の姫を持つ家はどこも必死だったからね』  (はばか)るように声を低くした實親を見返して、真白は眉を(ひそ)める。 「必死ってのはどういうことだい」 『春宮妃ともなれば、天皇との関係も近しくなり、それなりの権力も与えられる。今の大奥もそうではないのか』 「大奥に入ることができるのは旗本や御家人の娘だから、俺は大奥の内情までは分からねえが……言われてみればそうか。だけどそれも春宮に気に入られればの話だろ。イチかバチかの博打みてえなもんだな」 『博打とは……』  實親は呆れたように零したが、それ以上は言わずに話を戻した。 『――――― 桔梗が入内してから、屋敷は随分と静かになってしまった』  もとよりじっとしているのが苦手な妹姫。  手習いや(こと)の練習を投げ出しては、彼女を探す侍女たちの声が屋敷のあちこちから聞こえたし、釣殿(つりどの)を走る軽やかな足音が聞こえてくることもあった。それと共に響いていた、弾けるような明るい笑い声。  それらがなくなり、桔梗がいた時はお小言ばかりだった家人たちも、どこか物足りない顔で時折ふと辺りを見回していた。 『それだけ桔梗が賑やかだったということだが、そんな彼女が内裏でさぞかし退屈しているのではないかと、文を送ったのだ』  すると、戻ってきたのは随分と気落ちした様子の返事。心配になって、實親は妹に会いに行った。
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